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鏡越しに唱える 今日を生きることば#4

「今日の私は、昨日の私を、無視できるから美しい」

『朝』最果タヒ、詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』より、2016年、リトルモア

こんにちは、Shadeと申します。
僕は30代、既婚(子無し)、バイセクシャル、メンタル疾患持ちの男性です。
このコラムでは、映画や小説、ドラマ、音楽など、サブカル大好きな僕が日常的に触れるあらゆるものから拾った、「今日を生きる」ための言葉を記録していきたいと思います。

変わる自分を受容する

数年前にメンタル疾患を発症してから、毎日綱渡りのような生活を送っている気がします。
極端な話、昨日まで調子が良かったのに、翌日にはいきなりどん底まで心身の調子が落ちるなんてのは日常茶飯事だし、その逆もまた然り。
その日の天候などもかなり影響している気がしますが、本質的に自分の「心」が一体何に左右されているかは、僕自身にも完全には分かりません。
この、自分、というか自分の感情をコントロールできないというのは、僕の持つメンタル疾患の症状の一つでもあるので、ある意味仕方のないことなのですが、やはり生きづらいことは確かです。
そして、自分だけでなく、その感情の波が、周囲にも影響を与えていることを考えると、少なからず罪悪感も覚えます。まるで僕自身が、安定しない異常気象そのものになっているかのような…
けれど、ここ最近、本当に少しずつですが、そんな自分を受容できるようになっていることに気づき始めました。それはやはり、noteを始めたことがかなり大きいと思います。
以前別の記事にも書いたのですが、前に書いた記事を読み返していると、自分でも、自身の思考がかなり流動的に変化していることに気づかされます。
「性的指向」についても、異性だけでなく同性に惹かれてしまう自分に苦悩したり、悩んだ結果、「バイセクシャル」である「もう一人の僕」を解放したり、実は「バイセクシャル」と「ゲイ」の境界線上に位置しているのではないか?と考えてみたり…とにかく忙しない苦笑
そんな自分と向き合った結果、僕が出した答えは、「人間は元来、矛盾や一貫しない感情を孕んだ生き物」であるということ。
よく、細胞は一定周期で入れ替わり、数ヶ月後には完全に新しい体になっているといわれますが、まさに今僕が自分に対して抱いているのはそんなイメージです。
さよなら古い自分、ようこそ新しい僕。
調子の悪い日が続くともちろん落ち込みますが、それはもしかすると、明日の自分が最高の自分になるということの「伏線」かもしれない。
不安定であるということはつまり、「可能性を孕んでいる」という証でもあります。少々強引かつ楽観的な言い方もしれませんが、現在の僕は、そんな風に日々の感情の変化を甘受しながら、自分の抱える病気と付き合っていきたいと考えているところです。

まるで「他人」のように「自分」を眺めると…

冒頭に引用した言葉は、一読するなり心を奪われた、というより鷲掴みされたフレーズ。
作者である詩人の最果タヒさんは、女性としては最年少(当時)の弱冠21歳で中原中也賞を受賞した才人で、小説家としても活躍されています。自分と全くの同年代という「世代感」もあってか、この詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』におさめられた言葉も、「なんとなく、その感じわかる」のオンパレードでした。
中でも、引用したフレーズは、日々不安定な情緒の中で生きる僕にとっては、理解を通り越して、それこそ細胞に染み渡るような一節。「今日の私」が「昨日の私」をまるで他人のように眺める視点もクールでかっこいいし、以前の自分を「無視できるから美しい」という結論にもどこか希望のようなものを感じます。
世の中では一時期、「ブレない」という言葉がまるで聖人であることの証のようにもてはやされましたが、どうしても「ブレてしまう」僕としては、そんな論旨に少々異を唱えてみたい苦笑
昨日までの自分(もしくは自分の感情)を颯爽と否定して、新しい自分を受け入れることは、そう悪い考えではないはずです。
むしろ、人間の思考は季節のように移ろっていくのが普通だし、変わっていく自分を認めずにダムのように堰き止めてしまうと、いつの間にか矛盾が降り積り、八方塞がりな状態になってしまう、という事態に陥ることだってあり得ます(これは過去の自分を戒めるために書いています…)。
そうなってしまうよりは、古い考えや感情をどんどんアップデートして、新たに感じる「いまの感覚」に正直に生きる方が、人間としてはより楽に呼吸がしやすいのではないでしょうか?
メンタル疾患を発症してからというもの、僕はひたすら「安定」を求めてきましたが、今現在、それがなかなか困難なことであると悟り始めています。
というか、心身が健康な人だって、その日によって心の調子や体のコンディションは変化するはず。
何故ならばそれこそが人間にとって「自然」なことだからです。自然に抗うと、必ずどこかで無理が生じます。
無理が生じると、それは病となって人の心身を冒します。
なるべく自然な状態で生きるためには、昨日の自分を否定したって構わない。そんな気概こそが、健康を保つ上では大切なのだと、この言葉は気づかせてくれました。

ただ、その日の気分に正直に生きるのは、実はかなり難しいし、人に「気まぐれ」な印象も与えかねません。もちろん、気分次第で人を傷つけたり、不快にさせたりするのは絶対にNG!
けれど、「心の中の自分」に正直でいることは、誰にでも実践しやすいはず。
もしも過去の考えや、自分で決めたルールのために少しでも生きづらさを感じていたら、こんな考え方もあるかも、と冒頭のフレーズを思い出していただけると嬉しいです。
僕も、不安定な自分に対する慰めのように、この言葉を唱えたいと思います。

それでは今日はこの辺で。
最後まで読んでいただきありがとうございました!

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