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西部劇+探偵もの の意欲作!『かけろセントール』/藤子Fキャラ×西部劇③

「かけろセントール」
「たのしい三年生」1961年4月~9月号

西部劇を愛したF先生は、色々な作品で西部劇をモチーフにしており、例えば「オバケのQ太郎」などでも、映画を撮影するエピソードがあるが、題材は西部劇であった。

しかし、西部劇をそのままマンガ化した作品は、おそらくこの一本だけだろうと思われる。それが「かけろセントール」である。

掲載誌の「たのしい三年生」は、講談社から出版されていた学年学習誌である。F先生は20代中ごろは講談社の「たのしい○年生」を根城に活躍されていて、様々な連載や短編を執筆されていた。まだ小学館がベースではなかったのである。

掲載誌から、本作は小学三年生向け作品ということになるが、それにしては西部劇という渋いテーマを選んだものである。第一回目の表紙のコピーには、

せいぎのピストルが火をふく、うしとカウボーイのせいぶに・・・。
あたらしくはじまった せいぶげきまんが

とある。

西部劇は1950年~60年代に大量に製作された映画の一大ジャンルで、日本でも日活などが積極的に和製西部劇を作っていたし、イタリア製のマカロニウエスタンというジャンルまで現れ始めた。つまり、今思えば渋い題材ではあるが、この当時は小学三年生でも理解できるジャンルであったのだ。

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本作のタイトルとなっている「セントール」とは、ケンタウロスの英語読みのこと。ケンタウロスはギリシャ神話に登場する下半身が馬の獣人で、一説には牛を集める者という意味もあるとされる。表紙扉のコピーにある「うしとカウボーイ」のうしと関係性があるのか、ないのか・・。いずれにせよ、いい馬の名称を考えついたものである。

主人公はセントールを乗りこなすカウボーイのレックス=ドイル。彼はアメリカ連邦の監察官、役人である。ドイルの助手がまだあどけない少年ビリーで、彼が読者の目線となるキャラクターだ。ビリーの愛馬の名はヒロン

レックス=ドイルの名は、おそらくレックス・スタウトと、コナン・ドイルの合わせ技であろう。レックス・スタウトは、NYで活躍する私立探偵ネロ・ウルフのシリーズを書いたことで知られており、シャーロック・ホームスのコナン・ドイルと匹敵する人気を誇っていた。探偵小説が好きなF先生らしいネーミングである。

本作はカウボーイを主人公としたした西部劇だが、主人公の名前からも分かる通り、事件を解決していく探偵もののようなテイストにも溢れている西部劇+探偵ものというF先生の大好きを詰め込んだ作品なのである。


全部で6回連載されたが、なんとなく中途半端な期間ではある。「たのしい小学三年生」では、本作の前に「名犬ラッシー」が全12回で連載されていたことを考えると、あまり人気が上がっていかなったことも想像される。

ここで、各話のサブタイトルを掲載しておこう。

1961年4月号 『愛馬セントール(1)』
1961年5月号 『愛馬セントール(2)』
1961年6月号別冊付録 『ゆうれい峠』
1961年7月号 『キューピッド=サム(1)』
1961年8月号 『キューピッド=サム(2)』
1961年9月号 『西部の悪魔』

西部劇をテーマにしているが、内容は多岐に渡っている。『愛馬セントール』は、保安官も手を焼く悪徳市長を調査、対決し捕まえる話。『ゆうれい峠』はそこを通るとゆうれいが現れて財産が奪われてしまうという峠の謎を解明する話。『キューピッド=サム』は心臓を一撃する人殺し・サムと対決するストーリー。『西部の悪魔』は、インディアンが恐れるというUMAサスカッチとの対決ストーリー。

サスカッチは、サスクワッチとも言われているビッグフット系の獣人型UMAである。『ゆうれい峠』では犯人は人間であったが、サスカッチは、本当に存在するということで話が進む。F先生の作品では、たいてい幽霊は偽物でUMAは本物というのが定番なのだが、「かけろセントール」の頃からそのパターンは確立していたようである。

