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Prologue: 福岡純粋培養株が世界を目指すまでの話~欧州大学院博士課程進学~

こんにちは、Keiと申します。現在、大学院修士2年生(生命科学系)で、欧州の大学院博士課程への進学を目指しています。

本稿では、大学に入るまで留学の「り」の字も考えたことがなかった私が、どのような経緯で海外進学を目指すに至ったのか、題名通り「プロローグ」を綴っていきたいと思います。

未知との邂逅~爆買い観光客~

時は2015年(平成27年)。私にとって人生の転換点といっても過言ではない出来事があった。この年の流行語大賞『爆買い』観光客との遭遇である*。

当時の私にとって何よりも衝撃的だったのは、彼らの圧倒的なエネルギーだ。私の地元、「アジアの玄関口」こと福岡には、とりわけ多くの中国人観光客の波が押し寄せており、それこそ街中のあちこちで彼らの姿を見ることが出来た。中国の目覚ましい経済発展は新聞やニュース等で見聞きしていたものの、大量の買い物袋を引っ提げ、早口の中国語で場を支配する観光客の集団を間近で見て、この溢れんばかりの熱量が発展の原動力なんだろうなと納得するとともに、「こん人達がなんて言いよーとか知りたい!(この人達が何を話しているのか知りたい)」と心から思った。

そして、大学に入ってすぐ第二外国語として中国語を選択し、『自分にとっての未知を既知にする』為の第一歩を踏み出した。

*ちなみに2015年のもう一つの流行語大賞は、プロ野球の山田哲人・柳田悠岐両選手が受賞した「トリプルスリー

短期中国語留学@台湾

2018年の春休み、大学の派遣プログラムを利用して3週間台湾に留学した。
留学先は台湾師範大学という所で、午前中は少人数制の中国語の授業、午後は文化体験(太極拳・チャイニーズヨーヨー・台湾語など)や校外学習(九份・故宮博物館など)といった内容であり、短い期間ではあったが実践的な中国語をみっちりと学ぶ事が出来た。

この台湾留学で一番衝撃的だったのが、一番最初のクラス分けテストにて、面接官の先生の話す中国語が文字通り「ちんぷんかんぷん」だったことである。一応1年間勉強してから行ったはずなのに、暗記した自己紹介はすらすら言えたのに、相手が何を言っているのか1ミリも分からない。言葉が原因であれほど絶望した経験は、先にも後にもあれ以上のものは無い(と信じたい)。
ただ、実際の授業では担任の先生が初心者向けに分かりやすく話してくれたので、幸いにも絶望を感じる事は無かった。また、授業時間外の自由時間や休みの日も台北の街へ繰り出してばんばん実戦練習を積んだお陰で、短期間ながら「中国語での会話のレスポンス」が飛躍的に上がった事を実感出来た。

余談だが、どうもこのプログラム、結構な人気だったようで(噂によると選考倍率3~4倍)翌年から定員が2倍以上に増えた。

中国語と同じ位頑張って練習していたチャイニーズヨーヨー。
中国語名は『扯鈴(chělíng, チューリン)』。

中国に長期留学行きたい!でも自信が無い…

先に述べた台湾留学の志望理由書を書く際、添削してくださった中国語の先生のアドバイスで「大学在学中に、中国の大学への留学を目指す」という(超やる気MAXな)文言を入れた。
その時は正直なところ半分本気で半分方便だったのだが、実際に台湾で短期留学を体験してみたところ、「次はもっと長期で行って中国語ペラペラになりたい」という野望(?)が頭をもたげるようになった。
またちょうどその頃、卒論研究を行う研究室の配属先希望を考える時期に差し掛かっており、せっかく留学に行くなら自分の専門分野の勉強・研究も絡められたら良いなという考えの下、大学院進学後に長期留学に行く事を決意した。

当時の私は果たして自分が長期留学に耐えられるのかどうか自信が無かった為、なるべくサポートが充実している制度を使うのが良いだろうと考え、所属大学の交換留学制度を利用する事にした。

トビタテ!留学JAPAN奨学金に挑戦

ヒトの人生に於ける選択は、その重要度の大小に関わらず、時として偶然に大きく左右されるものである。私がトビタテ!留学JAPAN奨学金(そもそもトビタテ奨学金とは何か?という点についてはリンクの公式HP参照)に応募した直接的なきっかけは、研究室の先輩の「トビタテ受けんとー?」という、たった一言だった。

中国×研究留学×トビタテ=???

