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アンティークコインの世界 | 大阪・造幣博物館の名品〜

今回は、造幣博物館に展示されている貨幣を紹介していく。当館では日本の江戸・明治時代を中心とした稀少な貨幣を展示・収蔵する他、諸外国の貨幣も展示されており、大変充実した内容になっている。尚、館内の展示品は一部が撮影可能となっている。そのため、ありがたいことに貴重な画像サンプルを入手することができる上、こうして紹介することも叶った。


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造幣局・造幣博物館正門
造幣博物館は、大阪造幣局に併設されている。大阪造幣局は、これまでに数多くの貨幣を発行してきたことで知られる。日本の貨幣はもちろん、古くから海外の貨幣も業務委託を受けて生産している。ロシア帝国のニコライ2世時代の貨幣も、大阪造幣局産のものがある。ロシアは当初英国への生産依頼を考えていたが、英国は香港やインドなど英連邦の生産に手一杯で、ロシアの依頼を断ったとされている。それゆえ、日本に代理生産の話が回ってきたという流れである。

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造幣博物館外観
正門で受付を済ませ、敷地内の奥に進んでいく。正門に隣接してショップが設けられており、ここで貨幣やメダル、その他雑貨等をを購入することができるようになっている。奥に進んだところに博物館が位置する。赤煉瓦造りのアンティークな造りで雰囲気がある。

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大日本帝国大阪造幣局外観
入場すると、まず大日本帝国時代の大阪造幣局を俯瞰したデッサンが鑑賞者を出迎える。

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試作貨幣群
彫刻師の加納夏雄による手彫りの試作貨幣。幻の一品に胸が高なる。

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加納夏雄による旧一圓銀貨のデッサン
これが日本の銀貨の始まりとなる原画と考えると感慨深い。

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旧一圓銀貨の表裏
龍図と旭日が共に美しい。試し打ちならではのカメオのような彫刻に震える。表裏が実物、拡大写真と共に併せて観られるようになっている。

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旧一圓銀貨 試作貨 龍図

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旧一圓銀貨 試作貨 旭日

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金貨・銀貨・メダルの極印
こちらに溶かした金属を流し込んでコインを造る。極印にも寿命があり、一定数のコインを生産すると、目詰まりして彫刻のシャープが欠けてくる。最後は型にヒビが入り、割れて使用できなくなる。消耗品のため、型は幾つか存在する。型が新しい最初の方に打たれた品は仕上がりが良く、ものによってはPL(プルーフライク」と呼ばれる贈呈用の鏡面仕上げが施されたような出来になることがある。「ような」というところが重要で、それゆえにプルーフライクである。公式ではプルーフとは発表していないものの、プルーフと見間違えるような造りのものに対してこのような呼び方をする。ただし極めて、稀な例である。それゆえ、PL判定されたものは市場では高額で取引される。また、こうした初期打ち品は彫刻が優れることから、NGCとPCGSではそれぞれUC(ウルトラカメオ)、DC(ディープカメオ)というカメオ製品のようなという意味合いの評価を備考欄に加えることがある。この評価が与えられたものの同様に高額で取引されるが、モダンコインの場合は付くことが多く、あまり評価に影響しない例もある。

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明治の日本が使用した造幣機

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日本は香港が使用していたものを中古で購入し利用していた。当時の日本には、新品の造幣機購入に回すだけの金銭的余裕がなかった。ちなみに香港は英国からマシンを購入ししている。そのため、同時代の香港の貨幣と日本の貨幣は造りが酷似しており、特にエッジの造りなどはほど同一である。この辺を見比べてみると面白いので、ぜひ機会があればやってみて欲しい。

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貨幣のはじまり 貝貨
貨幣の誕生の定義を定めることは難しいが、金属型円形コインに発行者である王や国家の印を刻んだ貨幣は約2700年前のリュディア王国が初めてとされる。人間自ら製作するのではなく、貝という既存物を再利用して貨幣代わりに使っていたのは中国で、これはリュディアよりもっと古い段階から存在した。

