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「勝つ」とは?

年末にTBSで『ノーサイド・ゲーム』の再放送がやってた。

企業の経営戦略室にいた優秀な社員が左遷され、廃部寸前の弱小ラグビーチームのGMに着任する。チームを優勝させることで、本社に返り咲こうとする中、早々に監督が辞任してしまう。GMはラグビー未経験。なんならラグビー嫌い。新しい監督を選ばないといけないけど、どんな監督が良いのか分からない。「そもそも監督って重要?」と言っちゃう感じ。

チームのスタッフに「すごく重要です。監督は社長みたいなもんです。戦略から予算の使い方から全部、社長次第ですよね」と言われ、「へぇー、優秀な経営者ならたくさん見てきたんだけどなぁ」とこぼす。

そのスタッフから「じゃあ、優秀な経営者の条件って何ですか?」と問われて、「優秀な経営者は勝ち癖というか、何をやっても勝つし、不思議とうまく行かない経営者は次もうまく行かない。優秀な経営者は勝ち方を知ってるんだろうなぁ」とつぶやく。

「そうか!俺たちは優勝を目指してるんだから優勝経験のある監督を選ぶべきなんだ!」と思いつき、優勝経験のある人物に声を掛け、何とか監督を引き受けてもらうことになる。

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確かに「勝つ」という経験は重要だろう。僕はスポーツもやってないし、賞とかも取ったこともない。ただ、好奇心は旺盛だから、アートをはじめ色んなものに手を出すが、すぐに飽きてしまったり、横道にずっと逸れ続けたり。いわゆる「勝つ」という経験をしたことがない。

いつか書いたが、数年ぶりに再会した友人に「ブレてるところがブレてないね」と言葉をもらった。前々回のnoteでも書いた橋本治著の『「わからない」という方法』じゃないが、分からないと「そのすごさ」を知りたくて、手を出してしまう。単純に教養不足なのかもしれないけど、壁に当たるたびにインプットの旅へ出てしまっていた。

僕はずっと「自分探しの旅」をして、自分が勝てるフィールドを探しさまよっているのだろうか?―周りからも言われるし、40歳にもなると中々はっきりと否定もしづらい。

改めて「ノーサイド・ゲーム」を見て、「「勝つ」って何なんだ?」と思った。賞とか取ったり、誰かに認められたり、お金を十分に稼げたりすれば、僕は満足するのか?と考えた。・・・たぶん、しない気がする。その時点で不足してることに不満を覚えるだろう。批判する人間に不満を覚えるだろう。そんな僕は一生「勝つ」こと、満たされることはないんじゃないか。

どうして母親は友人からの手紙を嬉しがるのだろう。どうして荷物をちょっと運ぶのを手伝うだけで感謝するのだろう。どうして骨軟部肉腫で片足が義足になっても泣き言をひとつも漏らさないのだろう。

そんなことを思いながら落合陽一の「デジタルネイチャー」を読み始めた。

僕がヨウジヤマモトを好きなのは、そこに現れる侘びた性質や経年劣化によって味が出て、美しくなる瞬間を求める寂びた哲学の表出にある。(p.230)

この一節を読んだとき、まさにハッとなり、「勝つ」と「侘び・寂び」がつながった気がした。

「侘び」は不足の中に美を見いだし、「寂び」は劣化の中に美を見いだす的なこと。(10年ほど前、「インタラクティビティ」をテーマにデザインの作品を作ったとき、松尾芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を題材にした。当時、たしかに「侘び・寂び」や万葉集の三十一文字のメロドラマの世界に熱くなっていた。しかし、アートに転向し、白いキャンバスの前で立ちすくんでからは、どっかに行ってしまっていた。ただ、その経験があったからこそ気づいたのかもしれない)

何かが不足していると言って、足りない部分を埋めようとしても、広大な外側の世界を埋めきることはない。何かが劣化したと言って、劣化した部分を新しくしようとしても、流れる時間の中で新しさを維持し続けることはできない。

外側に何かを求めても、その条件を満たすことはない。つまり、負け続ける。

不足の中に美を見いだし、劣化の中に美を見いだす。この姿勢に負けは存在しない。またそのためには不足と劣化の状態を客観的に捉えてなくてはならない。

これがノーサイド・ゲーム的に言う「勝ち癖」を持つ人なんだろう。当たり前な人には当たり前で、そうでない人にとっては寛解することのない問題で、この勝ち癖問題と向き合うのは難しい。脳の問題だろうから。

最近の研究を踏まえてトレーニング等である程度はコントロールできると信じるしかない。大人になってからの第二外国語の習得と同じく、まずは頭で考えるところから始めて、身体に慣れさせるしかない。ただ、橋本治的に言えば、「壁にぶつかっている」ことを認めて、その状況を分析できたという意味で、スタート地点に立ったのかも知れない。

2020年。まだまだこれからだ。これまで見えなかった美が見えるようになったら楽しいな。レッツ転回。

そういや手仕事も侘び寂びのトレーニングには良いのかも知れない。コーヒー豆を挽いてたら、手仕事をするアーティストMaren Hassingerを思い出して思った。

おしまい

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