【小説】くの一が如く(11)
第11話 名監督の助言
陽菜と七海が米国に行っている間、さくらは大学の勉強や実習に追われていた。課程を修了することで、保育士の資格が取れるからだ。大事な時期だった為、アメリカには行きたかったが、二人に譲ったのだった。
さくらは陸上の練習は1日も休まず、それでいて大学の講義も課題もこなし、無事に保育士の資格を取ることができた。
泊りがけの実習では千葉県の南房総にある児童養護施設で子どもたちの世話をした。人懐っこい子どもたちを見て、自分も光が岡園ではこんな感じだったのかと感慨深いものがあった。
ただ、米国留学で走る極意をつかんだ陽菜と七海に、陸上では遅れをとってしまった。
以前は三人の中で最も良い記録を持っていたが、今では練習で二人に勝てなくなっていた。
それについては二人も心配していた。
陽菜
「なんか、最近さくちん元気ないね」
七海
「うん、保育のほうが忙しくて疲れて練習に集中できてないかもね」
ある日、滝野川大の陸上部の練習場に朝倉宣伸がやってきた。
「おーう、元気かい。ロスの合宿、エディさん良かったかい?」
七海
「はい。とっても参考になりました」
陽菜
「取り組む姿勢が変わることができました」
「そうか、それは良かった。まずは日本選手権にでて、ファイナルまでいきたいね」
「はい、頑張ります!」
「それからさくら君、フジに聞いたけど勉強がかなり忙しかったんだね。タイミング悪くてアメリカに行けなかったんだね」
「いえ、私の力不足です」
「また別のチャンスはあるから。めげずに頑張って欲しい」
「はい」
「あっ、そうそう、さくら君に前から聞きたいことがあったんだ」
「えっ、何ですか」
「君はスタートがすごく上手だけど、どうしてなんだい?」
「はい、えっと頭の中で3秒数えています」
「3秒きっかり?」
「実際は3秒のぎりぎり手前を狙っています」
「すごいね。インカレの君のリアクションタイムは日本でもトップクラスだったらしいよ」
「えーっ、そうなんですか。知りませんでした」
「そのスタートを磨けば、まだまだ伸びていくんじゃないかな」
「はい、頑張ります!」
さくらは笑顔を取り戻していた。
「そうだ、さくら君に会わせたい人がいる!」
「えっ、私に? 誰ですか?」
「ちょっと有名な方で、もし会ってくれるようだったら、連絡するよ」
「えー、気になります。有名な人って、ゼクシィズームかなぁ」
「いや、それはないけど...」
▽8日後
朝倉から面会できるようになったと連絡を受け、さくらは朝倉の指定する文京区のホテルの中の喫茶店に来ていた。
そこへ朝倉が体の大きな老紳士を連れてきた。
「いやー、ここかい」
「監督、こちらです」
「えっ、まさか」
「あー、どうも」
朝倉が連れてきたのは東急レールウェイズの大ベテランの野田監督だった。
「中川さくらと申します。滝野川大で陸上をやっています」
「なんや、えらいべっぴんさんやな、朝倉君」
「ええ、可愛くて、しかも努力家なので監督の好みだと思います」
「で、この娘に会わせて、ワシに何をしろと?」
「ええ、実はいい選手なんですが、少し伸び悩んでまして」
「そうか。ワシは野球バカだから、足が速くなる方法はわからんぞ」
「監督、彼女はスタートが天才的に速いんです」
「ほう、そうか」
「スターターという係がセットと言って、3秒でピストルを鳴らすのですが、いつも3秒ぎりぎり手前で出れるのです」
「すごいな。天才やな」
「そこで監督に、もっと伸ばすのに何かアドバイスをいただけたらと思いまして」
「なんや、野球人にアドバイスって。面白いこと言うな朝倉君。ワシはこれからナイターで忙しいんだぞ!!」
「すいません。野田監督なら、我々陸上の人間には気づかないことがあるんじゃないかと思いまして」
「うーん、そうねぇ、さっき、スターターって言ってたね。それは人がやってるんでしょ。野球の審判みたいに」
「ええ、おっしゃるとおり人がやってます」
「野球の審判ってな、癖があるんよ。どこをストライクに取るとか、ボールにするとか。あとな、その日によって1回に内角高めのきわどいところをボールって言ってしまったらな、その日はずっとそこにきたのはボールって判定するんよ。陸上はわからんけど、癖があるか見てみたらどうかな」
「そ、それだ!」
朝倉は急にひらめいた。
「えっ?」
「監督ありがとうございます。やってみます!今日はお忙しいところありがとうございました」
「なんや、もうおしまいかいな。このあんみつだけ食わせてもらうぞ」
「ええ、もちろんどうぞ」
さくらは野田監督と別れた後、朝倉に尋ねた
「朝倉さん、野球の審判と陸上のスターターは違うと思いますが、何かわかったんですか?」
「ああ、さくら君。今度陸上の大会をオレと一緒に1日みよう」
「えっ、何ですかそれ?」
「いいか、レースをただ見るだけでいい。丸一日」
「はぁ、いいですけど、よくわからないなぁ」
▽半月後
朝倉は七海と東日本実業団選手権という大会が都内で開かれるので、一緒にスタンドで観戦することになった。
「さくら君、選手の走りは気にしなくていい。スターターを見て自分がスタートするつもりでカウントしてくれ。オレはストップウォッチで測って紙に記録していく」
「えっ、そうなんですか。わかりました」
「たぶんスターターは途中で変わる。100,200,400,ハードルとか種目が変わるタイミングで。あと予選と決勝で。いいか、人によって微妙に違いがあるかもしれない。スターターがどんな仕草をするかも見てみてごらん」
「えー、はい、わかりました」
そしてレースが始まった。
「うーん」
「あれっ」
「おっ」
さくらはスターターを凝視したり、時には目を閉じてみたり、やり方を変えながらひたすらスタートの時間を数え続けた。
「さくら君、お昼にするかい?」
「いえ、短距離のレースの時は全部見ます。長距離もスタートは見ます」
「でもさ、長距離は”セット”って言わないじゃん?」
「ええ、でもスターターに癖があるかもしれないので」
「君は本当に真面目で、鑑だな。あの2人と併せて3人でオリンピックに本当に行けるかもな」
「メダリストの朝倉さんにそう言っていただけて光栄です」
.....
そして全レースが終了した。
「どうだった?」
「全然わかりません。若干ムラがある人もいました」
「そうか。国際大会だと安定しているだろうな」
「確かに。でも0.001秒でも早くスタート切れるのなら、癖を見抜きたいですね」
「ああ、それとスタートから中間疾走とか流れもスムーズになれば、いいな」
「はい」
さくらはその後も、陸上の大会に足を運び、スターターを観察する作業を続けた。そして得意のスタートに磨きをかけていった。
つづく
◎登場人物
中川さくら/さくちん 158cm あねご
桜井 陽菜/はるはる 175cm 物静かな美人
田原七海/みーなな 166cm 知恵袋
朝倉宣伸 元五輪リレーメダリスト 陸連理事
野田監督 プロ野球 東急レールウェイズ監督 日本一3回の知将
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