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妊娠記録〜やっと芽生えたらしい〜

人生初の手術が始まり、
ドラマでよく見る全身麻酔を体験する時がきた。
麻酔の体験をした方の記録を読んでいたこともあって少しワクワクしていた。

酸素マスクをつけて数を数える。
1.2.3.4.....「聞こえますかーーーー??」

え??まだ数数えてたはず。
え?終わったの?え??体感4秒。で終了。
夢見る暇もない。本当に一瞬。

起きた頃には担架に乗せられ
病室に行くところだった。 

さぁ、ここからが大変。
まず、担架に酔い嘔吐。
そして挿管していたので喉が傷ついてガスガス。
声を出そうにも出せない。
振り絞って出したのは


「水ください」


「あげれませーーーん」

喧嘩売っているのかと思った。
後ほど臓器の癒着の恐れがあるので翌朝の回診まで
絶飲食になると改めて告げられた。
手術前からこんこんと言われていたので理解はしていたけれども、これがかなり地獄だった。

ラスボスのなりぞこない
「よだれ悪阻」が健在だったから。
とにかくこれをどうにかするのに水が必要だった。

病室に着いた直後、麻酔の効きが悪いのか
腹部に激痛、右足にも痛みがあって泣き叫ぶほど。
「え、麻酔効いてない。」と麻酔科医がボソッと呟いたことを聞き逃さなかった。
保冷剤を当てられ「分かる??」と逐一聞かれ答え
ついでに熱も測ると39度。血圧も上がり138を記録
トクホのお茶のCMの音楽が一瞬流れた。

「無痛分娩で使う1番強いやつ使おう。」
ということになり入れるとあら不思議、緩和された
その後血栓が出来ないようにと両足に巻くタイプのマッサージ機を取り付けてもらい機械音がうるさい中ほぼ気絶状態で就寝。

できるはずもなく、30分ほどで起きた。
よだれはどうしたかというと、タオルと袋を渡されたのでそこに永遠とペッペッと出していた。
地獄。本当に地獄。
夫に辛いとLINEするも時刻は深夜1時。
手術が終わった23時過ぎに病院から連絡があった後
夫は安心して爆睡したそうだ。羨ましい。

こちらは寝れたと思ったタイミングで
看護師さんが血圧を測りに来る為起きてしまう。
しかも足についていたマッサージ機と尿管が入っていたおかげで寝返りも一切うつことができず
腰も痛い、首も痛い、肩も痛い。
もう悪阻どころじゃない。
この時に思ったのは本当に健康って大事ってこと。

看護師が来る度に「水はまだ飲めませんか?」と
聞きまくり、状況を察してうがいだけなら許す
ということで、うがいしたくなったら呼べとのことでほぼ30分〜1時間に1度ナースコール。
ナースステーションでヤバいやつ認定をされたかもしれない。ごめんなさい。

眠れるはずもないので、マタニティアカウントを作っていたTwitterで状況報告。
たくさんの妊婦さんに励まされ朝を迎えた。

7時過ぎにやってきた看護師に
「朝なんで水飲めますか?」と聞くと
先生の出勤が8時なのでそれ以降。と答えられ
8時までカウントダウンしていたのだが
時間になっても一向に来ない。
10分、また10分。多くは望まない。
水が欲しい。それだけ。
結局先生がやってきたのは午前9時。
採血されながら「あの、、、水は」
と恐る恐る聞くと
「え、まだ飲んでないの?いいよ!飲んで!!」

え、とはなんだ。まだ、とはなんだ。
とつっこむ余裕はなく
持ってきてもらった水を一気飲み。

気持ちは砂漠で見つけたオアシス。

その後、昼にはご飯が出る。
最初はお粥からね。全部食べないでね。
お腹びっくりしちゃうから。
チーカマ以来だから食べちゃうかもしれないけど
無理しないでね。と注意を受けた。

食後には足の機械も取り尿管も取って
一般病棟に歩いて行ってもらう。
となかなかのハードスケジュールを告げられた。
昼ごはんまでは残り3時間。
それまでにベッドのリクライニングを上げ、
起き上がる練習をしなくてはならなかった。

そして、ふと思い出す。
お腹にいる赤ちゃんの存在。(おい)

そこに入れ替わるように助産師2人が
大きな機械を持って訪ねてきた。
「赤ちゃんみよっか!」
ジェルを塗り塗り、エコーを当てると
画面に映ったのは胡座をかいて回る我が子。

赤ちゃんタフだねー。肝座ってるねー!
可愛い女の子だねー!

