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ずっとひとりになりたかった

12月になると、毎年思うことがある。

クリスマス、年末年始を迎えるにあたって、ひとりでいられることの素晴らしさと、世間とのギャップについて。


わたしの実家は、とても窮屈だった。
面積的な問題というより、メンタル的な面で。

いや、普通の人ならそれが普通にこなせたのかもしれない。でも、わたしは昔から異端児と呼ばれ厄介者扱いされていたほど、家庭にも学校にもどこにも居場所がなかったくらい浮いていたので、どこにいるのも辛かった。12月の楽しい思い出を何一つ思い出せない。

特に親戚が集まる会は、地獄だった。無愛想で可愛くないと罵られ、妹と比較された。自尊心はその頃からボロボロだった。


子供なら、クリスマスプレゼントを楽しみにしたり、友達と遊ぶ冬休みが楽しみなことが多い。

でも、我が家にプレゼント文化はなく、親が必要だと思ったものを与える、それ以上に何が必要なのか、与えたもので満足しろ、欲しいものは自分で買え、という家庭だった。

特に、長女のわたしは、その方針に逆らうこともなく、自分が欲しいものは自分で手に入れるもの、欲しいものを人に頼むべきではない、ねだることは甘えだという価値観が深く刻まれた。

大人になった今でも、誰かに欲しいものを聞かれても、「ない」 としか答えられないし、人から貰うものより、自分で得たものに価値を感じる人間になってしまった。

幼少期から、親に頼る・甘える といった価値観が備わらないまま大人になったのだ。だから、誰かと過ごす誕生日やクリスマスなどの所謂記念日が苦手。

過去の記事でも書いたが、プレゼントを貰うということに慣れていないので、できるだけそのようなイベントはひとりで過ごしたい。

でも、世間一般では、誕生日やクリスマス、年末年始は大切な人と過ごす日、家族、パートナー、友人に囲まれて過ごすのが幸せ、といった価値観が強く、ひとりで過ごしたいなんて言う人間は理解されない。


わたしにとって、そのような存在は、自由を奪う存在でしかなくて、ひとりでいられる幸せの方が遥かに大切なのに、どうしても理解されずらい。

恋人がいたとしても、わたしはそのようなイベントごとは、ひとりですごしたい。この気持ちは変わらない。(恋人などいないが)


わたしは、父親からかなり押さえつけられて育った。というより、我が家では父親が絶対で、親の機嫌を損ねると普通に暴言を吐かれ暴力を振るわれた。誰のおかげで飯が食えると思ってるんだ、気に食わないなら出ていけ、文句を言うなんて認めない、そう言って真冬に裸足で外に出されたりもした。

今ならこれが、亭主関白なモラハラ男だと認識できるが、当時のわたしにはわからなかった。それが普通なんだと思って生きていたので、周りの子の親がそんなことはしないと言っていて驚いた記憶がある。

年末年始のテレビは紅白歌合戦しか見ることが許されなかったし、ガキの使い系列の番組は教育上よろしくないと判断され1分足りとも見れなかった。とにかく父親の機嫌を損ねないように努めていたため、実家で暮らすことが息苦しかった。他人といると自己主張できず、他人が好むように合わせたり、自分を殺して生きるようになったのもこの家庭環境が影響しているのだろう。


そんな実家を出たくて、大学生から一人暮らしをして早5年目。12月に一度も帰省したことがない。わたしは、誰にも邪魔されず、今年もずっとひとりでいられるこの時間を、理解されなくてもいい。それでもこの平穏な日々を守りたい。