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立ち止まって、息をする 「休職」を選んで見えた本当の自分

こんにちは、Shadeです。
僕は30代、既婚(子無し)、バイセクシャルでメンタル疾患持ちの男性です。

ようやく、僕の住んでいる地域では長い梅雨が明けました。
これまでの曇天とは打って変わって強烈な日差!苦笑
今年の夏も猛暑になるようですが、去年の夏もヤバかった…。
けれど、僕にとって昨夏は、暑さよりも心の葛藤の方が印象に残る夏でした。何故かと言えば、ちょうど1年前のこの時期、僕は完全にメンタルをやらられ、生まれて始めて、「休職」というものを経験したからです。

1度目の危機

休職に至るまでには、いくつかの段階がありました。
まず、多忙による心身の疲弊で前職を辞め、現在勤める会社に入社したのがおよそ4年半前。それからすぐにコロナ禍に突入し、まだ仕事に不慣れな状態で完全テレワークを行うことになりました。
思えば、その時期から徐々に、心の調子は下降気味になっていたのかもしれません。漠然とした不安の中で、仕事をこなす日々が続きました。
入社してテレワークに移行するまで約3ヶ月。元々スロースターターな僕にとっては、社内の状況や仕事の進め方を把握するのに十分と言える期間ではありません…苦笑
それでも当時は何とか、精一杯自分に投げられた球に対応していた気がします。

本格的にメンタルが崩れ始めたのは、コロナの感染状況が一旦落ち着き、テレワークが一時解除になってからのこと。
環境の変化はストレスの引き金になると言われますが、再び毎日通勤して出社する日々が始まった途端、まずは身体の方にさまざまな変調が現れはじめました。定期的にくる頭痛や吐き気、そして鉛のようなだるさ。特に駅の階段の上り下りがマジで辛く感じたのを覚えています苦笑
太ももが、上がらない…
かろうじて出社すると、そこからは過度な心の緊張がやってきます。
繁忙期だったこともあり、夜遅くまで働き、あとは家に帰って寝るだけ、ということもざら。そんな日々を送り続けた結果、心が悲鳴を上げていることに気がつき、僕は心療内科に駆け込みました。

その時診察にあたってくれた先生は優しそうな年配の男性で、僕は現在の状況をなるべく正確に伝えました。先生は色々な質問をした後で、最後にこう尋ねました。「希死念慮はありますか?」
その瞬間、心の中で堰き止められていた何かが崩壊し、僕は涙を流しながら「はい」と答えていました。人前で、しかも全くの他人の前で泣くのは、少なくとも大人になってから初めての経験でした。

その質問をされるまで、僕は自分の中にそんな気持ちがあることに気がついていませんでした。けれど、改めてそう言葉にされた瞬間、心の中で渦巻いていた形のないものが、はっきりと輪郭を得て、胸に迫ってくるのを感じたのです。先生は涙を流す僕にティッシュを渡しながら、「そういうことを考えてはいけませんよ」と優しく声を掛けてくれ、その日の診察は終わりました。

けれど不思議なことに、その涙にいわゆるデトックス効果があったのか、それとも、他人に自分の気持ちを話したことで心が整理されたのか、僕はそこで、何となく「スッキリ」してしまったのです(今思えばここでもう少し慎重になるべきでした)。そして、勝手にそのクリニックに通うのを止めてしまい、せっかく処方された薬も飲まずに、また普段通りの生活に戻っていってしまいました。

立ち止まることを選ぶまで

そこからは、緊急事態宣言に振り回される日々が続きました。宣言が出る度にテレワークになり、解除されると再び出勤の日々が始まる。相変わらず漠然とした不安や焦燥感、一時的な体調不良は続いていましたが、忙しさを理由に僕はそれらから目をそらし、自分を騙しながら毎日をやり過ごしていました。
けれど、もちろんそんな生活が永遠に続くわけはありません。
ゆっくりと時間をかけて、心の糸は切れていきました。

思えば、去年は特に忙しい年というわけではありませんでした。
コロナも落ち着き、再び安定した生活が戻ってきましたし、繁忙期には派遣社員の方を雇用し、一時的にメンバーも増員。一人ひとりの負担を減らせるよう、上司も色々と策を講じてくれていたのです。
ですが、僕は自分の中に蓄積された、そして見て見ぬふりをしていた疲労を甘く捉え過ぎていました。

