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気づきのある生活を求める

なんとなく過ごしても1日は1日。新しい気づきがあっても同じく1日は1日。

同じ1日ならどっちがいいだろう?

僕はやっぱり後者がいい。

気づきというものには二つのベクトルがある。

与えられた気づきと見つけていく気づき。

矢印は異なるわけだが、この二つには共通点がある。

それは、どちらもその場にいくということだ。

与えられる場に行くこと。見つけに行くこと。

いずれにおいても行動が肝になる。

一番小さな行動としては、「参加」がある。
とにかく参加すればその場に行くことができる。

参加すれば、とりあえず何かは与えられる。

それが何かは知らないが、とにかく与えられるのだ。

与えられたら、与えられたことに気づくかどうか、
それ自体が気づきではあるが、
感謝があればどんな小さなことだって
拾い上げることができるのだ。

少し話を戻せば・・・
一番小さな行動である「参加」ということをしないのなら
おそらく気づくことはできないだろう。

そして、なんとなく過ごす1日の繰り返しだ。

別に強要するつもりはないのだが、
せっかくなので、いろいろ気づきがあって
刺激とは言わないまでも、ピンと感じるものがあれば
それは素晴らしい1日なんじゃないかとすら思う。


僕は、気づきのある生活をこれからも求める。

もし気に入ってもらえたら嬉しいです。情報の発信とコミュニケーションについていろんなチャレンジをしていきます。どうぞよろしくお願いします!