見出し画像

誰もがみんなエスパーに憧れる/藤子F超能力入門①

誰もがみんな、エスパーに憧れません?

もし自分が超人的能力を得ることができたら、その力を使って空を飛んだり、悪者をやっつけたり、未来を予測したり、人の心を読み取ったり、やりたいことがたくさんある。

子供の頃は本気で超能力が欲しかったし、それは大の大人になった今でもそう。だからマーベルとかのスーパーヒーロー映画を、公開初日から見に行ってしまうのだ。


藤子作品のそのほとんどが、超能力を描いたお話といえる。直接的にエスパーを主人公にした「エスパー魔美」だけでなく、パーマンセットやひみつ道具を超能力代わりに使うこともあるし(パーマン、ドラえもん)、魔法や科法を使うこともある(ジャングル黒べえ、チンプイ)。

藤子作品の代名詞「SF(すこし・ふしぎ)」は、そうした異能力を獲得した人々の物語であるのだ。


ところが、超能力を得ることの多い藤子作品の主人公たちは、その能力を使いこなすことはほとんどない。力を発揮するために努力が求められたり、力を持つがゆえの失敗があったりする。また、逆に力に振り回されて結果損をするということも良くある。「ドラえもん」に頻出のパターンである。

超能力を題材にしても、力を得ることの楽しさ(憧れ)と、力を使うことの難しさ(怖れ)を同時に描いていくのがF作品の最大の特徴のように思う。

そこで全2回で、「超能力」に関するエピソードをいくつか紹介し、F先生の超能力への憧れと怖れを考察していきたい。まずは「憧れ」編から。


画像1

「オバケのQ太郎」『超能力入門』
「週刊少年サンデー」1966年13号/大全集4巻

まずはオバQの『超能力入門』から。本作はタイトル通り、超能力とは何かというテーマを描いたお話である。超能力についての「入門」編を意識した作品である。

冒頭、石林正太郎作「ぼくはエスパー」という架空の漫画を使って、主な超能力を紹介する。石林正太郎は、石森章太郎のもじりで、おそらくこの作中マンガは実際に石森氏が執筆しているものと思われる。

出てくる能力は以下(説明と共に)。

透視・・・壁など隔てたものを見る力
テレポーテーション・・・瞬間的に移動する力
テレパシー・・・心と心が直に話し合う、または人の心を読み取る
念動力・・・手を触れずに遠くから物を動かす力

とても良くまとまっている。また、ここではエスパーの定義を「他の人にない能力を持った者」としている。

このように、端的にエスパーの説明をした正ちゃんに対してQ太郎は、「正ちゃんがそれになるの? そりゃ無理だ、人並みのこともできないくせに」と完全にバカにする。

画像2

そこで正ちゃんは、実際にエスパーや超能力が存在するというウンチクを語りだす。これはすなわち、藤子先生のウンチクでもある。

アメリカのライン博士によると、「第六感」とか「虫のしらせ」など強弱の差はあれど誰にでも超能力はある。戦地の兵隊が死んだときに家族のもとに現れる、飛行機が落ちる夢を見たので乗らなかったら本当に事故が起きる、などの現象も報告されている。この他にもアプトン・シンクレアやノーチラス号でのテレパシー実験などについても記載がある。

一応注釈すると、ライン博士は、超心理学の父と言われる、超能力研究の第一人者ジョゼフ・バンクス・ラインのことで、ESPカードなどを用いて科学的に超能力のデータを集めた博士である。

ちなみにF先生は、こういった超常現象を、「いったんは信じてみる」という考え方をお持ちである。晩年に「ワンダーライフ」という雑誌で連載していた「藤子・F・不二雄の異説クラブ入門」では、その第五回目のテーマで「超能力」を取り上げている。

超能力を信じたい藤子先生だが、同時にこの中で「異説を唱える側には立証責任がある」として、超能力についての「うさん臭さ」について言及している。信じるのは自由だが、人を信じさせるにはうさん臭さを消して立証しなくてはならない、という考えである。

こうした「不思議」へのフェアな姿勢が、ある種いかがわしい超能力を題材にしているF作品が、節度を保てている最大の要因であろう。

画像3


さて本作は、超能力の定義や、超能力が実際にあるかも知れない、という説明にたっぷりとページを割いた後、今度は荒唐無稽な超能力にまつわるギャグを畳みかけていく。このギャグの畳みかけこそが、「オバケのQ太郎」最大の魅力である。