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刀銭
刀銭と呼ばれる古代中国青銅貨。変わったデザインが一際目を引くが、贋作も非常に多い。オークションで出ているものも真贋がはっきりとしない疑わしいものが多い。

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開元通宝
唐時代に発行された銅製貨幣。後の中国王朝もこの貨幣をベースに貨幣製作を行った。また、日本も富本銭や和同開珎製作時の参考とした。中国は原則貨幣の素材に銅ないし銅合金を用いた。銀製は交易や貯蓄等の特殊なケースで用いられた。というのも、貴金属を貨幣に使用すると、そこから地金を削り取る不正を働く者が後を絶たないからである。それゆえ、地金価値がない銅を貨幣の素材とし、価値がないものに価値があるという信用を人々に浸透させていった。現在、私たちが使用している紙幣も似たようなものである。紙自体に何も価値がないが、それでも一万円札には一万円の購買力があると私たちは信じ切っている。これを万人が信用しているため、紙幣による取引が成り立つ。

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馬蹄銀(ばていぎん)
高額決済や貯蓄等で利用された銀製の高額面貨幣。日本でも出土している。

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皇朝十二銭
中央に孔が空いている理由は、一枚あたりの金属の量を減らす意図と考えられている。孔の部分に紐を通せば、複数枚を束ねることもでき、持ち運び等の利便性もあった。

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渡来銭
中国、朝鮮、安南で発行されていた銅貨。日本でもこれを借用して使っていた。薄く脆いため、取り扱いには細心の注意を要する。手を滑らせて落下すると割れる可能性がある。

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ビタ銭
いわゆる模造品、悪く言えば当時の偽造貨である。地方都市で貨幣不足が発生した場合、現行の貨幣を模倣して発行し、自分たちで使用する例があった。ビタ銭とは、そうした際に生まれたものである。ちなみ、に偽造貨はリュディアで金属製円形コインが発明されたのとほぼ同時に姿を表している。

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地方銭
地方で発行された江戸期の銀製貨幣。原則貨幣発行は幕府の特権だったが、一部の地域に関しては地方銭の発行を容認していた。

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甲州金
地方で発行された金製貨幣。見た目からも分かるように品位は低いが、信用度を持って流通した。

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大判
江戸幕府が発行した歴代の大判。徳川家康による1601年の慶長大判に始まり、1860年の万延大判まで続く。

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小判
江戸幕府が発行した歴代の小判。大判同様、徳川家康による慶長小判に始まり、万延小判まで続く。万延小判は「雛小判」とも渾名される小さな小判で、重量の低減と品位の粗悪化から国内の金流出が手に取るように分かる。

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*造幣博物館の展示パネルより引用
品位の上下は当時の財政状況を如実に表している。

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丁銀・豆板銀・分銀
収集ファンが多いジャンル。比較的コレクションとして手が届きやすい価格帯で供給できる商材ゆえに人気高い。この分野は偽造品も多いが、特に丁銀や一分銀には気を付けたい。銅製の偽造品が横行している。

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江戸期の地方銭
マニアックな手替わりや地方ごとの細分類など奥が深い。このあたりの担い手が激減しており、新世代のコレクターはほぼ皆無と言える状態になりつつある。

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新一圓銀貨
我が国最高峰の傑作銀貨。通称、円銀。それゆえにコレクターを騙す目的で造られた精巧な偽造品が大量に出回っている。初心者は、値が張ってもスラブ入りや組鑑付を狙うのが良いかもしれない。近年のオークションでは、高評価品を求めて白熱戦が毎度繰り広げられている。中国のコレクターは、この龍の図が好きで熱心に日本の円銀を買っている。龍は日本でも人気のある神獣だが、中国ではもっと馴染みが深く、神秘的で縁起の良い動物として極めて人気がある。

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貿易銀
世界が取引で利用するメジャー貿易銀になることを夢見て造った我が国日本の渾身の作。品位は円銀同様銀.900だが、重量が27.2gと若干重くなっているのが特徴である。近年、価格の急高騰で修正品以外手頃な値段では手に入らなくなっており、Details評価のものでも高額である。

