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朝ごはんを「食べない」という自由


「育ちざかりの子どもには3食きちんと栄養バランスのいい食事を」

正論である。

だが、あくまでも一般論である。だれにでもあてはまるわけじゃない。

うちの息子は朝ごはんが食べられないし、食べたくない。小さいころからそうで、成人したいまもそうだ(ちなみに娘はふつうに食べる)。

息子にいわせれば、食べるより寝ていたいという。朝ごはんを食べる時間があるなら、ギリギリまでそれを睡眠にあてたい。「朝ごはん<睡眠」というわけだ。

こう聞くと、なるほど、そういう人もいるんだな、というだけの話だ。それなのに、相手が我が子で、自分が母親という視点になると、とたんにさらっと流せなくなってしまうのが不思議である。母親としての責任感とか「朝食とらせるべき」みたいな社会通念がのしかかってくるからだ。

もちろん、わたしもいまは流せる。だが、流せるようになるまでずいぶん時間がかかった。小さいころはチョコパンならどうにかこうにか1本食べるから、毎日チョコパンを出したりもした。高校時代は、朝食抜きで出かける息子にお弁当のほかに栄養補助ゼリーや総菜パンを用意したりもした。息子に朝食をとらせるべく、あらゆる努力をすることが母親のつとめ、というような使命感があったのだ。しかしさまざまな紆余曲折を経て、わたしは息子に朝食をとらせようとすることをあきらめた。いま息子は朝ごはんをぜんぜん食べない。

考えてみれば、わたしの父も朝ごはんをあまり食べたくないし、食べられない人だった。6枚切りのトースト1枚が食べられず、毎日トースト半分をコーヒーで流し込んでいた。母はそれを毎朝「パン1枚くらい食べてって!」と不毛な説得というか叱責を続けていた。そう、食べられないのは遺伝だ。

おそらく低血圧で朝に弱い父や息子は、いつまでも寝ていたいのを無理に起きているので、空腹を感じるまでにかなり時間がかかる。だから、体が起きていない状態で朝食をとるのは苦痛でしかない。そんな人たちに、一般論をふりかざして朝食をとらせようとするのはいいことなのだろうか。なんなら息子は集会で倒れたりもしていたが、それでもがんとして朝食をとろうとはしなかった。意思を持ったひとりの人間に、その意思に反したことをやらせようとしてもできるわけがないし、もしできたとしても無理強いの結果だ。

なので、我が子がぜんぜん朝ごはん食べてくれない、わたしは母親失格だ.....と悩んでいるおかあさんがいたら、気にしなくていいよと言いたい。子育ての極意はあきらめることだ。食べないものは食べないのだ。よく聞いてほしい、食べられる子を持つ人からのアドバイスは役にたたない。外野はだまっていてほしい。

なにかを楽しむこと、やりとげること、所有することだけじゃなく、なにかをしない、なにかを省く、なにかをあきらめる、そういう自由があることだって「ゆたかさ」ではないだろうか。食べない子が食べないのはあなたのせいじゃない。あなたはよくやっているよ。これは昔のわたしがだれかに言ってもらいたかったことばだ。昔の悲しかった自分の気持ちを成仏させたくてこれを書いている。



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