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アットホームな職場。

はじめに。

この日記を読んで貰えるのはとても嬉しいのですが…
⚠️ この文章には、女性に対するヘイトが多分に含まれているため
覚悟のある方のみ、読み進めるようにしてください。





自分が二十歳くらいの頃。
額縁を製造している会社でアルバイトをしたことがあった。

地元であり自宅からも近かったのと
頑張りによっては正社員への雇用もあるとのことで その会社へ応募し、簡単な面接を経て働くことになった。

その会社は小さな工場(こうば)で、自宅を改装したような、見た目ふつうの家だった。

社員は少数。
男性は4人で、女性は7人程。
そして新入アルバイトの自分がひとり。


結果だけ言うと、この会社を ひと月にも満たない2週間程度で辞めた。



自分にとってはじめてのアルバイトは、『職場に通う・働く』ということに対して、強烈なトラウマを植え付けた 苦い経験となった…。

最初は「やる気のある若者が入ってきてくれた」ということで、それとなく皆に歓迎されていたが、日に日にそれはストレートな嫌がらせへと変わっていった。

一体、自分のなにが気に入らなかったのかは その当時は分からなかったが、あれから年齢と経験を経て、すべてではないが どうして自分が酷い目に遇ってしまったのか
少し分かったような気がする。


この会社は親族経営で、当時50代の社長と、その親戚の60代の専務、そして40代の社長の妹が現場を仕切っていた。
社長の父母(お爺さんお婆さん)も手伝いとして働いている職場だった。

その下で働いている女性たちは殆んどが既婚者で、それぞれがパートの傍ら家事や子育てに勤しんでいるようだった。

流れ作業は簡単なもので、特に困ったというようなことはなく
枠組みに接着剤を付けて張り合わせたり、梱包用の箱を折って完成した額縁を入れたり、作業で出たごみをまとめて倉庫に運ぶ といった単純作業だった。
新入りのアルバイトということで、割り当てられた仕事も負担のないものだった。

初日の休憩室での女性社員たちのやり取りは、当時の世間知らずな自分には、どうにも居心地の悪くなるような、嫌悪感マシマシのひとときだったことを覚えている。

椅子とテーブルとテレビが置かれた狭い休憩室。
席に着くなり、それぞれがタバコをふかし、狭い休憩室内に もくもくと煙が広がる
彼女たちは堂々と下ネタを含んだ雑談を交わしており、このnote.に書き綴ることも憚られるような、聞いた人がドン引きするような
昨晩の旦那や彼氏との生々しいアレコレといった内容の話しを、さも当たり前のように繰り広げていた。

この職場ではこの過ごし方が多分当たり前で
世間ではこういったやり取りは特別おかしなものでもないのだろうな… と当時の自分は思ったものだが
あれから社会経験を積んできた今、あらためて当時の記憶を思い返してみても、それがやはり異常な空間・やり取りであったことは間違いない。男性社員がその場にいない理由を悟ったのだった。

いや、ひとりだけ 自分より年下の(極めて愛想の悪い ふてぶてしい)先輩がいたが、彼はおそらく男として見られていないか、彼女らと同類だったのだろうと思う。

社長の妹もそこに居たが、パートの女性達とひとこと二言 雑談を交わすと、忙しそうに隣の自宅のほうへと戻って行った。
社長の妹が席を外すと、パート女性のリーダー格が
「あの人、バツイチで(実家に)出戻りのシングルマザーなんだよね」
「いつも偉そうにしてて なんかムカつく」と言うと
ほかの女性たちも同様に相槌を打っていた。

社長の妹さんに手渡されていたヤクルトを、それぞれにまわして渡していったが 人数分足りなく。
結局 自分の分だけが無かったが、その些細なことに対して、新入のアルバイトに気遣いの言葉をかけてくれる人間は、そこには誰ひとりいなかった
たかがヤクルト一本でこんなに嫌な記憶が残るようなことは、おそらく他の誰の人生にもないだろう。



ある日、「朝のミーティングが8時からはじまるから。」とパート女性のリーダー格が言った。
「遅れて来ないように。」と淡々とその人が言ったので、ミーティングに遅れないように、その日は目覚ましをセットして眠りについた。 

