#289 蝦夷錦はどこでつくられた?

「蝦夷錦」とは、文字通り江戸時代に蝦夷から日本にもたらされた豪華な衣服のことだ。

龍の文様が描かれた特徴的な図柄は、歌舞伎役者の舞台衣装にも用いられ、当時の人々を魅了した。

しかし、蝦夷錦は蝦夷地でつくられたわけではない。
蝦夷錦はもともと、中国清朝の高官が着る上質な官服だった。
蝦夷錦は、清が朝貢をしてきた人々に対して与える返礼品のひとつだった。
皇帝からの返礼品であるからこそ豪華だったのである。

では、蝦夷に住むアイヌの人々はどのようにして蝦夷錦を手に入れたのか。
アイヌの人々大陸と地続きでないアイヌの人々が中国と交易を行うのは容易ではない。

アイヌの人々は、アムール川河口付近の民族と交易を行っていた。
清朝は北方民族とも朝貢関係を結んでおり、アムール川河口付近には出先機関を設けて周辺民族から朝貢を受けていた。

そこで返礼品として渡された蝦夷錦が、北方民族とアイヌとの交易によって樺太から蝦夷地へわたり、アイヌの人々と松前藩との交易により本州にもたらされたのである。

本州にわたった蝦夷錦は贈答品として大名たちに重宝されたという。
当時の日本は鎖国を行っていたとはいえさまざまな交易ルートが開かれていた。蝦夷錦を通して、当時の東アジアの交易のネットワークを見ることができる。

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【参考】


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