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私の百寺巡礼

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五木寛之先生は70歳を過ぎてから百寺巡礼をされた。日本の寺院の多くは車が入れない険しい石段を登る事で辿り着く。横浜辺りの寺も、ちょっとした坂の上で、わざと車が入れないようにしてあ…
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#弘法大師

同行二人

同行二人

同行二人
読み方:どうぎょうににん

お遍路などの巡礼、霊場巡りにおいて、常に自分には弘法大師がついていてくれる、弘法大師が共にいてくれるという意味で書きつける語。

一方、キリスト教の世界においても、似たような有名な話がある。

キリスト教会において親しまれてきた「あしあと(フットプリント)」という詩があります。今日は、この詩と、この詩についての伝えられているエピソードを紹介します。

あしあと

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住宅街の中のお遍路廻り 杉並区 真言宗室生寺派泉涌山医王院龍光寺 私の百寺巡礼250

住宅街の中のお遍路廻り 杉並区 真言宗室生寺派泉涌山医王院龍光寺 私の百寺巡礼250

雨も降りそうであったし、今日は行くのは辞めようか?などと悩みながらも駅から近い!と、参拝したのが、こちらの真言宗寺院である。

当寺は泉涌山医王院と号する真言宗室生寺派の寺院です。本尊は薬師如来立像で、杉並区内では珍しい平安時代末期(12世紀前半)に造立されたものです。
開創は、明治10年の書上げによると承安2年(1172)とされ、開山は寺伝によれば龍観和尚(明応2年(1493)寂)と伝えられてい

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文殊様のお寺 横浜市都筑区 高野山真言宗佛法山東漸寺 私の百寺巡礼228

文殊様のお寺 横浜市都筑区 高野山真言宗佛法山東漸寺 私の百寺巡礼228

東急花御朱印巡りの1つだ。駅からはバスで行く。どうなることやらと思ったが、バス停のすぐ上で助かった。

この写真からでも、坂の上にあるのだということが分かっていただけると思う。

東漸寺は奈良時代の天平13年(741年)、東大寺の大仏建立に尽力された行基が関東に布教に訪れた際、この場所に草庵を結び、文殊菩薩(文殊堂本尊)を謹刻し奉安されたことが開基とされます。 東海道の脇道、中原街道に接しているこ

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 新横浜を見守る御大師様 新横浜 真言宗智山派八幡山観音寺 私の百寺巡礼222

 新横浜を見守る御大師様 新横浜 真言宗智山派八幡山観音寺 私の百寺巡礼222

こちらも東急花御朱印巡りの1つだ。

観音寺(かんのんじ)は、横浜市港北区篠原町にある真言宗智山派の寺院。山号は八幡山(はちまんざん)。十一面観音菩薩を本尊とし、長く若宮八幡宮(現在の篠原八幡神社)の別当寺を務めた。少なくとも安土桃山時代には創建されていたと推測されている。玉川八十八ヶ所霊場第82番札所、新四国東国八十八ヵ所霊場第24番札所に指定されている。通称:八幡山観音寺。
第二次世界大戦中に

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太田道灌を助けた黒猫のお寺 新宿区 真言宗豊山派西光山自性院無量寺 私の百寺巡礼204

太田道灌を助けた黒猫のお寺 新宿区 真言宗豊山派西光山自性院無量寺 私の百寺巡礼204

江戸城を築城した人は?
太田道灌!私はそう答える。

関東には至る所、太田道灌の伝説があるのだが、殊に新宿には多いようだ。

自性院は、弘法大師空海が日光山に参詣の途中で観音を供養したのが自性院の草創といわれています。地蔵堂には秘仏の猫地蔵が祀られており、2月3日の節分会に開帳されます。
真言宗豊山派の寺院で西光山自性院無量寺といい、秘仏「猫地蔵」を安置し、ねこ寺として有名。 寺伝によると弘法大師

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花に覆われた寺院 新宿区 真言宗豊山派瑠璃山医王寺薬王院(東長谷寺) 私の百寺巡礼203

花に覆われた寺院 新宿区 真言宗豊山派瑠璃山医王寺薬王院(東長谷寺) 私の百寺巡礼203

薬王院東長谷寺は鎌倉時代に開山された、真言宗豊山派の寺院です。牡丹の名所として知られ、別名は牡丹寺・ボタン寺です。総本山の奈良長谷寺から移植された牡丹100株が約40種・1,000株にまで増え、見頃を迎える4月中旬から下旬にかけては、都心とは思えない美しく雅やかな光景を見せてくれます。(新宿区観光案内より)

今年に入り、仕事、ボランティア、珍しくも真面目に家事を行い、と頻繁に出歩くこともなくなっ

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御大師様廻りを実感 大田区 真言宗智山派福田山花光院蓮華寺 私の百寺巡礼202

御大師様廻りを実感 大田区 真言宗智山派福田山花光院蓮華寺 私の百寺巡礼202

敷地面積で言うと小さなお寺である。

「新編武蔵風土記稿」によれば、古くは福田山蓮花寺と称し、六郷宝幢院末で、開山快智は延宝2年(1674)示寂すとある。矢口新田神社の別当寺、同宗真福寺が、大正末年に廃寺となり、当寺に合併された。再三無住時代があり、長年住職をする者がなかった様子で、資料等皆無に等しく、また今次戦災で全焼したため、沿革を詳かにしえない。(「大田区の寺院」より)
近くに新田神社が