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天保一分銀/メキシコ8レアル銀貨
天保一分銀は比較的入手しやすい上、手代わりが非常に豊富であることから人気が高い。額縁に打たれた桜によって細かな分類がされている。いわゆる逆桜というもので、この逆桜の位置にアルファベットを便宜的に与え、分類を行っている。天保一分銀でもこの細分類によっては、高額で取引される。また、天保一分銀の他、庄内一分銀なども存在し、こちらは高額品として扱われる。天保一分銀は品位が高く、銀.988とほぼ純銀に近い純度で造られている。当時は天保一分銀3枚で、メキシコの8レアル銀貨と交換できた。メキシコの8レアルは信用度の高い貿易銀として、当時世界に広く流通していた。

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慶長大判
1601年に発行された初めての大判。その記念すべき背景から極めて高額で取引される。それゆえ、書改(かきあらため)と呼ばれる墨書きを後から加筆したものも存在するので注意を要する。薄くなった墨書きの見栄えを良くして高値で販売するためにかつてこのようなことが行われた。現在は、現状維持を理想とする方針に考え方が変わっているため、洗いはもちろん貨幣に加工を加える行為は御法度であり、価値を大幅に下落させるものとなる。

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元禄大判
1695年の貨幣改鋳で登場した大判。江戸時代の和暦元禄に発行されたことから元禄大判と呼ぶ。発行枚数は31,795枚または30,240枚と記録されている。江戸時代の大判の中で比較すると発行枚数は多い方である。とはいえ、現存品は数が限られているため、オークション等で高額で取引される。粗悪なものから精巧なものまで、偽造品が数多く存在する。品位と重量を合わせた悪意ある偽造品も横行しているが、面構えや色味が真正品とは大きく異なり、大抵の場合一瞬で見抜くことができる。

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元禄小判
1695年の貨幣改鋳(江戸では吹替えと呼んだ)で登場した小判。市場で利用されていた慶長小判が90年近く流通しており、耐久性の限界を迎え修繕が必要とされていた。そうした経緯で登場したのが元禄小判である。また、幕府は改鋳によって得られる差額利益を目的ともしていた。従来通り額面は一両で流通させたが、品位は金.564と慶長が84%を超えていたのに対し、だいぶ品位を落としており、この品位差が幕府の収益となった。

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天保小判
最も見かける小判であるが、状態が良いものとなると、やはり数は限られてくる。品位は金.568とK12程度を保っているが、重量が11.2gと大幅に軽減されている。最も見かけることから小判の代表格として知られるが、その分こちらも偽造品が非常に多いので注意したいところである。

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万延大判
品位は金.363とだいぶ低い。構成要素の6割以上が銀であり、その他は貴金属意外の銅や不純物が入っている。のし目と呼ばれる表面の加工が美しい。その他の大判はたがねと呼ばれる細い横線が入れられていることに比べると目を惹く。

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万延小判
品位は金.573と半分程度で、重量は3.3g。歴代の小判と比較するとだいぶ小さく軽くなっている。とはいえ、現在のマーケットではだいぶいい値段で取引されている。最後の小判というブランドも相まってコレクターから根強い人気を集めている。

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貨幣袋
発行後、コインはこうした貨幣袋に入れられ一定期間保管される。スペインの5ぺセタ銀貨などが、MSでありながらもフィールドに流通痕とは異なる細かな傷が多いのは、この袋の中でコイン同士が擦れあったことによる。

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パズルコイン
パズルのピースの形状をした貨幣。非常にユニークで面白い。

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形が珍しい貨幣
ジャンルで分けて展示しているのが興味深い。確かにこのような見方をすると新しい見方ができるかもしれない。

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デザインが珍しい貨幣
個人的にかなり興味を持ったテーマである。中でも時に印象的だったコインを下記で紹介する。

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個人的にかなり印象に残った銀貨。クワガタという珍しいモティーフが描かれている上、発行国がポーランドという点も意外だった。そして、銀貨特有の美しいトーンがかかっており、それもまた印象深い要素のひとつである。