「院進後に中国留学に行く」という話はかねてより公言していたのだが、留学資金には所属大学の奨学金を利用するつもりであり、トビタテは受給額が段違いに多く、諸々のサポートも充実している魅力的な給付型奨学金という事は知っていたものの、選考倍率が高いこともあってどこか敷居が高く感じていた。そんな中、背中を押してくれる人が現れた事で踏ん切りが付き、「中国への研究留学」というテーマでトビタテに挑戦してみることにした。

トビタテ奨学金はとにかくボリュームが多い応募書類と厳重な選考過程で有名であるが、私の場合は元々が「中国行きたい!向こうで研究もしてみたい!」という大雑把な動機だったので、志望理由書の論理を組み立てる作業は相当『やおいかん(博多弁で"骨が折れる" "難儀する")かった。

トビタテの応募書類では、

 ➀自分自身で設計した、座学に留まらない実践活動を含む「学び」
 ②その学びを将来の目標・夢実現にどう繋げていくのか
 ③留学計画の実現可能性、準備状況
 ④グローバル人材として日本社会にどう貢献していくか

…といった多岐に渡る項目を首尾一貫した論理で説明し、自分自身が給付型留学奨学金を受けるに値する人物であることを証明する必要がある。

私の場合は、まず「留学ノート」を一冊用意し、留学を志すに至った経緯、興味のある事柄の変遷、将来の夢、キャリアプランといった事柄をつらつらと書き連ねていき、自分の中に何となくある「留学でやりたい事」のイメージを膨らませていった。この辺りは、企業就活でやる自己分析・業界研究からエントリーする会社を決めていく流れに近いものがあるのではないかと思う。
ある程度考えの整理とアイデア出しが終わったところで、WORD上に一度申請書類の記入事項を全て書き起こし、この草稿をトビタテ留学経験者の知り合い・留学課の職員の方・指導教員・家族・友人…など、思いつく限り沢山の人に見てもらって内容を精査していった。

自分の夢(物語)を曝け出すのには確かに勇気が要るが、一人で考え込んでいては絶対に浮かばないアイデアや観点が得られるし、何より複数人に見てもらう事でより客観的に分かりやすく自分の思いが伝わる申請書に仕上がるので、絶対に他人の目は通しておいた方が良いと思う。

留学ノート。この見開きは、書類審査の提出〆切3日前(!)に
留学計画を練り直した際の書き殴りである。よう間に合ったもんやなぁ…

最終的に出来上がった留学計画

そんなこんなで、苦心の末に完成した留学計画は『日中英トライリンガル×食&腸内フローラ研究で、人生“健康”100年時代を拓く研究者になる!~初陣@中国杭州~』というものである。
そもそも留学を志したきっかけである中国と、日本での所属大学で始めた腸内フローラ研究という2つの柱を中心として、より広い視点から、『世界の腸内フローラ研究を繋ぐ研究者型グローバルリーダーとなり、地球規模で人生"健康"100年時代の実現を目指す』という、何とまあ我ながら壮大なテーマである。

この留学計画を以て、あとはひたすら情熱でプッシュし、トビタテの一次審査(書類選考)と二次審査(個人面接・プレゼン・グループディスカッション)を無事に突破することが出来た。受入先の研究室探しが課題であったが、指導教員経由で中国・浙江大学の先生に受入許可を頂く事に成功し、あとは交換留学の学内選考を通過し、留学ビザが発給されれば渡航できる状態となった。

苦心の末にひねり出した留学計画の将来像
(トビタテ二次審査で使用したスライドの一部)

コロナ禍の煽りを食らい、やむなく留学先変更(中→蘭)

ところが、である。2020年に始まったコロナ禍は一向に収まる気配が無く、欧米諸国への渡航制限が緩和されはじめた2021~2022年になってもなお、私の留学予定先の中国は、留学ビザの暫定発行停止状態が続いていた。
こうした中、当初2022年1月に開始予定だった交換留学は次の学期へ延期となり、更に延期となった2022年9月開始の交換留学も中止が危ぶまれる状況に陥った。この時点で私の目の前にあった選択肢は以下の3つ。

 ①留学先を変えて、トビタテ奨学金で留学する
 ②トビタテ奨学金を諦めて、更に中国留学を延期する
 ③留学そのものを諦める

この時、もしトビタテの受給権を持っていなかったら、割とあっさり②や③を選んでいたかもしれない。しかし、私はトビタテ奨学金そのものに加えて、トビタテ同窓生で構成される「トビタテコミュニティ」に価値を見出していたので、①を選ぶ事に決めた。