え???待って。今性別仰った。
産院でもまだ聞いていない性別。
サラッと公表されてしまった。
何かを察してか助産師も
「まだ17週だから!!!確定じゃないよ!」
とフォローを入れてくれた。
(後々正式に女の子と判明しました)

ただこの不確かでも性別がなんとなく分かるようになるまで成長していた子の存在のお陰で
やっと親になる自覚が芽生えた。
今まで悪阻で苦しむだけ苦しんで、
生きてるのかどうかも分からない状態で
ダメでもまぁいいや。楽になれるなら。
なんて思っていたが少し気持ちが変わった。
胆嚢も取ったんだ。何がなんでも産まねば。
と言った感じの使命感も生まれた。

少し気持ちが前向きになったところで昼がきた。
お粥だと思っていたのに出されたのはなんと

焼きうどん

米ですらなかった。 
何かの間違いかもしれないと思ったけど
持ってきてくれた看護師はもういない。
散々夜中にナースコール押しまくっていたのもあり
罪悪感から押すこともできず
ま、出されたものは食べようということで
完食するなと念押しされたのに見事完食。
特に怒られなかった。

その後、足についた機械、尿管を取り
ついに歩く時が来た。
が、まだ足に痺れがあり立つのも一苦労。
もう気分は地球に帰還したばかりの宇宙飛行士。
まだ腕と背中の点滴はついたままだったので
介助は必須。トイレに行く際は必ずナースコール。

妊婦は頻尿なのだ。1時間に1度とは言わないが
深夜でも2.3時間に1度はナースコール。
日中は酷い時は10分に1度ナースコール。
本当すんません。と何度謝っただろうか。

術後3日が経ち、全ての点滴が外れ
シャワーを浴びることができた。
初めて鏡に映る自分の姿を見て悲鳴が上がった。
あまりにもグロテスクな傷口。
いくら腹腔鏡手術で1.5cmしか切ってないといえど
絆創膏が透明なのもあって、かなりグロテスク。
お臍右脇腹がもうかなりグロテスク。
一生傷になるであろう傷がお腹に4箇所。
とりあえず、無事に産まれたら
「母ちゃん君の為に頑張ってんで。」
と一言だけ言わせて欲しい。

挿管の影響か慣れない入院生活のおかげで
口唇ヘルペスになり、腹部の痛みと共に苦しんでいたが、それ以外は良好で予定通り5日目には無事退院することが出来た。
行きも帰りも夫が付き添ってくれた。
なんと、入院日も退院日もたまたま夫の休みの日。
優秀な嫁ですわ。と褒められた。

入院中野菜中心の生活で薄味のものが多かった。
退院したら好きなもの食べに行こうと夫と約束していたので、九州の民はみんな大好きファミリーレストラン「ジョイフル」に向かった。
大学時代からジョイフルならこれ!!といつも食べていた、ひとくちチキンステーキにんにく醤油を注文し、若干涙目で食べた。
実はこの時、悪阻が始まってから久しぶりに白米を食べることが出来た。それまではずっとお粥。
朝も昼も夜もお粥生活だったので
白米が美味しく感じられた事が本当に嬉しかった。

結局はっきりとした原因が分からぬまま。
摘出してしまった胆嚢は誰も見ることなく
処分されてしまったようで
術前にせっかくだから写真が欲しいと言えばよかったと後悔の念でいっぱいになった。

なかなか自分の臓器を摘出する機会はないので
気になる方は術前に一言言った方がいいですよ。


とりあえず、胆嚢炎はこれにて一件落着。


次は一瞬あった絶好調のお話です。

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