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古代ギリシア・ローマの貨幣
ハンマーコインと呼ばれ、鋳造でなく打造されている。極印をハンマーで金属に一枚一枚打ち込んでいく手法で造られている。非常に手間のかかる製造方法だが、彫刻が鮮明な特徴を持つ。ちなみに、ここに一枚だけ古代ギリシア・ローマではない貨幣が混じっている。中世ビザンツ帝国の銅貨が入り込んでいる。

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シチリア等の人面牛ゲラ、南イタリアのアポロンと鹿を描いたコインなどが特に目を惹く。これらは小さな額面であり、意外にも珍しい。現存数が多いのはテトラドラクマ銀貨などの高額面の貨幣であり、頻繁に使用されたことから摩耗して溶かされた小額面の貨幣は意外にも残っていない。

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共和政後期と帝政初期五賢帝時代のデナリウス銀貨。ハドリアヌスのデナリウスのトーンの出方は珍しく興味深い。一枚だけエッジにギザのあるデナリウスがある。これは共和政期に一定の期間だけ発行され、その後このような形状でコインが発行されることはローマではなかった。文献等に記録がなく、理由は不明だが、おそらく偽造防止対策と考えられている。エッジに切れ込みを入れることで、地金を削り取る不正行為を阻止する意図と推測されている。

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帝政初期の五賢帝時代、帝政後期の軍人皇帝時代とコンスタンティヌス朝の銅貨群。一枚だけ中世ビザンツ帝国で発行されたヌムス銅貨が混じり込んでいる。アルファベットのフォントが太いのがビザンツの貨幣の特徴で、フォントの違いから一目で分かる。十字架の模様もデザインに大々的に組み込まれており、皇帝を神とした古代ローマ帝国ではあり得ない構図である。左側下から2番目が混じり込んだビザンツのコインである。

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名作絵画シリーズ
フェルメールやゴッホ等、著名作家の名作がコインへのカラープリントという特殊技術で表されている。爪などで引っ掻くとこのプリントはすぐに剥がれてしまうデリケートなものであるため、取り扱いが難しい。カプセルからは原則出さずに扱うのが望ましい。ビニル製のケースに入れて保管しておくと、プリントがビニルにこびり付いて剥がれてしまうことがある。プリントコインは熱にも弱く、加工品としての利用も難しい。とはいえ、扱いは難しいものの、それに勝る魅力を秘めたコインだとも言える。

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黄金の古代エジプトシリーズ
ツタンカーメン展を記念して造られた金貨。ツタンカーメンの黄金のマスクを始めとして、古代エジプトをモティーフとした秀一なデザインが目を惹く。古代エジプトでは物々交換が主流であり、エジプト人がエジプトを治めていた頃はコインが発行されることはなかった。エジプトにコインが流入したのは第三中間期頃であったが、この時も貯蓄が主たるもので一般的な市場取引で利用されることはなかった。エジプトでコインが発行・利用され始めるのは、マケドニアの王朝のひとつプトレマイオス朝であり、プトレマイオス1世ソテルによって行われた。ギリシア系の一派として古くからコインに慣れ親しんでいたマケドニア人は、エジプトにもこれをすぐに導入した。


以上、造幣博物館の展示品を駆け足だが紹介した。写真を掲載し紹介をしてみたものの、実物を観るのが何よりも勝る。「百聞は一見にしかず」という言葉があるが、まさにその通りである。造幣博物館では撮影も許可されているので、貴重な資料収集の場としても大いに意義がある。写真を撮りに行くだけでも価値があると言える。元に私自身、貴重な画像サンプルが入手でき、鑑賞の喜びに加えデータが取れたことに浮き足立つような心地だった。特にエッジの写真は資料が少なく、大抵が表裏の写真のみであるため、自身で自由に撮影できることは大変ありがたいことである。まだ行かれていない方には、自信持ってお勧めできる場所であるので、ぜひ一度足を運んで欲しいと願う。


Shelk 🦋


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