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キテレツ、地獄を作って地獄行き?『地獄へいらっしゃい』/藤子F地獄めぐり①

迷信
迷妄と考えられる信仰。また、道理にあわない言い伝えなどを頑固に信ずること。その判定の標準は常に相対的で、通常、現代人の理性的判断から見て不合理と考えられるものについていう。

広辞苑

昔からの言い伝えというものがある。それは、主に宗教的信仰から発せられるものだったり、民間療法的な発想であったりする。

その中には私たちが生活するにあたっての助言だったり、おばあちゃんの知恵のような有益な情報も含まれているが、まるで信じるに値しないような、一笑に付してしまうようなものも多い。

では、信じることのできることと、信じることのできないことの境目はどのような線引きがなされているのだろうか。信憑性のあることと、迷信で片付けられてしまうものの違いは何なのだろうか。


そこで、広辞苑で「迷信」を引いてみると、迷信か否かの判定基準は、「常に相対的」とある。つまり、言い伝えの類いを絶対的に迷信と断言できないというわけなのだ。

それを別の角度から捉えると、迷信か否かの判断基準は、時代やその時々の風俗によってコロコロと変わるということにもなる。何だかいい加減な話である。


さて、ある時代に信じられていたものが、徐々に信ぴょう性を失っていくことがあるわけだが、その中には「地獄に落ちる」というものがある。

嘘を吐いたら閻魔様に舌を切られるとか、悪事を働くと地獄に落ちるとか、地獄では針山を歩かされるとか、蟲に食われるとか、そういう類の話である。

地獄に落ちないために、普段から善い行いをしようという教訓があるわけだが、そもそも地獄の存在を迷信だと認識してしまうと、犯罪の抑止的効果は無くなってしまう。

大袈裟に言えば、言い伝えを「迷信」としてしまうかどうかで、生き方が変化してしまうということなのである。


少々回りくどい前置きとなったが、藤子作品では「地獄」をテーマとしたものがいくつか存在する。

子供向け作品で地獄が描かれば、それは悪いことをするなという躾けに関するお話となりそうなものだが、そうは問屋が卸さない。このご時世、子供たちにとっても、地獄に落ちるという考え方に乗り切れないからである。

そんな中途半端な犯罪抑止力としての「地獄」について考察を巡らせる作品たちを、3本の記事で追ってみたい。


「キテレツ大百科」『地獄へいらっしゃい』
「こどもの光」1976年7月号/大全集2巻

まずは地獄をテーマとした代表的な作品である「キテレツ大百科」の『地獄へいらっしゃい』を取り上げる。

言わずもがなだが、「キテレツ大百科」は、江戸時代の発明家キテレツ斎が考案した発明品を、現代の少年であるキテレツが一つずつ作っていくお話である。その発明品は、江戸時代に考えられたとは思えない未来的なものばかりだが、あくまで見てくれやアイディアなどは江戸時代に準拠したものになっている。

例えば、最初に作ったカラクリロボットのコロ助は、武士をイメージしたキャラクターとなっている。あくまで江戸時代のロボットなのだ。

そんな発明品の中で、最も規模の大掛かりなもの、それが「地獄」である。

血の池地獄や針山地獄など、一通りの地獄アトラクションも揃っているし、閻魔様がいて、牛頭馬頭(ごずめず)もいる。悪事を見渡せる浄玻璃(ジョウハリ)鏡なども設置してある。もはや発明品というレベルではなく、一大テーマパークと言えるだろう。

今となっては「地獄って何?」という話だが、江戸時代においては「地獄」は恐怖の対象であったに違いない。子供たちのしつけのためと考えた、キテレツ斎一世一代の大事業なのである。


地獄を作るきっかけとなったのは、ブタゴリラたちが野球のボールで近所の爺さんの盆栽を壊してしまったのに、自分たちではないと見え見えの嘘をついたことである。

お爺さんは「嘘をつくと、死んでから地獄に落ちて、エンマ大王に舌を抜かれるぞ」と脅すのだが、現代っ子であるブタゴリラたちに「ずれてるなあ」と笑われてしまう。

そんな様子を見ていたキテレツは、

「なるほどねえ。昔の人は地獄なんてものを考え出して、悪いことしないように戒めたんだな」

と、「地獄」の意図を見抜く。

そして、キテレツ大百科に「地獄」があったことを思い出し、大工事に取り掛かる・・・という訳なのである。


そうと決まったら、発明に熱中してしまうのがキテレツの性格。コロ助の話を一切聞かなくなって、くず鉄置き場から見つけたユンボウを改造してコンピューターを組み込み、キテレツの設計図に従って自動的に「地獄」を開発させていく。