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十三仏に御大師様 大田区 真言宗智山派幡曜山恵門院円応寺 私の百寺巡礼201

十三仏に御大師様 大田区 真言宗智山派幡曜山恵門院円応寺 私の百寺巡礼201

當山は、旧鎌倉街道沿いにあり、多摩川の渡し舟のあたりには古くから市場が立っていました。旧地名は古市。鎌倉時代後期より、多摩川と岸辺に暮らす人々を見守り続けて600年のお寺です。
江戸時代の頃には茅葺き屋根のてっぺんにコウノトリが巣を作っていた、と伝えられるほど、この辺りはたくさんの野鳥が飛来していました。
(寺院ページより)

多摩川沿いにあるこちらは、かつて、矢口の渡しがあった場所の近くになる。

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鬼平犯科帳「夜鷹殺し」に修行中の大師様 台東区 真言宗智山派摩尼山宝光寺成就院 私の百寺巡礼199

鬼平犯科帳「夜鷹殺し」に修行中の大師様 台東区 真言宗智山派摩尼山宝光寺成就院 私の百寺巡礼199

成就院は、東京都台東区にある真言宗智山派の寺院。なお、当院の約400メートル東の同区元浅草に同名の寺がある。そちらの寺も真言宗智山派である。混同を避けるため、当院はかつて下谷の田んぼの中にあったことから「下谷田中成就院」とも呼ばれている。

修行する御大師様

寺院には山号・寺号・院号という3つの名前があります。成就院は、「摩尼山 宝光寺 成就院」といいます。「摩尼」とは、サンスクリット語で「宝」

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住宅街都市部の小さな御大師様 真言宗豊山派桃園山善成寺 私の百寺巡礼193

住宅街都市部の小さな御大師様 真言宗豊山派桃園山善成寺 私の百寺巡礼193

当地は五代将軍綱吉公の生類憐みの令により作られた囲町に隣接し、往時は風光明媚なる桃の里だったと言われる。(旧・桃園町)
ある時、正衆和尚の夢枕に白髪の老人が現われて、この地に不動尊を祀り、衆生教化せよとのお告げがあったと言う。このことから本尊さまは、正衆和尚の発願により特に成田山新勝寺、中興第18世管主・荒木僧正が開眼せられた身色青黒色の開運のお不動様を祀りしている。霊験あらたかな不動様として多く

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丸子の神宮寺 川崎市中原区 真言宗豊山派日吉山神宮寺大楽院 私の百寺巡礼187

丸子の神宮寺 川崎市中原区 真言宗豊山派日吉山神宮寺大楽院 私の百寺巡礼187

東京、神奈川にまたがる多摩川。川崎市中原区にある真言宗豊山派の大楽院は多摩川沿いにある。

大楽院は奈良・長谷寺を本山とする真言宗豊山(ぶざん)派の寺院で、もとは山王社(現・日枝神社)の神宮寺を務めていました。

現在、本堂の脇壇に祀られている木造釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)(市重要歴史記念物)は高さが2m余りもある大きな作品で、印相(いんそう)(仏の手の形)は瞑想している姿を表す禅定印(

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親切な住職に感謝 葛飾区 真言宗豊山派八幡山大珠院 私の百寺巡礼151

親切な住職に感謝 葛飾区 真言宗豊山派八幡山大珠院 私の百寺巡礼151

そのお寺を知ったのはX(Twitter)であった。

たまたまこちらの投稿が流れてきたのだ。
住所は葛飾区であるが、最寄り駅は京成小岩。
小岩というと、真言宗豊山派広報誌にて私のお気に入りの名取芳彦住職もそこじゃなかったか?
と、どちらも行こう!と計画を立てたのであった。

土曜日に行くつもりでいたのだが、え?え?早く行かないと弘法大師様の御朱印がなくなってしまうじゃないかあ、と、金曜日に行くこと

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都会を静かに見守る弘法大師様 中央区東日本橋 真言宗智山派川崎大師東京別院薬研堀不動院 私の百寺巡礼147

都会を静かに見守る弘法大師様 中央区東日本橋 真言宗智山派川崎大師東京別院薬研堀不動院 私の百寺巡礼147

日曜日の早朝だったからだろうか。
東日本橋と言えば激込みのイメージがあるのだが、私が訪れた時の東日本橋界隈は人もまばらであった。

地下鉄の駅を出る時には、出口を間違えないこと。

B3以外の出口に行ったら目的地に辿り着けないであろう。

駅を出ると、旗が並んでいる。おおお、わかりやすい。感謝。

ということで、目的地である、川崎大師分院薬研堀不動院に到着。

御本尊・不動明王尊像は、崇徳天皇の代

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園児を見守る大ケヤキ 横浜市南区 高野山真言宗・東光山蓮花院 私の百寺巡礼69

園児を見守る大ケヤキ 横浜市南区 高野山真言宗・東光山蓮花院 私の百寺巡礼69

横浜市南区、西区は高野山真言宗のお寺が多い。東医山薬王寺とこちらは、歩いてすぐの場所にある。赤門東福寺にも近いし、こちらの蓮華院を登り切った坂の頂上にも高野山真言宗のお寺がある。

この向こうに、お寺の付属幼稚園、れんげ幼稚園がある。
園児を見守る弘法大師様にお地蔵様たち。

境内のケヤキが見事であった。
ここまでの大きさになるには相当な年月がかかる、と住職とも話した。
つまり、私たち日本人は「科

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