新たな留学先を探すに当たって、指導教員が昔オランダのワーゲニンゲン大学 (Wageningen University & Research) に研究員として留学していたのを思い出し、微生物系の研究室で腸内フローラ研究のチームリーダーをされている知り合いの先生に連絡を取ってもらった所、訪問修士学生としての受け入れをご快諾いただいた。本邦ではあまり知られていないが、ワーゲニンゲン大学は農学や食品科学分野に於いて世界トップの研究教育機関である。

これにより、あくまで留学の軸は「腸内フローラ研究におけるグローバルリーダーになる為の経験を得る」という部分に立脚しつつ、留学先を中国からオランダに変える事に成功した。
(実はトビタテの留学計画変更手続きがこれ又まあまあ大変だったのだが、それはまた別の話。)

Wageningen University & Researchの論文数。質・量ともに、まさしく世界トップクラスである。
金間大介「オランダ・フードバレーの取り組みとワーヘニンゲン大学の役割」科学技術動向研究 |  2013年7月号(136号) より引用。

トビタテ腸内フローラ研究留学@オランダ

長期留学を決意してから足掛け5年。遂に研究インターンシップという形でオランダ・ワーゲニンゲン大学に留学する事が叶った。インターンシップの手続きが長引き、留学期間は当初計画の半年から3か月(2023年1~3月)まで短くなってしまったものの、長年の苦労が実を結び感無量であった。

初めてのヨーロッパでの(研究)生活は楽な事ばかりでは無かったが、ワークライフバランスを重視した社会、そして高度に分業化され、博士学生が主戦力として活躍する研究環境を実際に体験する事が出来、将来に向けての良い参考材料になった。
特に、日本では無給が当たり前の博士課程の学生「一端の研究者として扱われ」「給料を貰って」働いているヨーロッパの大学院の研究環境は、先述の良好なワークライフバランスを含めて非常に魅力的だと感じた。様々な国から研究者が集まる為、基本的に英語だけで日常生活や研究生活を送る事が出来るのもポイントが高い。

また、欧州の中心に位置するオランダの立地を活かし、ヨーロッパの8か国(蘭・白・独・瑞・仏・英・典・丁)を訪問する事が出来た。
スイスとスウェーデンに関しては、事前にメールでアポイントメントを取った上で現地の大学の研究室見学をする事も叶い、大学院博士課程の選考や研究生活について、先生方や博士学生さんからネットには載っていない生の声を伺う貴重な機会となった。

ワーゲニンゲン大学のランドマーク "Forum"。

"PhD"と、その先に広がる景色に憧れて

オランダでの研究留学を経て、私自身が夢中になれる事は何か、そして今後何を生業としたいのかを見つめ直した結果、私は自身の知的好奇心を満たす事に喜びを感じ、そして世界で今まで誰もやった事がないような発見や発明、つまり「0→1」な仕事がしたいのだと気付いた。
そう考えると、研究者こそやはり自分が目指すべき道なのではないかと思い至り、現在PhD取得を目指して海外大学院の博士課程進学に向けた準備を進めている所である。海外を目指している理由はいくつかあるが、『給料付きがデフォルト』であるという点と、研究の世界の共通語である英語に毎日どっぷり浸かる環境に身を置きたいというのが主たる理由である。

"PhD"とは、ラテン語 "Philosophiae Doctor" (Doctor of Philosophy, 直訳すると哲学博士) の略で、日本では「博士号」に該当する。研究者には大きく分けて「学界(Academia, 大学等の研究機関)」「産業界(Industry, 民間企業)」という2つの進路の選択肢があり、日本では企業の研究職は博士号の一歩手前の修士号が要件となっているところが多いが、世界的には民間企業の研究職でも博士号が求められる傾向が強まってきている。
更に、近年では「研究開発型スタートアップ」という選択肢も出てきており、必ずしも【博士号取得者=大学の教員】というキャリアパスで固定されている訳ではない。

私が目指す『PhD』は、ゼロから「自分独自の哲学(=Philosophy)」を構築してこの世に新たな見識をもたらす事を最低条件として、そしてそこから新たな価値を創出し、究極的には新たな価値観さえ浸透させるような存在である。少々おこがましいが具体例を挙げるとすれば、京大の山中教授が創出したiPS細胞は、「新たな価値観」を生み出した発見として最たるものであろう。

絵に描いた餅の様ではあるが、今後の計画として博士号は欧州の大学院で取得、その後ポスドクとしてアメリカや中国で数年間修行を積んだ後、日本に戻ってきて上に述べたような『社会に新たに価値観を浸透させる』級の研究者として日本・世界、学界・産業界を股に掛けて活躍したいと考えているので、どうか温かく見守ってくだされば幸いである。

                                  2023年6月25日 Kei


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