できないことは、できるようになるべきか?
人間、どうしても得意不得意あるじゃない。
したくてもできないことだってある。
でも、やっぱりそれが学校のカリキュラムとかになってくると、事は重大で、できなきゃアカン状態にまで追い込まれてしまう。
僕の場合、それは主に体育だ。
体育、たいいく、タイイク、体育、、、
なんとも嫌な響きである。
「次の時間、体育だってー!!」という急な時間割変更に狂喜乱舞する友達を見て、それの真似をしたりしていたが、内側では怒りに震えて、脳内で授業を休んだ非常勤の先生をどついたりなどした。
一言に「体育」と言っても別に全部が憎たらしいわけではない。
バスケットボールは激しくて面白いし、バドミントンは人並みにできた。バレーボールはパスだけしてればいいし、体力テストなんてあれはもう休み時間みたいなもんだ。
僕がとりわけ嫌なのは、マット運動である。
マット運動が嫌いすぎて、「マット」と聞くだけで少しだけ嫌な気持ちになる。俳優のマット・デイモンとかも正直そこまで好きではない。
冗談はいったん置いておいて、マット運動は僕をほんとうに深く悩ませてきたものだ。
幸い、僕の通っていた中学校と高校ではマット運動の授業がなかったので、九死に一生を得たのだが、小学校の時は毎年冬になると、そのシーズンが来ていた。
寒くなってくると、今でも思い出すのだ。
あぁ、マットの季節か、、
と。
一面の雪景色を見て、君は何を思う?
美しさか?壮大さか?それとも凍えか?
僕か?
僕はマット運動だ。
それぐらい嫌いなのだ。
なんてったって、僕は前転しかできない。マジで。
後転も、側転も、開脚前転も、開脚後転も、倒立も、バク転もできない。もう本当に、何も、できないのだ。(泣)
特に後転はできそうでいつもできない。
やってみると、この中日のドアラみたいになる。
そういえば、マット運動関連で、今でも覚えている出来事がある。
小学校の体育の授業では、体育館に十数枚のマットが並べられ、それぞれのマットで練習していい技があった。
例えば、右から3枚目から6枚目までのマットは、側転の練習用。
右から7枚目から10枚目までのマットは、開脚前後転の練習用。
といった具合である。
もうみなさん、お気づきかもしれないが、当然右端は、
前転専用車両(マット)である。
通称、サンクチュアリ(聖域)だ。
僕は体育の授業時間全部ここにいた。
ここには僕と同じく前転しかできない出来損ないどもが何人かいて、みんなほとんど死んだ顔で、永遠に前に転がり続けるのだ。
もう地獄である。
でもたまに後転のマットに遠征しに行く奴が出てくる。
ふっ、無駄無駄ぁ、、、
そう思っていると、やはり5分後には死んだ顔で帰ってきて、何事もなかったかのように、また前転を始めるのだ。
別に練習だけだったら転がり続ければよいのだが、実はマット運動にはテストがあった。意味が分からん、マット運動にテストってよ、おい。
そのテストでは、自分が得意な技をマット上で3連続で披露し、その技の難しさに応じて得点が入るのだ。
スポーツ万能の奴らは、やはり「側転×側転×側転」とか、「側転×開脚前転×側転」とかを普通にやってくる。
え、待って。
なんかイラっとしません?
なんだその側転と側転の間に、開脚前転を挟んでくるセンス。
もう三連続側転やれよ、カッコつけんなよ!!!!
たぶん、「側転×側転×側転」は、5点×3とかで、「側転×開脚前転×側転」は、5点×2+7点×1とかなんだろう。
そんな奴らを尻目に、僕は当然のように、もう何食わぬ顔で、前転×前転×前転の3連続である。おそらく1点×3とかなんだろう。
もう得点なんかどうだっていいさ。
側転×3を決めていた奴らにはオーディエンスがたくさん集まって、「すげー!」とか言っていたが、僕のところには当然誰もいないし、なんなら自分自身の意識すらも遠のいている。
ちなみに、採点の先生からは「うまいね~」と褒められた。
そりゃあそうだろ、なめてんのか??
だって前転しかやってないんだもん。そりゃ上手いだろ。
なんなら、側転ばっかやってる奴らよりも前転はうまいぞ??
おい、お前ら、俺と前転で勝負しろよな。
いつもマット運動の授業を終えると、「後転ぐらいは家で練習したほうがいいのかな?」とか思っていた。
でも、その数秒後には、まぁいいや、となる。
たぶん、できなくても別に困らないとか思っているのだ。
だって人間、後ろに回れたところで何の意味がある?
ほかのこと頑張ってるし、別に後転ぐらいできなくてもいいや。だってできないほうが珍しいじゃない?「お前、珍しいな~」なんて言われたいし。
後転できない自分が好きです。
これからも俺はできないし、できる人は後ろ向きにでも回っててください。どうぞどうぞ。勝手にしろよ、ほんとによお。
じゃ、また明日!
小金持ちの皆さん!恵んで恵んで!