なぜ愛に見返りを求めてはいけないの?
私の夫は喜ばない男だ!
夫はバレンタインというイベントに一切の関心がありません。
それでもしつこい私は、この十数年間に何度かチョコをあげたことがあるんだけど、毎回まぁあっさりなリアクションでした。
そのリアクションの温度感をたとえるなら
「あなた宛の宅急便受け取っといたよ」
「あー、ありがとう」
って言う時ぐらいの「ありがとう」です(笑)。
ゆえに、ホワイトデーのお返しをもらったこともないのですが、私はこの一連の流れに毎度むなしさを感じていました。
「せっかくあげたのに今回も反応が悪かったな...」ってすごくしょんぼりするんだけど、要らないって言われてるのにあげたのは自分だし、何なら「私があげたいからあげてるだけだよ!」なんて自ら予防線も張りに行ってる始末。
でも本心では『口ではあんなこと言ってるけど、何だかんだ愛する妻がプレゼントをくれたら喜んでくれるもんじゃないのかな?』という期待があったんですね。
「喜んでほしい」という気持ちの真相
じゃあ、なぜ私はそこまでして夫に喜んでほしかったんだろうか?
その気持ちをつきつめると、こんな風に分解できました。
そこで、「あ、これ、私のエゴなんだ…」と気づきました。
「わあ!」「嬉しい!」「ありがとう!」などの言葉や態度がなければ、夫からの愛を実感することができなかったんです。
さて、そんな気づきから「見返りを求めない関係でありたい」と思うようになったのは一歩前進…だったのですが、頭では理解していても、そう簡単に見返りを求める気持ちを捨て去ることはできませんでした。
そんな反論が頭にうずまくわけです。
「私はなんだかんだ理屈をつけてごまかそうとしてるけど、結局私は本当の意味で夫に愛されていないんだ。私を必要としていないんだ」
という理論に回帰して苦しくなっていました。
愛情表現は人それぞれであるということ
それでも、「見返り(=私の場合「夫に喜んでもらう」こと)を期待して何かをしてあげる」のを辞めるようにしました。
夫は「俺は俺なりにさえちゃんのこと好きなんだけどな…」と言ってくれているのです。
私にとって彼の愛情表現が満足できるものでなくても、彼がそう言ってくれる気持ちをできる限り受け止めて、尊重して、理解するように努めました。
すると徐々に分かったことがありました。
突然ですが、犬は身ぶりや表情で感情表現しますよね。
そんな犬に対して、「"大好き"って言葉で伝えてくれない。私を抱きしめてもくれない。この子は私を愛してくれてないんだ」とは思わないですよね。
たとえ言葉は発せなくても、帰宅したら一目散に駆け寄ってくれるとか、顔を舐めてくれるとか、その犬なりの喜びや愛情表現を感じ取りますよね。
同じように、夫からの愛を感じ取るために必要なのは、私基準のテストでジャッジするのではなく、夫はどのように愛を表現する人なのかをただ注意深く観察することだと気づき始めたんです。
その訓練を続けていくうちに、夫は夫のやり方で愛してくれていることを実感できるようになっていきました。
つまるところ、「愛に見返りを求めるな」とはよく言われますが、見返りを求めること自体が悪いんじゃないんです。
見返りの求め方が独りよがりなところに根本的な原因があったのです。
そこに気づき始めてからは、見返りなんて求めるまでもなく、そもそも私はたくさんの愛や気遣いを夫から受け取っていることを理解できるようになっていきました。
真実は陳腐なくせに理解は困難である
「愛情表現は人それぞれ」とか、「愛に見返りを求めるな」なんて、何百回と聞き飽きた陳腐なフレーズだけど、そんな陳腐なことでさえ実際にはかんたんに理解することも実践することもできない。
私は今メンタルコーチングを生業としていますが、そこで伝えていることも「自分軸で生きよう」ということです。
「自分軸で生きる」なんて本当に陳腐だし、直球すぎてもはや胡散臭い・ダサいレベルだと思うけど、それでもやっぱり、それが真実だと信じているから、私は直球でダサすぎることを言い続けなければいけない。
だって、そんな当たり前のことをできていない人が本当に多いからです。
・自分が考えたこと・感じたことを自分が信じる。
・自分で決めて行動する。
それだけのことが、めちゃくちゃ難しい。
しかも、「自分軸」を履き違えちゃうと、私のように「自分軸で相手をジャッジする(「私の基準では、夫は私を愛していない!」)」という間違った思考に陥ってしまいます。
自分の価値判断基準を自分が信じるということは、
他者にも同じように他者の価値判断基準があることを受け入れることでもあるのです。
と、日々そんなことを伝えている私自身が、つい最近まで夫に対して自分軸を振りかざしていたわけですし…。
認知の偏りや思考のクセは、かくも巧妙に、虎視眈々と、私たちの背後にぴったりと張り付いて、いつだって私たちを乗っ取ろうとしています。
そんな私にとって夫はいつでも、私の姿を映し出す鏡です。
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