見出し画像

2022.7.24「日本が固有である」という日本人パラダイムの形成(仮説)

「自分たちが世界の中において固有である」と強く思っている日本人類学の代表的見地は、実は日本人がそもそも持っていたものではなく、海外の人類学者によって世界的に形成され、日本人の意識の内にも入って来たのではないか。

そもそも開国までの間、日本で一般市民が外界の事をそこまで気にしていただろうか。更に海外と言えば、せいぜい中国まで、西洋なんて御伽話だったんじゃないか。そうであるならば、自分たちの固有性と言うよりは、自分たちが普通で異国人が変わった人と捉えるのが自然に思える。帝国主義時代、西洋人がそうした様に。いつから日本人は世界がスタンダードで、自分たちが(日本が)ユニークだと考える様になったのか。と言うか、この考え方って、程度の差はあれどどの国でもあるんじゃないか?愛国心だったり、他の国とは違うという自負。つまり、感覚的に世界は‘自分たち’と‘その他の国’という大前提の中で、その他の国をより詳細に知って行くと言う作業なのである。

それを西洋人類学者が彼らの視点で日本がユニーク(=単に彼らと違うだけ)と流布し、日本人は学問に関しては西洋のものをそのまま取り入れたので、その認識も鵜呑みにし、いつしか無意識的に自分たちは固有の存在なんだと認識し始めた。仮に日本人の人類学者が世界各国に散らばって、それぞれのデータを持ち寄れば、また別の世界の見方、そして世界の中の日本の見方が出て来るかもしれないんじゃないかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?