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本稿では一番西部劇っぽい『愛馬セントール』を見ていきたい。

連邦監察官のレックス=ドイルは、不正な市長選挙が行われた疑惑のあるボラント市にビリーと共にやってくる。愛馬はセントール、白い毛並みの賢い大馬である。

町に着くとさっそくごろつきに襲われるが、難なくやっつけるドイルたち。彼らが凄腕であることが最初から明かされる。最初に尋ねたのは、町の保安官事務所。保安官は市長の不正選挙は調べたが証拠は出てこなかったこと、この事件の調査に関わると命を落とすケースが多発していることを述べて、ドイルたちに協力しようとはしない。

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一方、市長はドイルの腕を警戒し、西部一のピストル使いを自認するマン=ハンターを呼び寄せる。やはり西部劇に強敵は欠かせない。ドイルとビリーは半ば無理矢理にホテルに泊まることにするのだが、そこでも外から悪党に不意打ちされ、セントールの活躍で難を逃れる。もう一人(一匹)の主人公セントールの賢さもここで明示される。

市長の対立候補者は、選挙の前日に殺されたのだが、その犯行現場となった町はずれの空き家に調査へと向かうドイルたち。そこでは通常使われない50口径の弾丸を拾う。犯人は規格外の大型拳銃の持ち主であることが判明する。

と、その小屋をぐるりと囲む悪党たち。銃撃戦となるが、腕前は断然ドイルたちの方が上手。しかし、火薬を詰め込んだ樽での攻撃に遭って小屋は大破し炎上する。落ちてきた梁に下敷きとなってしまうドイル。少し前まで余裕だったのに、一気にピンチへと追い込まれてしまう。

ここまでが前半戦である。

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絶体絶命のピンチに陥ったが、そこに保安官が駆け込んでくる。悪党たちも保安官には直接手出しはしない。夜を待って、改めてドイルを襲撃することにする。

保安官とホテルに戻りドイルはけがの手当てをするのだが、腕をやられて5~6日は銃を持てない状態となっている。そしてホテルの周囲には悪党どもの姿が見せ始める。保安官は多勢に無勢と、この件にこれ以上関わろうとはしない。

陽が沈もうとする頃、手負いのドイルは保安官事務所へと向かう。この町で一番安全な場所、監獄の中に泊まろうというわけである。そこで一晩過ごし、そこで大型拳銃の持ち主はマン=ハンターであることを保安官から教えてもらう。

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翌朝、腕に包帯を巻いたドイルと、マン=ハンターとの一騎打ちとなる。「その手でどう戦うのか」とマン=ハンターは高笑い。ところが、いざ対決となると、ドイルの包帯を巻いた手から銃弾が飛び出し、マン=ハンターは撃たれ倒れる。ドイルは包帯で銃を巻き、辛うじて動かせる指で引き金を引いたのである。

マン=ハンターを倒された市長グループは総攻撃を仕掛けてくるが、保安官は叫ぶ。「この町は警備隊に囲まれているぞ」と。その証拠に、大量の銃撃が市長グループを襲う。市長たちはそこで観念して自首してくるが、大勢の警備隊というのは嘘で、家の柱などに括りつけていたピストルの引き金につなを結び、それをセントールが引っ張って大勢による銃撃だと思わせたのだった。

これにて一件落着、次の現場へと向かう、セントールたちであった。

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まず、ストーリーが良くできている。典型的な西部劇の舞台設定に、監察官という立場で、事実を調査する探偵もののフォーマットを加味している点も目新しい。ただ、銃撃シーンなどのアクション描写は、F先生の丸みを帯びた絵柄なので、ちょっと迫力不足なのは否めない。このジャンルは安孫子先生の「シルバークロス」などの方に一日の長がある。

なお、変化球であるが、F先生には、西部劇を劇画タッチで描く「西部劇パロディ」のような短編が存在する。これを次回取り上げたいと思う。


藤子F先生の初期作品やマイナー作品なども少しずつ記事にしています。ご興味持ってもらえたら、下記リンク集からご一読下さいませ。


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