翌日。

約束したよりも時間に余裕のある10数分前に工場(こうば)を訪れると、パートの女性たちはすでに集まっていて
リーダー格の女性を軸に円を描くようにして、談笑しながら集まっていた。

元気よく「おはようございます! 今日もよろしくお願いします」と挨拶するも、女性たちはまるでなにも聞こえていなかったかのように、それぞれの作業台のほうへ散っていった。

リーダー格の女性はこちらを見やると
「ミーティング、もう終わってんだけど。」
と、すわった目をしながらひとこと言うなり、自分の作業台へと戻って行った。
まわりの女性たちが、そのやり取りを見て 含み笑いを堪えている。

約束の時間を間違えたのか?
それとも単に、ミーティングは簡単なものだったということなのか
何か腑に落ちないものを感じながら、作業に取り掛かる。

そこから
自分に対して、パート女性たちから あからさまな『嫌がらせ』がはじまった。

自分の作業台は女性たちのいちばん前。
彼女らを背に、仕事をしている。
リーダー格の女性がわざと大声で、聞こえるようにこちらの悪口を言ってくるのだ。
それに賛同するように合いの手を入れ、下卑た笑い声をあげる手下たち。
居心地の悪さを感じつつも、与えられた仕事を淡々とこなすよう努める
後ろで交わされているやり取りが、どうやら
" 自分のこと "であるのは分かっていた
そして、狼狽えながらも黙々と作業をしている自分を見、彼女たちが面白がっていることも…。

就業時間中であるにも関わらず作業をしていると、『片付け』と称して、リーダー格の女が大きなごみ袋を携えながら、こちらにわざと体当たりをしてくる。
その様子を見て、取り巻きたちがクスクスと笑い声をあげる
率直に言うと、陰湿で、最低最悪なクソ女たちだった。

またあるときは
額縁を梱包する箱を折っていたのだが、そんな嫌がらせを受け続けていたことで狼狽してしまい、箱の角を思わず破ってしまったことがあった
手下のひとりが注意深くそれを見ていたようで
「それは何?」「なんなの??」と、周りに聞こえるようにわざと囃し立てる。

自分がしたミスにいたたまれなくなり
「すみません…」と謝ると、リーダー格の女が
「そんなことも出来ないの…? (笑)」
「そんなのも出来ない人が、この会社の正社員になんかなれるわけないじゃん (笑)」
「あんたなんか、何処の職場行っても通用しないよ? (笑)」と
徹底的に 手厳しい言葉を浴びせられたのだった


この時点で、自分のプライドや尊厳は、既にぼろぼろだった
あまりに自分が情けなくて、涙さえでて来なかった。。
確かに自分は若輩で、至らない部分もあったかも知れない
それでも、こんな嫌がらせを受け続ける道理はなかった。

その晩から

職場での諸々の出来事が頭から離れなくなり
された事の数々を思うと、不安や恐怖から 手や身体の震えが止まらなくなることが多々あった…。
同時に… 中学校での苦い記憶がフラッシュバックし、現在の出来事と重なるようだった
つまりは 二重の苦しみと恐怖に苛まれていたのだと思う
自分の存在を否定されることが、これほどつらくて苦しいことだとは…。。

土日を挟んでも憂鬱さは度を超し、鬱病のように『なにも出来ずに・なにも楽しめなくなりつつあった自分』が そこには在った。。

この時点では両親になにも伝えてはいなかったが
恐らく、元気のない自分の姿を見て、親は不審に思っていたかも知れない。

食事もうまく喉を通らなければ
お腹も空かなかった
… 食べる気分には とてもなれなかった



さすがにこのままではいけないと思い
この状況を打開しようと思った自分は、
「話したいことがあるので、仕事が終わってからお時間を頂いても大丈夫ですか?」と
会社の社長と専務、そして 男性の先輩と自分を含めた4人での話し合いをさっそく提案したのだった。

