科学が心を貧しくしたのではあるまいか!『しつけキャンディー』/藤子F地獄めぐり③
悪いことをしては駄目。嘘をついては駄目。隠れて悪いことをしてバレなくても、お天道様は知っている。
そんな教訓を子供たちに伝えるべく、悪事の抑止力として「地獄」や「エンマ様」といった概念が生み出された、とされる。
地獄に落ちたくないという気持ちは別に子供たちだけに限ったことではなく、大人たちも死んだ後に極楽浄土へ行きたいと願って念仏を唱えたりする。
地獄なんて非科学的だと笑う人もいるかもしれないが、では、念仏を唱えることが科学的な行為と言えるだろうか。ご先祖様を敬えとか言うけれど、それって意味があることなのだろうか。
要は、科学的ではないから迷信だと言って切って捨てるのではなく、善い行いをする人間として、自分の信じた行動を取ることが肝要なのではないだろうか。
・・・とは言うものの、令和の子供たちは、地獄でエンマ様に舌を抜かれるから噓をついてはいけないと言われて、素直に従うほどピュアではない。
これは昭和の時代からそうであって、藤子作品に登場する「地獄」エピソードも、そうした世知辛い時代感がよーく出ているのである。
これまで、「キテレツ大百科」と「ベラボー」の地獄作品を記事化しているので、こちらのチェックをお願いいたします。
上記2作品は、地獄を作って悪事の抑止を図ろうとしたキテレツとベラボーが、真っ先に地獄に落とされる皮肉めいた展開を描いていて、その大枠はほぼ一緒であった。
本稿では、少し角度を変えて、「ドラえもん」の短編から地獄に関するお話を取り上げてみたい。
本作は、世の中知った風な顔をするスネ夫が、田舎から出てきた93歳のひいおばあちゃんをバカにするところから始まる。
本作が1979年の作品なので、単純計算でおばあちゃんは1886年、まだ日清戦争前の明治の生まれである。
明治時代の風俗は判りかねるが、今より科学の力が弱く、何が迷信かどうかなどという余計な情報も少なかったに違いない。スネ夫のひいおばあちゃんは、「悪いことはしてはいけないんだ」と心から信じるピュアな子供時代を過ごしてきたのである。
それを今の尺度を用いて、おばあちゃんの言うことはいい加減だと思っては失礼な話である。信仰と同じで、世の中が変わっても、自分が子供の頃に信じたことは、身に沁みついているものなのだ。
スネ夫はのび太やしずちゃん、ジャイアンをおばあちゃんの元へと連れて行き、「ウソをついた人間はどうなるんだっけ」と尋ねる。するとおばあちゃんは、神妙な表情で、
と語る。
スネ夫は本気で地獄なんて信じているんだと、笑い者にするのであった。
のび太は家に帰ってきて、地獄がないことなんて幼稚園生だって知っていると言って笑う。ドラえもんは「昔の人は嘘が悪いってことをそんな風に教えたんだよ」と説明するが、のび太は「エンマとか地獄とか科学的じゃないよ」と反論する。
ここでドラえもんが雄弁に、科学の発展と人間について大いに語り出す。
あえて大上段に発言しているが、これは藤子F先生の日頃から考えていることを発信しているように思われる。
後に大長編ドラえもんの「魔界大冒険」で、科学と魔法についての見解を明らかにしているが、何でも科学的という言葉で片付けては、人生面白くないと考えている節があるのだ。
科学論についてはともかく、おばあちゃんをバカにするのはけしからんということで、ドラえもんは「しつけキャンディー」という飴玉を出す。これはまだ理屈の通じない小さな子供向けに開発されたアメのようで、これを舐めてしつけ的な発言すると、その通りになるのだという。
さっそくおばあちゃんに舐めてもらって、その効果を見ることにする。
「衛星中継」でスネ夫の様子を伺うと、ちょうどママに叱られて、「うるさいなオニババ」と毒づいている。するとおばあちゃんが出てきて、
と、スネ夫をたしなめる。
「また始まった」と笑うスネオ、そしてママも「子供に迷信を教えないで下さい」と冷たく反応する。おばあちゃんは、「昔から言われてきたことなんだ」と言うと、スネ夫は「じゃ実験しよう、ママのバカバカバカ」と調子に乗る。
すると、スネ夫の突き出したクチがグニュと曲がる。焦るスネ夫に、おばあちゃんは、ママに謝るよう告げ、その通りにすると口の歪みが取れる。
この非科学的な状況を目の当たりにして、スネ夫のママは「科学的に言えば、一種の顔面神経痛ざます」と、無理やり納得させる。スネ夫はあまり納得できず、ショックを受けて自分の部屋へと戻っていく。
さてここまではほんの序の口。この後スネ夫はおばあちゃんの迷信を聞いて、その通りの酷い目に遭うことになる。
スネ夫は芸術に打ち込んで、くだらない迷信から気を逸らそうとするのだが、うまく描けずに絵具のせいにしてゴミ箱に捨ててしまう。それを見たおばあちゃんが、
と告げる。「ものが泣くなんていっぺん聞いてみたいや」とスネ夫がせせら笑うと、ゴミ箱の絵の具がシクシク、ウェーンと泣き出したものだがら、慌てて部屋から飛び出して行く。
ママに不可思議な事件について告げるのだが、「迷信は嫌いざます!」と一蹴されてしまう。スネ夫だけでなく、スネ夫のママの迷信を信じない姿勢が、ここでも強調されている。
夕飯を食べたスネ夫。相変わらず不機嫌なスネ夫がすぐにベッドに横になると、おばあちゃんが今度は
と注意する。フンとあしらうスネ夫はそのままベッドで眠ってしまうが、たちまちウシ人間に姿を変える。これを見たスネ夫のママは、「キャーッ」と悲鳴を上げる。
これは面白いことになったと、のび太とドラえもんはスネ夫の家に向かうのだが、スネ夫のママは、牛になった我が子を見せる訳にもいかず、スネ夫は留守だと嘘を吐く。
すると、おばあちゃんのセリフも無いままに、巨大なエンマ大王が舌を抜くペンチを片手に登場し、スネ夫のママは泡を吹いてひっくり返ってしまう。ちなみにこのエンマは、「キテレツ大百科」の『地獄へいらっしゃい』の姿かたちとそっくりである。
さて、これでもうおばあちゃんをバカにすることはないだろうということで、「しつけキャンディー」のドタバタはおしまい。
家に帰ると、のび太は相変わらず、ダラダラとテレビを見ている。ちなみに写っているのは、「サイボーグ009」だろうか。
ドラえもんは「たまには少しくらい勉強したらどうだい」とのび太に告げつう、「しつけキャンディー」を口にしようとする。ぐうたらのび太に、何かしつけしようということだろうか。
普通でいけば、のび太が痛い目に遭いそうなものだが、ここでのび太は機転を利かせて、ドラえもんからしつけキャンディーを掠め取って、そのまま口にする。そして、
と告げるのであった。
テレビの部屋では、超巨大なネズミが現われ、ドラえもんを凝視する。これでドラえもんをしつけようとのび太。このオチを読む限り、実際にある格言や言い伝えだけでなく、オリジナルな「しつけ」も現実化できるらしい。
「しつけキャンディー」は、「ソノウソホント」のような想像以上に万能な道具であったようである。
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