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はつ恋・白ゆりのような女の子/野比のび助の青春①

のび太のパパ、野比のび助。うっかり者のイメージがあるくらいで、普段はそれほど脚光が当たることもないキャラクターだが、実は、彼の若き日のエピソードは胸を打つものばかりなのだ。そこで、のび助の青春時代のエピソードを総ざらいして、のび助はいかにのび太のパパとなったかを検証していく!

「野比のび助の青春」と題して全4回の連作となる予定。

まず、のび太のパパの名前について確認しておこう。いまや「のび助」で有名となっているが、初期ドラではなかなか本名が明示されなかった。

『地下鉄を作っちゃえ』(1973年12月号発表)という自宅と会社とを繋ぐプライベート地下鉄を作るお話があるが、この時のび太から定期券をプレゼントされており、そこには「野比のび三・36才」の記載がある。

この後名前は変わってしまうが、おそらくここが初めて名前と年齢が登場したシーンとなる。ちなみに掲載誌は「小学一年生」だったから、のび太は30歳の時の子供、ということになるだろうか。

ここで、最初のころ名前が明かされなかったことで、少々おかしな事態が起きているので、紹介しておきたい。

『地下鉄を作っちゃえ』の約一年前、1972年8月号で発表された『ぼくの生まれた日』で、のび太の名前の由来をのび助が語っているシーンがある。ここでは、伸び伸び育って欲しい、とそういう願いを込めて付けた名前だとしている。

この時点では、まだパパの名前が明らかではなかったので、「いい話やなあ」と思って読んでしまうわけだが、冷静に考えるとちょっと納得がいかない。

実際のパパの名前はのび助だと後に判明するが、ご先祖にも、のび左ェ門やらのびろべえなどの名前が登場している。

つまり野比家を継ぐ男性は、「のび~」と名前につくのが伝統なのであって、パパが「伸び伸び育って欲しい」と言っていたようなオリジナルな理由ではなかったのである。正確には、自分のように伸び伸び育って欲しい、とするのが良さそうである。

と、のび太の命名問題はこのくらいにして、具体的なのび助の青春エピソードを見ていきたい。

『白ゆりのような女の子』
「小学四年生」1970年6月号/大全集1巻

まず本稿では、初めてのび助の過去が描かれたエピソード『白ゆりのような女の子』を取り上げる。戦時中・疎開先での辛い体験と、美しい初恋の思い出が重なり合う名作中の名作だ。

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パパの思い出話からスタートする。昭和20年6月10日。太平洋戦争末期、日本の都市は毎日のように空襲に遭い、子供たちは田舎へと非難していた。学童疎開である。

勉強などできる状態にはなく、防空壕掘りや、畑作りばかりやらされていた。食糧難でいつも腹を空かせる辛い日々だった。そんなある日、夕暮れ近い河原で、その子に会った。色が白くて髪は長く大きな丸い目をしていた。

そう、例えるとしたら、白ゆりのような人だった。

パパはその少女から自分を労わってくれている気持ちを感じ、そして一枚のチョコレートを貰ったという。そのチョコの美味しかったこと。

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「もう一度会いたい」とパパが思い出に耽っていると、ママが「誰に?」と部屋に入ってくる。ドラえもんは、

「きれいな女の人。花に例えれば、白ゆりだって」

と、ママに誤解されること間違いなしの言い方で告げ、案の定大騒ぎとなる。

のび太とドラえもんは、写真を撮ってパパにプレゼントしよういうことで、タイムマシンでパパの学童疎開の場所まで向かうことにする。


ここからは、戦争の辛さや悲惨さが、淡々と描かれていく。藤子作品には、反戦を大きくテーマに掲げた作品はほとんどないのだが、本作のような淡々とした作りの中で、自然と戦争など無意味なのだということを理解させる仕組みとなっている。

疎開先の寺に行くと、子供たちは不在で、代わりに住職が「もう勉強どころじゃない。子供まで食べ物作りにかり出して・・・、日本はどうなるんじゃろ」とお経を唱え始めている。

畑に向かうとギラギラした太陽の陽を浴びて、フラフラになりながら畑を耕しているのび助たち。ちなみにこの作品ではパパは野比と呼ばれており、のび助の名前は登場していない

先生にへっぴり腰を指摘されると、腹ペコと手のマメのせいだと言い訳するが、いきなりビンタを食らわされる。

「それぐらいなんだ。戦場の兵士のご苦労を思え!」

と、無茶苦茶である。しかも、休憩時間となるが、のび助に対しては休み返上で耕せと命令してくる。

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その様子を怒りと哀れみの感情で見ているのび太たち。やがてのび助は気絶してしまう。そこで、のび助を木陰で休ませ、のび太が身代わりとなることにする。何せ、のび助とのび太は瓜二つなのだ。