不調は、ある時を境に、一気にその姿を現しはじめました。まず、会社に行けない。出勤して電車に乗った時点で、「無理だ」という気持ちが頭から離れなくなり、途中の駅で降りて、会社に遅刻の連絡をすることが続きました。
そして、頑張って会社に行っても、一日自分の席で仕事を続けることが困難になり、早退してしまう。
僕が再び心療内科に通い始めたのはその頃です。ちなみにそこは、以前勝手に行くのを止めてしまったクリニックとは違う病院でした。

そしてついに、「奴」が僕の心の中に再訪してきました。そう、希死念慮です。ここでようやく、前回の記憶が頭をよぎり、僕はそのことを正直に担当してくれていたカウンセラーの先生に伝えました。以前伝えた時と同様、自然と涙が溢れ出ていました。そんな僕の様子を見て、先生は一言、こう言いました。「一度、休みましょう」
そうして僕は、ようやく立ち止まることを選んだのです。

前進だけが人生じゃない

働いていると、あっという間に毎日が過ぎていきます。急行電車の窓から見る景色のように、瞬く間に一日一日が後ろの方へと過ぎ去っていくのが分かる。けれど、一度立ち止まると、また別の風景が見えてきます。
休職期間中、僕は社会人になってから初めて、「仕事をしていない自分」と向き合うことができました。初めのうちは、「何もしていない」ということへの後ろめたさと不安が勝っていましたが、徐々にそんな状況にも慣れ、「休む」ことの意味が分かってきたのです。

何もしていないと、自分のことがよく理解できます。というか、思い出すという感覚に近いのかな…?自分が本来何が好きで、どんなことがしたかったのか、そして、仕事を抜きにした自分がどんな人間なのか。これから、どんな風に生きていきたいのか。
そんなことを考える中で、もしかするとこれまで書いてきたような自分のセクシャリティと向き合う萌芽も生まれていたのかもしれません。
まだこの時はそれほど意識していませんでしたが、昔から文章を綴ることが好きだったと思い出したのも休職期間中のことでした。

休職してから復職までは2ヶ月弱。そこから約1年の時間を要しましたが、僕は有難いことにnoteというツールに出会い、現在では、これまで以上に自分と、そして「自分のセクシャリティ」と自然に向き合うことができています。
そして、noteを始めたこの数ヶ月で、奥さんと友人へのカミングアウトを行うこともできました。
これも、あの時、一度立ち止まることを選択したおかげというか、あそこでもしその選択をしていなかったら、と思うと少しゾッとします。
いずれにしても、今の僕がいるのは、間違いなくあの時「休職」することを選んだ結果です。

これまで僕は、前に進むことだけが人生だと考えていました。けれどそれは大きな間違いで、時には停滞したり、後退したり、辛い状況から逃げ出したりすることも人生の大事な一場面なのです。
行き詰まったら文字通り立ち止まり、一度「何者でもない自分」になって深く呼吸をしてみる。ゼロ地点から、自分を見つめ直してみる。
そのことの大切さを、僕は休職期間中に学んだ気がします。

毎朝、ひげを剃ったり髪を梳かしたりしようとバスルームの鏡と向き合うたびにそれらの傷が目に入る。それらについて考えることはめったにないが、考えるときはいつも、それらが生のしるしであることを君は理解する。

『冬の日誌』ポール・オースター、柴田元幸訳、新潮社、2017年

引用した文章は、僕の敬愛する米国の作家ポール・オースター(今年4月、肺がんの合併症により逝去)のエッセイに記された一節。彼は昔からたくさんの怪我を負ってきたそうですが、その傷跡を見るたびに、それらがこれまで自分が生きてきた証のようなものだと感じるのです。
これは、人生の晩年を迎え、円熟した人間だからこそ言える言葉のように感じますが、僕もまた、自分自身の心に負った傷や、メンタル疾患の症状を、いつかこのように捉えられるようになれたら良いな、と思います。

人生はあっという間のようで長い。長いようであっという間。どちらも真実のように感じます。いずれにしても、僕は自分の実体験を通じて、時には立ち止まり、自分を見つめ直すことの大切さを実感しました。
もしも今、同じような状況で苦しんでいる方がいらっしゃいましたら、ぜひ一度歩くのを止めてみてください。
その選択は、今後の人生において、絶対にプラスに働くと保証します。
立ち止まって深呼吸することは、ロスタイムでも何でもない、「心を長生きさせる」ために必要だというのが、現時点での僕の結論です。

まだまだ語りたいことはあるのですが、すっかり長文になってしまったので今日はこの辺で終わりにしたいと思います。
とにかく言いたいことは、「あの時休むことを選んで良かった」ということ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

#自分で選んでよかったこと

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