場所は人目に付かない地下である。夜な夜な地下で工事をするので、その振動が町中に伝わって、皆に地震の予兆のように思われてしまう。一方のキテレツは、地獄で働くロボット作りに精を出す。エンマ様や牛頭馬頭である。

そうして月日が経って、地獄は完成、ようやく皆にお披露目となる。いかにも地獄も入り口といった門から地下へと伸びていく通路を歩いていくと、「地獄の一丁目」に到達。エンマ大王がにこやかにお出迎えしてくれる。


地獄と言えば死後の世界であるが、キテレツの作った地獄は、生きたまま、悪いことさえすれば来られる場所。どんな小さな悪事もジョウハリの鏡にバッチリ写り、それを見た牛頭馬頭が迎えに行く・・・という仕掛けなのである。

ご機嫌なエンマ大王が地獄を紹介する。「ご覧ください、この豪華な設備!」と言って鉄の門を開くと、「血の池」「剣の山」「灼熱地獄」「寒冷地獄」が揃っている。いずれも最新式高性能だと言う。

地獄を迷信だと笑っていたブタゴリラたちだったが、実際に目の前の地獄ができ上がってしまうと、それは途端に恐怖の対象となる。

キテレツは「しばらく僕らだけでテストしてみて、良かったら全国的に広げよう」と、構想を語る。もう一度「地獄」を悪事の抑止力とするべく復権させようというのである。


皆がスゴスゴと帰っていく中、コロ助は「酷いナリ」とキテレツに訴える。血の池で溺れたり、灼熱地獄で火傷をするかもしれないというのだ。

ところがキテレツは「しない」と一言。苦しめるのが目的ではないので、安全性は考えてあるという。

ただ、安全で苦しまない地獄に抑止力があるのか・・ちょっとよくわからないところだが、この懸念は遠からず当たってしまうことになる・・。


さて、地獄の体験者第一号は誰になるのか。暴れん坊のブタゴリラが有力候補だったが、何と嘘をついてお使いを断ったキテレツが選ばれてしまう。牛頭馬頭ロボットのひっ捕らえられ、エンマ様に「お客様第一号、いらっしゃいませ」と出迎えられる。

キテレツはこの程度でいちいち地獄に落とされてはたまらないということで、軽度の嘘などにはジョウハリの鏡が反応しないように調整する。キテレツは地獄のご主人様なのである。

キテレツは続けて、人のおもちゃを借りて夢中になりすぎてしまい、泥棒扱いされて再び地獄行き。ここでも夢中でやったことは咎めないように鏡を調節する。

「誰も来なくなるよ」とエンマ様は訴える。キテレツは「本当の悪人がきっと来るから」と言ってなだめすかす。


「変なもの作ったな」と後悔しているキテレツだったが、思わず纏わりつく蚊を潰してしまい、殺生の罪を咎められる。エンマ様は激怒して、今回ばかりは有無を言わさずキテレツを地獄へと放り込む。

「こんなバカな話があるかい。自分の造った地獄に落とされるなんて・・・」

と半べそをかきながら地獄の中を進みだす。

一方、ブタゴリラやみよちゃんたちは、地獄がどうなったか気になっていて、誰か連れていかれたかもしれないからと、見に行くことにする。

恐る恐る地獄に降りてみると、地獄から「ウギャアアア」という悲鳴が響き渡る。キテレツが地獄へと追い立てられているのだ。


人一倍ビビりなキテレツは、自分が作った地獄とは思えない程に騒ぎ立てる。だがここで、この地獄の安全性は必要以上であることが判明していく。

・血の池に落ちる → 色付き水の浅いプールなので溺れない
・灼熱地獄 → ぬるま湯にドライアイスの湯気
・剣の山 → ゴム製

やわい施設ばかりで、たとえ地獄に落ちたとしても、怖くもなんともないのである。

そんなキテレツを見ていたブタゴリラたち。感想はズバリ「面白そうだよ、僕らもやってみよう」と、体験型のテーマパーク扱いをする。

そんな彼らのはしゃぎっぷりに、エンマ大王たちもすっかりやる気を失った模様。「あほらしくなってきた」ということで、何と地獄は正式なフィールドアスレチック場に衣替え。

スリル満点地獄めぐりという触れ込みの大人気テーマパークとなってしまう。受付では、大人100円子供50円の入場料をエンマ様がいただき、牛頭馬頭がマスコットキャラのように出迎えてくれる。

大喜びの子供たちと、すっかり当てが外れてトホホなキテレツが対比されるのであった。


地獄は迷信。

昭和時代の「キテレツ大百科」でもそうなので、令和の時代にはもっての外ということだろう。



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