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オーストラリアで「死んだ」と思った

嘘じゃない。
2か月前、私はオーストラリアで本当に「死んだ」と思った。

仕事が終わった夜、バス停まで歩いていると車に轢かれた。
車が接近してくる数秒と轢かれる瞬間、そして地面に倒れこむ時、全部がスローモーションに見えて、私は死ぬのだと悟った。

気が付くと同僚が私の名前を呼んでいた。
私はどうやら生きている。

結局、緊急病院へ行くことになり、撮ったレントゲンには方足首の骨が二つにキレイに折れているのが映っていた。
全治3か月、業務停止が言い渡された。(私はウェイトレス)

その1週間後に手術をした。
全身麻酔の説明を麻酔の先生が一生懸命してくれたけど、私はもしかしたらこのまま一生目を覚まさないのかもしれない、など考えてしまった。
注射をいくつかして、点滴をいくつか繋げて、チューブから何かを吸引しながら5回ほど呼吸したら、私の意識は無くなった。


手術が終わり数時間後、私は目を覚ました。
点滴が何個か繋がっているのが見えるのと同時に、相当な吐き気がした。
ナースコールを反射的に押していた。
私は生きている。

外国で一人で手術を受ける娘を心配した母親が何十にも及ぶラインを入れてくれていた。「手術終わったよ」と連絡を入れるとすぐに既読が付いた。

そのまま病院で1泊入院することになっていた。
そして、病院で一人になったその夜、私は自分に誓った。

「いつどこで死ぬか分からない。いま、やりたいこと全部やろう」


それから、退院し家での療養生活が始まった。
そして自分に誓ったことを思い出す。
「やりたいことをやろう」



「やりたいこと」を考えた時にひとつ気が付いたのが、私は既に優先順位が高い「やりたいこと」は全てやり遂げているということ。

・海外留学(アメリカ)
・海外インターンシップ(東南アジア)
・海外就職(エアライン)
・国際恋愛
・海外一人旅
・オーストラリアに住む
・ヨーロッパに住む

ほら。
私が高校生の頃に思い描いた夢は10年の時を経て、全部現実になっている。
コロナに邪魔された3年はかなり惜しいが、私はその3年で学んだことも沢山ある。無駄にはなっていなかった。

今となればこの10年間、「やりたいこと」をやり遂げるために費やしたエネルギーとその強烈な熱に拍手だ。ありがとう自分。

と、なると次に私がやりたいこと。。。

それは、「いま」を生きること。



実は10年間で自分の「やりたいこと」を追うために犠牲にしたことがいくつかある。その中でも「いま」を生きることは特に蔑ろにしてきてしまった。

留学するのに、海外旅行に行くのに、海外移住するのに、英語を勉強するのに、バカほどお金がかかる。
と、なると、働きまくり節約しまくり貯金を頑張るのだ。
もちろん、欲しいものを買ったり、美味しいご飯を食べに行くこともほとんどなかった。(コンビニの100円コーヒーを買うのさえ躊躇うほど)

私は出来る限りの時間を「将来やりたいこと」の為に使い「いま現実」を生きれていなかった。

だから、私が今やりたいことは「しっかり現実を、いまを生きること」。

行きたいと思ったら、我慢せずに行ってみる。
食べたいと思ったら、少し高くても食べてみる。
これが着たいと思ったら、ご褒美と思って買ってみる。

私は療養中に少しづつ一個いっこ試していった。

すると、毎日が凄く現実味を帯びていくと同時に、自分の心もなんだか満たされていくように感じた。
もちろん足首の傷はまだまだ痛むが、事故により落ち込んだ気持ちは晴れ、気分がとても良くなった。



療養生活も2か月目に入った。
現実味を帯び、満たされた毎日を過ごせるようになってくると、次また「未来」を考えたくなってきた。

「わたし、次、なにがしたいかな」

26歳と6か月。
人生の新しい幕がここ、オーストラリアで開けた気がする。

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