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#7 川喜田二郎と長町三生 – KJ法と感性工学に向けられる日本的盲目。あるいは世界がまだ見ぬデザイン論。

 マクロビオティックの桜沢如一氏とKJ法の川喜田二郎教授の教育論に通ずる、唯一解を持たない厄介な問題(すなわちwicked problem)に挑戦し、答えににじり寄る営みの泥臭さ。これこそが、現代日本の教育から失われたものである。そして、この答えのない世界で自らの答えを具現化していく営みこそ、非常にデザイン的なのである。もっと言えば、デザイン学の歴史とは、wicked problemへの挑戦の歴史である。自分たちに見えていない答えを必死に探すのではない。まだ見ぬ答えを、自分たちの手で死に物狂いに形づくるのである。他の多くの学問領域と比べ、デザイン学が色相を異にするのは、挑んでいる問題とその解き方にある。

 現在において最も有名なデザイン思考(Design Thinking)を世に広めた立役者のひとりであるIDEO黎明期のフェロー、スタンフォード大学d.schoolで教鞭を執るBarry Katz教授。1970年代に感性工学を創始し、工学に感性を取り入れる技術を開発した広島大學の長町三生教授。二人は、生まれた国もデザインにたどり着く前に学んだ学問も異なる。面識もきっと無いだろう。しかし、人々の生活にdelightをもたらし、学問としてのデザインの発展を押し進めた点において、両偉人たちは共通している。そして何より、彼らは自分の実践を振り返り、「デザインというものは一筋縄ではいかない。大筋の型はあるが、つまるところ目の前の問題解決が上手くいくよう、毎度チーム一丸で必死にやるだけだ。」という見解を同じにした。

 Barry Katz教授を含むスタンフォード大学とIDEOが、世界的に有名にしたデザイン思考のモデル。これが、既に民族地理学と人間工学において多大な貢献を残されている川喜田二郎教授と長町三生教授の研究・実践に、デザイン学の視座から新たな意味を与え、大きな可能性が湧き上がる。すなわち、目だけでは捉えられない「なんだか気にかかる」混沌とした社会のモヤモヤを図解化によって明快に視覚化し、立体的に構造化する。そして、叙述化によって情報間のコンテクスト(即時的)とストーリー(漸次的)を紡ぐことで、意味のイノベーションの元となる意味生成が可能なのである。この紡がれた意味を、プロダクトの物理スペックに接合できるのが、感性工学である。

 ひと言で言えば、方法論と思想的背景を含めてKJ法と感性工学を正に接合することで、まだ見ぬ社会の意味を人々の感性から紡ぎ出し、プロダクト・サービスの物理性に形づくる。これが、私が追い求めているデザイン思考2.0の姿である。そして、これはBarry Katz教授らのデザイン思考をさらに強固にするデザイン方法論であり、日本に固有のデザインの競争知たる可能性を秘めている。なぜなら、このテーマは、英語で世界のデザインの学識にアクセスができ、日本語で川喜田先生と長町先生の学識・思想にアクセスができ、文系と理系の知識を併せ持っており、理性と感性を以て頭と身体で考えられる人間にしか開拓ができないフィールドだからである。

 1960〜70年代に日本で発展したKJ法と感性工学は、1979年に世界でデザイン学が確立する以前の技術であったため、これまでデザインの知見として見られることがなかった。また、西洋科学偏重主義の我が国において、軽んじて扱われている。しかし、今の時代、そしてデザインマネジメントにこそ、KJ法と感性工学が必要である。

つづく

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