ざっとギャグを紹介しておく。

①ESPカードを次々当てていくが、ガラス窓に映っていたのを言っただけ
②小池さんがラーメンを食べていると透視する。・・・たいてい小池さんはラーメンを食べているが、確認するとお金が無くて食べていない
③パパを空中に持ち上げようとすると、ちょうど画びょうを踏んで飛び上がる。
④自分の決めたサイコロの目が出るように念じる実験で、Q太郎は50回振るがその数字が出ない。・・・「8」を出そうとしていたので。

正ちゃんは超能力実験に飽きてしまうのだが、Q太郎はその後本当のエスパーのように、念力や予知などができるようになる。調子に乗って超能力を使っていたが、それは姿を消したドロンパがいたずらで手伝っていただけだった、というようなオチで終わる。

画像4

ちなみに透明になってエスパーと勘違いさせるというネタは、「ドラえもん」の『エスパースネ夫』(80年7月発表)でも登場させている。


では流れで、「ドラえもん」でもこうした「超能力入門」をテーマとした道具が二つ登場しているので、これも簡単に紹介していく。

「ドラえもん」『エスパーぼうし』
「小学三年生」1970年12月号/大全集1巻

クリスマスパーティの出し物で手品を使って皆をアッと言わせたいのび太。ドラえもんは「エスパーぼうし」という3つの超能力を出せるというひみつ道具を貸そうとするのだが、これがクセモノで、相当練習しないと使いこなせないという。

画像7

3つの超能力については、こちらでも端的に紹介がされていてわかりやすい。説明は割愛するが、①念力(テレキネシス)②瞬間移動(テレポーテーション)③透視(クレヤボヤンス)の3つである。

それぞれ練習していく。「念力」では灰皿をパパに届けようとして、フラフラと動かしてパパの頭にゴインとぶつけてしまう。「テレポーテーション」では、トイレまで移動するよう念じるのだが、便器の方が飛んできて、ドラえもんの後頭部に直撃し、のび太は小便を漏らしてしまう(ここのシーンは、何度読んでも笑い死にする)。「透視」は簡単に成功し、スネ夫たちのかくし芸を事前に見てしまう。

画像5

このエピソードは「ドラえもん」でも最初の一年目に描いた初期作品で、その遠慮のないドタバタ描写もありつつ、連載一年目から超能力をテーマとしている点に注目しておきたい。


「ドラえもん」『10分おくれのエスパー』
「小学五年生」1982年2月号/大全集10巻

こちらも、すんなりとエスパーになれない、という作品。

ジャイアンが暴君ぶりを発揮し、のび太は正義の力が欲しいと願う。そう言うことならと、ドラえもんは「E・S・P訓練ボックス」というひみつ道具を貸そうとするが、のび太には無理だと引っ込める。「エスパーぼうし」とかなり似通った展開。

この道具は、①念力②透視③瞬間移動の超能力を育てることができる。ただし、一人前になるには毎日3時間訓練して三年かかるという。ここでも「エスパーぼうし」と、扱う超能力は一緒。

のび太は、途方もない時間がかかるような口ぶりだが、何か技術を習得するには3時間・3年間は決して大げさな時間ではない。楽器にしてもスポーツにしても手品にしても、このくらい当たり前の労力だ。そう考えると、この道具は比較的効率よく超能力を獲得できるものと思われる。

画像6

のび太は一通り3種の能力を練習するのだが、全て10分遅れで効果を発揮することに成功する。もう少し根を詰めて訓練すればよいものの、この段階でしずちゃんに超能力を見せて感心させようする。

だが、案の定、早くに結果を求めてしまって大失敗を繰り広げる。超能力でも、ビジネスでも、インプットしたものを生煮えのままアウトプットすると、こういうことになりますな。


皮肉にも10分遅れとなることで被害に遭うのはしずちゃんである。テレポーテーションでは、しずちゃんの家に移ろうとして源家のお風呂に飛び込んでしまう。のび太の中では無意識にしずちゃん家=お風呂という刷り込みがなされているようだ。

さらに透視ではしずちゃんの裸が見えてしまい、念力ではしずちゃんを空へとぶっ飛ばしてしまう。ジャイアンの悪党ぶりを制するために始めたエスパー訓練だが、結局ジャイアンには何もできず、代わりにしずちゃんが犠牲になるという酷いお話なのであった。

画像8

正ちゃんものび太もスネ夫も、みんなエスパーに憧れている。が、そんなにうまい話は転がってない、というお話でありました。次回は、「超能力への怖れ」について考察していく。


この記事が参加している募集

コンテンツ会議

マンガ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?