嫌がらせを受けた理由は分からないが
ことのあらましを彼らに説明すると、社長や専務たちは
「またか…」「やっぱりそうか」と口々にした

どうやら彼女たちの横暴さには社長たちも手を焼いているらしく、それと同時に幾つか
前例もあるようだった。

人間性に問題があっても、役割はこなしているのだろうし、彼女らはこの職場のことを とてもよく理解している
端的に言って戦力なのだ。
おそらく、今後も状況が改善されるようなことは 一切無いのだろう。

せめて違う作業、空間で仕事が出来ないかどうか尋ねると
小さな会社なのでそれは難しい。ということだった。

額に手を充て 眉間に皺を寄せながら
「とりあえず分かりました」と社長。

簡単な聞き取りを終えて、その日は帰宅した。


次の日。

相変わらずミーティングには参加させて貰えず、彼女たちの談笑が終わるまで、自分は居心地悪そうにして突っ立っていた

そしてクソ女たちにいつものような嫌がらせをチクチクと受けながら、ミスをしないように黙々と作業に取り掛かる。
悲しいとかつらいなどの気持ちは勿論あったが、何をされても心が動じないように
職場では感情のすべてを圧し殺していた

居心地が悪くても通い続けていた中学校の教室と似たような雰囲気。
感情が、輝きや色を徐々に失ってゆくのが分かった
閉塞的な空間で 自分を圧し殺しながら過ごしていた、あの頃の嫌な記憶が甦(よみがえ)る。



ふと、工場のドアが開き 専務が顔を覗かせた。

どうやら専務も工場のほうにはあまり顔をだしていないようだった。
近くに寄ってきて「うまくやってるかね?」と自分の肩をポンポンと叩く。

「まあ…」と気のない返事をすると専務が

「皆、せっかく入社した新人を苛めないでくれよ~」
「きみには期待しているからね!」と
声 高らかに笑った

そのとき内心

このおっさん、火に油を注いでくれたな…

と…  そう思った


おっさんの余計な一言でクソ女たちの怒りのボルテージが究極的に上がり
「あいつ、上司たちにチクったな」感が 
ひしひしと背中に伝わってきたのだった

交渉決裂。
争いは、激化の一途を辿ったのだった

社長は経営者なのでともかく
専務と先輩の男性の派閥と
パート女のリーダー格の派閥と
どうしようもない自分と
三つ巴の争いが始まろうとしていたのかも知れない

正直に言うと
「 もう やってられんわ 」… と

そう思った


ちなみに、
社長の妹は現場のリーダー格の女と バチバチと対立しているようではあったが
まがりなりにも社長の妹であったし
好きなときに来て、好きな工程を手伝っていたので 特に気にしてはいないようだった。



あれからのことはよく覚えていない。

その日だか次の日だったか知らないが
社長に直接電話をして
「辞めます」と言ったのだと思う

社長の
「はい、分っかりましたー」の、気のない応答。

約2週間程の契約が、そこで終了した。



後日。
お給料を受け取るために会社の事務室に向かう。
僅かだが、働いたぶんのお給料はちゃんと受け取った。
申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

「今回のことは気にしないで
ほかのところでも頑張ってよ。」と社長。

簡単な挨拶を済ませ、事務室を出ると
年下のふてぶてしい先輩と目が合った

彼は
「暇ならこのゴミ、片付けて貰っていいすか?」と淡々と尋ねてきた
おそらく、ことのあらましを知っており、自分が退職したことも知っているのだ。

もう、無言でそのゴミを受け取ると
倉庫のダストシュートへ思い切り叩きつけて
自分はその会社をそっと後にした。



結局、仕事というものは
続けたものだけが正義なのだと

あのとき、そう思った。



翌朝。

早朝になってもベッドから起きて来ず…
心配になった母親が
「仕事はどうしたの?!」と声を荒げ
居間に呼ばれた。

仕事を勝手に辞めたことを、伝えることが出来ていなかった

朝の出勤時だったので父も急いでいたが
自分が「アルバイト辞めた」と端的に説明すると案の定 二人とも激昂し… 
静かに「夜にもう一度話しを聞く」と言われた。

曲がりなりにも正社員を目指して働いていたことを両親ともそれは分かっていて
ふたりとも、自分のことを応援してくれていたのだ。

社長や専務たちに話したように 両親にも同じように説明をしたのだが、返ってきた言葉は
「明日、会社へ行け。」
「謝って もう一度働かせてもらえ。」
という言葉だった…

