他人との差異を言語化し、受け入れる①
「多様性」や「アイデンティティ」が注目されてきている。
自分はこれまでの人生で「アイデンティティ」の形成につながる珍しい経験をした。
それは「国籍を変える」ことだ。
「他人との差異」という観点から、国籍変更に至った経緯を言語化したい。
1.「違い」への恐怖とアイデンティティに関する気づき
地元から離れ、大学に入り、様々な人と接するまで、
他人と比較したときの自分自身の「差異」について
考えることを無意識に避けていたように思う。
それどころか、幼い頃には「いかに周囲の人に馴染むか」ばかりを考えていた。
これらの背景には、自分の生い立ちが関係しているような気がする。
自分は2歳の時に来日し、日系外国人の両親に育てられた。
家庭内環境(言語/食事/習慣/考え方)が友人たちと違うということに
小学校低学年あたりで気が付いた。
その中で自分を最も苦しめたのが、
日本人と同様の見た目をし、日本語だけを話し、日本の文化に染まっている自分が、「外国人である」という事実だった。
片言の日本語を話す両親の姿を友人に見られるのもとても嫌だったし、
家に遊びに来た友達に、両親の母語で書かれた雑誌を見られるのも嫌だった。
「自分が外国人である(他人と違う)ことを知られることで、仲間外れにされるかもしれない」
という恐怖もあったが、それ以上に
「自分は日本人である」という実感と「自分は外国人である」という事実の乖離が自分にとって受け入れがたかった。
多くの日本人と共通の特徴を持つ日系外国人の見た目も相まって、
「自分のアイデンティティ(よりどころ)って何なんだろう」と考えるようになった。
今思えばこれらの体験をきっかけにして、アイデンティティについて色々と考えるようになったように思う。
(つづく)
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