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朝起きたら息子がコンロで火をつけていた話

寝起きと酒酔いは人の判断や認知を鈍らせる。
そんな条件下で、殊有り得ないような光景に本能的な行動をとるし、感情すら揺れていくから困ったもんだ。

でも正直な気持ちはそこにあるのかもしれないけれど……


リビングの西側、三畳の畳スペースで私は眠っていた。
はじめは夢の片隅で聞こえた熱せられた油が跳ねる音だった。そう、まだ珍しい夢だと思っていた。

昨日は確か……また1人リビングで第三のビールを飲んだ。冷凍パスタをお世辞にも綺麗とはいえない食べ方で酒のつまみにしていた。ニセビールは350mlを3缶も開ければ、ちょっとした酩酊だ。スマホで、動画をザッピングする。

いつの間にか、家族と過ごす時間が少なくなって、でもそれはむしろ望んでいたんじゃないかと自問したり、はたまた職場の年配の女性が「男はみんな寂しがり屋」と冗談めいたふうに話していたことを思い出したりした。ないものねだりの自分に、愛されたいと願った滑稽な過去が顔をのぞかせる。

リビングを見れば、半年前から飼い猫になった保護猫のチョボが、ソファの毛布の上からじっと見ていた。そうかと思うと、歯が全部見えるくらい大きなあくびをして見せた。

次の瞬間には、赤色のレゴブロックに飛びつき、猫パンチで転がしだし、気が済むとすぐまた私を見てゲージの上の定位置へ体を投げ出すように佇んだ。

そうだ……それを見てなんだか癪に障ったような心地でそのまま畳の上に布団をひいて寝たんだ。

ジュー、パチパチ
カチャ

徐々に音の輪郭ができあがる。
油の跳ねる音。
フライパンかな?擦れるような金属音。

まあ、夢だろ?

いやいや、朝だ。
夢じゃない。
薄目に光が入り込む。

ちょっとした二日酔いと眠気のモヤのなか、やはり何かがキッチンで行われている…らしい。

妻かな?

だとしたら随分早い、珍しい。
いつも休日の朝食は私の担当だと思っていた。

あれ?

あのパジャマ。
あれ?えええ?

私は目を疑いまた、その一瞬で何かを悟った。
8歳の長男の横顔。
割り終えた卵をシンクの隅においたのが見えた。

人間言葉より体のほうが速いもんだ。長男の手からフライ返しを素早く取り上げると、声がやっとでた。

おい、コラ!!
勝手に何してる!!一人で危ないだろ!!

まずい……だいぶ大きな声がでてしまった。
驚いた長男の顔がみえる。

時とともに息が止まるような感覚と沈黙。

ごめん、父ちゃん、今日……父ちゃんの誕生日だったから……驚かせようと思って


怯えたように、でも意思を感じる長男の言葉だった。

ハッとした。
そうか、それで。


妻と目玉焼きを作ったと聞いたことはあったが、まさか自分一人で作れるなんて思わなかった。コンロの使い方や油の量の調節、フライ返しの動きだってそんな簡単なもんじゃない。

でも挑戦したんだろう。
私のために。


こんな時、だいたい感動しちゃうのが世の常なのかな。
素直になれないわたしの気持ちは複雑だった。

でも、こんなに言葉にできない気持ちを感じるのはいつぶりだろう。こんなに優しくも胸が詰まる感覚はなんだろう。とかく大人は最初から最後まで安全を優先し、ともすると子どもたちの自立の芽を摘んでやしないかと思ったりもした。

また頭をよぎる感覚。

立派な父親にはなかなかなれなかった。
そもそもなろうと思っていたのかも疑わしい。
目指す父親像すら持たない人間だった。
時に嘘をつき、自分すら誤魔化した。

焦りや情けなさとは少し違う。
臓腑をくすぐられたような心地と感覚だった。



フライパンをのぞき見ると、型くずれしているが立派な半熟の目玉焼きができあがっていた。

ありがと……ありがとう。嬉しいよ。

喜びベタなわたしは、彼の頭をできる限り優しく撫でた。

長男はギュッと言いながら私のお腹に顔をうずめた。


その後……妻にはこっぴどく注意を受けた長男くんでした。
そりゃあね、危ないからね。

こんな父をこれからもよろしくおねがいします。

【おしまい】






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