父曰く
「その程度の嫌がらせにまいっていたら、仕事なんか出来ない」
「女に負けて悔しくないのか?!」
ということらしかった

母曰く
「そんなこと本当にあるの…?」
「でも、ちゃんと真面目に働いていれば 状況はよくなってくるから…」
ということであった

二人曰く… 
「たった2週間で その会社のことなんて分かるわけない」
ということだった


それからの記憶も、実はあまりよく覚えていない。

心と身体が拒絶反応を起こし
徹底的に、親と対立したことだけは覚えている

どこにも気持ちのやり場がなかったから
当時、家族と兼用していた愛車に乗り
夜の闇のなかへ飛び出すように、家出をしたような気がする…
短期間ではあったが。

両親と対立し喧嘩をしたときは
いつも自分が悪者で…
誰にもこの悲しみを打ち明けることが出来なかったから
いまの今まで、こんな何の役にも立たない悲しみを 怨めしさと共に ずっと背負ってきてしまった

そろそろこの荷物を 降ろしたいと思った


同じ街に住んでいる親戚の(義理の)おばさんが
興味深い様子で詮索してきたが
自分がアルバイトを辞めたことを知ると
その噂は親戚づたいに周囲に広がり…

ほかの人と顔を合わせるごとに
哀れみの感情を向けられたのだった。。



自分がなぜ、嫌がらせを受けたのか
年齢と経験を経て、それが分かった気がする。

とどのつまり
「そういう場所だった」のだと思う

彼女たちは単純にそういう性格で
単純に、自分のことが嫌いだったのだろう

そして、正社員を目指している自分へのやっかみもあったのだと思う。
若くてやる気に満ちた青年の姿は、逆の立場で言えば キラキラしたものに見えていたのかも知れない。

彼女たちは当時、年齢で言えば更年期に入る時期でもあっただろうし、パートとして働きながら、家事や育児の大変さや、嫁姑問題をも抱えていたのだろうと思う。
旦那や子供や姑に対するストレスが、フラストレーションとして溜まりに溜まっていたのかも知れない。

やり場のない怒り。

今ならそれが分かる。

それでも、当時の自分は
「こんな母親たちが子供を育てているのか…」
と、嫌悪感を抱いたものだった

自分が中学校時代に受けたようないじめを
成人したいい大人が、延長としてそれを続けている…
この 小さな街で。

学校での子供の苛めが 無くなる訳はなかった。


自分でも情けないと思うのだが
あの頃に受けた傷が、未だに疼くときがある

その証拠に
嫌がらせをしていた女たちと同年代くらいの女性がとても苦手だ

あの頃よりはマシになったが
それでも、トラウマは未だに残っている。

例えば公共施設やコンビニなどで
女性の店員、受付がいたとすると
それを避けて男の店員さんのほうへ行くぐらいには 女性が苦手だ。

勿論、好意を寄せるのは普通に、女性に対してだが。



彼女たち、と言ったが
主に仕切っていたのは リーダー格の女と もうひとりの胡麻すり上手な手下で
あとの女性たちは、雰囲気や顔色からも察することができるように、仕方なく従っていただけのようではあった。

リーダー格の女がいない間はとても静かで、職場の雰囲気は言うほど問題ではなかったような気がする。
戻ってくると地獄だったが。


その場にいる全員が、いじめっ子の顔色とまわりの反応や出方を、それぞれに伺っていたのだと思う。

よく、
「女性だけの職場は天国だ」と
世の男性たちは口を揃えて言うことがある

なにも知らないというのは、
とても幸せなことだな…  と 思ったりする。






ハローワークで印刷した求人表
会社の説明にはこう記してあった

(⚠️ 自分たちは )  
『 働き易くて、アットホームな職場です。 』

と…



















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