のび助となったのび太は、「スーパー手ぶくろ」で一気に畑全体を耕しにかかる。

「白ゆりの女の子はどこだろ」
「あれは夕方川原に出るんだよ」

とまるで幽霊が出るかのような会話をしていると、あっと言う間に作業は完了。

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そこに先生がやってくる。一人で全部耕したことを自慢しようとすると、先生は有無を言わさず思いっきりビンタをしてくる。

「この女みたいな長い髪はなんだ! 男子は丸刈りに決まっとる」

と、またも無茶苦茶。そして暴力的だ。さっきまで丸刈りだったんだから、「お前は誰だ!」と怒るのならまだ納得はできるのだが・・・。

ドラえもんは尻尾を引っ張って姿を消し、先生の目を盗んでのび太を丸刈りにする。後で戻してやるといいながら。先生は、一人説教を続けている。

「この重大な時局に、我ら、一億国民は、総力を結集し、米英撃滅。尽忠報国!うちてしやまん!・・・」

するといつの間にか髪は丸刈りになっている。そして畑は全て耕されており、今度は「立派である。それでこそ日本男児である」と手のひらを返すのであった。

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このあたりはギャグのようにもしているが、実際この先生の発言などは、ギャグ同然なのである。精神力のみで戦争に勝とうという、笑うに笑えないスローガンのもと、大勢の人間が死んでいった。それが太平洋戦争であった。

戦争末期では、日本全国への空襲と、沖縄戦、そして広島と長崎の原爆投下で、一体何万人が命を落としたのだろうか。終戦の決定が半年早かっただけで、かなりの数の国民の犠牲が減ったのではないか。そう考えると、精神論を振りかざして戦争を続けた罪は相当に大きい。


さて、木陰で休んでいたのび助が目を覚まし、仕事をサボったことでどんなに叱られるかと考えて、そこからゆく当てもなく逃げ出してしまう。のび太たちはのび助を見失ってしまうのだが、おそらく川原に現れるだろうと、先回りして向かう。

川原では、まだパパも女の子も姿を見せていない。待つことにするが、その間ドラえもんはのび太に「毛はえぐすり」をかけて髪を戻すことに。

そして陽が落ちて辺りが暗くなる。二人が姿を現わさないので、のび太がウロウロと様子を伺っていると、ボチャっと肥溜めに全身突っ込んでしまう。川で洗っても臭いが取れず、脱臭剤を体全体に振りかけ、濡れた服の代わりに着るものをドラえもんは探しに行く。

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肥溜めだと、見る人が見ればわかる描写となっているが、詳しい説明はしていない。おそらく本作掲載当時は、肥溜めの存在は、注釈なしで理解できるほど身近な存在であったのだろう。

ちなみに、本作の五か月後に描かれた『のび左エ門の秘宝』では、今度はドラえもんが肥溜めに落下している。こちらでも説明はなしであった。

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ドラえもんがいない間に、のび助が川原に姿を現わす。のび助は、川に向かって「お母さん、僕死んでしまいたいよ」と涙を流し、入水自殺を図ろうと川へと歩き出す。その様子をみて「話がちがう」と大慌てののび太。

確かにパパの思い出では、川でタオルか何かを洗っているような描写であった。これほど切迫していたとは聞いてない。

とここで、全ての伏線が一気に回収を始める。毛はえ薬が効きすぎて、のび太の髪の毛が女の子のように長くなる。ドラえもんが持ってきた服はなんと女の子用のワンピース。眼鏡を掛けたのび太は、大きな丸い目をしている。白ゆりのような女の子とは、のび太のことであったのだ。

もっとも、色白という部分はしっくりこないのだが、野良仕事ばかりしているのび助と比べると、現代っ子ののび太は相対的に色白だということかもしれない。もしくは全身にかけていた脱臭剤が白い粉っぽかったのだろうか。

あと、チョコレートについては、なぜか持っている、という特に伏線の無い形で投入されていた。。


さて白ゆりの女の子になったのび太は、川の中にいるのび助に声を掛け、チョコレートを渡す。それを写真に収めるドラえもん。冒頭のパパの思い出で描かれていた少女漫画風の女の子が、実は女装したのび太であったわけだが、これほどに思い出は美化されるものなのだ。

写真を撮って現代へと戻ってきたドラえもんたち。写真は撮れたが、映っているものは、思い出とはかけ離れているように思えてくる。パパは、ママに白ゆりの女の子について語っている。「いい話ねえ」とうっとりするママ。遠い目のパパ。

のび太たちは撮ってきたばかりの写真をビリビリにしてしまう。

「思い出は、美しいままにしておいてあげよう」

のび助の初恋は、心のシャッターで映し出されて、パパの中だけに美しくしまわれているのである。

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野比のび助の青春は、まだ始まったばかり! 次回に続く。

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