見出し画像

鬼平犯科帳「夜鷹殺し」に修行中の大師様 台東区 真言宗智山派摩尼山宝光寺成就院 私の百寺巡礼199



成就院は、東京都台東区にある真言宗智山派の寺院。なお、当院の約400メートル東の同区元浅草に同名の寺がある。そちらの寺も真言宗智山派である。混同を避けるため、当院はかつて下谷の田んぼの中にあったことから「下谷田中成就院」とも呼ばれている。


修行する御大師様

大師堂

寺院には山号・寺号・院号という3つの名前があります。成就院は、「摩尼山 宝光寺 成就院」といいます。「摩尼」とは、サンスクリット語で「宝」の意味。成就院は、宝物が光を放ち、そして願い事がかなうという、たいへん功徳のある名前です。ぜひお参りいただきたく存じます。
成就院の縁起を伝える文書は伝えられていません。江戸時代後期の文政年間に幕府に提出した「取調箇條書」(『文政寺社書上』所収)が古を偲ぶ最古の資料です。
成就院は、慶長十六(1611)年、開山鏡傳法印が神田北寺町に寺地を与えられ開かれました。その後、三代将軍家光の時代の慶安元(1648)年、江戸の町の膨張に伴う都市計画のため、現在地へと移転し、今日に至ります。移転した下谷は、江戸の町外れで、まわりは田んぼばかりであったため、 「田中の成就院」と呼ばれていました。また、当時は堀が近くにあったようで、藁の集積地であったとか。「わらだなの成就院」とも言われていたそうです。近くに「どぶだな」とよばれるお寺もあります。家を造るのに藁と土が必要だったのです。
『御府内寺社備考』所収の境内図には、地蔵堂、稲荷社、宝篋印塔が記されています。しかし、いまは伝えられていません。その後の記録は、あまり残っていません。安政の大地震や関東大震災などの火災で堂宇を消失したこと、廃仏毀釈の波を受け寺が衰微してしまったことが伝えられます。関東大震災後、境内地が大きく削られてしまいましたが、その時建立された堂宇が今日に伝えられています。(お寺のページより)

小さなお寺ながらも見どころがたっぷりとあった。御大師様に大師堂。
それから、池波正太郎先生のファンなら聖地となる鬼平犯科帳の舞台。

『鬼平犯科帳』に成就院が登場するのは「夜鷹殺し」という話。夜鷹ばかりをねらった辻斬りが続発。しかし、下手人はなかなかつかまらない。業を煮やした鬼平は、密偵のおまさを囮にする。頭巾の武士に誘われたおまさは、「唯念寺と成就院との間にある小さな草地に入って行く」。(あらすじ)

ここは上野駅からも歩いて10分とかからない。台東区は、まさに池波正太郎先生の世界なんだな、と感慨に耽るのであった。

真言宗智山派摩尼山宝光寺成就院
東京都台東区東上野3-32-15 
東京メトロ銀座線稲荷町駅より徒歩5分・JR上野駅より徒歩10分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?