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「ヌーヴォー・シルク・ジャポン ジオXIO」終了しました!…ということで、演出について。


ヌーヴォー・シルク・ジャポン 直島公演後、宮脇慎太郎氏に撮っていただきました!

ヌーヴォー・シルク・ジャポン、3作目、ついに直島へ。

地域や日本の伝統文化と現代サーカスの出逢いを形にする、「ヌーヴォー・シルク・ジャポン」(NCJ)というシリーズが始まったのは2020年、新型コロナウィルスが突如、現れて、社会に戦慄が走った年だった。
それから2年半、2022年11月5日、6日に、念願だった直島でのNCJ第三弾が実現しました。毎年テーマも内容も全く違うので、3作目、となる。

文化の灯を絶やすな!

今では聴き慣れたフレーズかもしれませんが、2020年当時、私たちは震え上がっていたし、活動は100%止まったというか、0%になったというか。
とにかく全てを否定され、消し去られた。

完全に仕事と活動を封じられた人々と、そうは言いつつ案外普通に仕事と収入を保った人たちに分断される年月が、重苦しく流れた。
けど、平常時に戻った時のことを考えると、必要以上に叫んではいけない、というムードがあり、口の端にささやかな微笑みすら、たたえようとしていた日々だった。

それでも、多くのパラダイムシフトがあった。


2020年「ヌーヴォー・シルク・ジャポン」初年度(栗林公園商工奨励館)

2020年は忘れられない年。
北海道出身の私が瀬戸内(香川県)に移住した2011年から、ほぼ10年が経っていて、その間、ずっと、独り+地元の応援者により、現代サーカス活動を継続してきたけれど、
その間ずっと口にしてきた「地方にプロのアーティストが住み始める」と、予言めいた希望が、ついに実現し始めたのだ。
2019年に1人、2020年に3人、2021年に2人、今では6人のプロアーティストが香川に住み、日々、瀬戸内サーカスファクトリーの稽古場で練習と創作に汗を流している。

大都市は、プロにとって選択肢のひとつである。

と、ずっと言い続けてきた。
東京が大都市といっても、日本の人口の1/10程度が住んでいるに過ぎないのた。ほぼ大部分が、地方在住なのだ。
それなのに、文化も経済も、東京やその周辺に集中している(そして、そこが中心であると信じる)異常さは、意識して変革すべきなのだと。

フランスという国が、「文化の脱・中央集権」を叫び、政府主導で、予算も事業決定権も地方に分散させたことを、間近で見て、その効果も十分に知っていたつもりなので、
日本で(たとえ政府が動かなくても)それと同様の現象を起こすことは、ほとんどの人にとってより良いことだと信じてきたし、実践してきた。
容易なことではないれど、今もそのビジョンは間違っていないと思っている。

さて、プロとしての役割について。

根幹では、「文化の脱中央集権」とも共通して言えることだが、まず「世間が常識と信じることを疑え」という原則がある。

いま、ほとんどの人が「常識」と思っているものの90%くらいは、この20年程度で培われたものに過ぎないのではないか、と感じている。
長くて30年くらいか。

舞台の世界でも、そのことを非常に強く感じる。
自分はもともと美術の裏方として勉強や研究をしてきたので、現代サーカスとの出逢い以前に舞台芸術のことはほとんど知らず、まったくの素人として、いきなり現代サーカスプロデュースを始めたことになる。
よって、とりわけ「日本の舞台芸術の世界」には疎く、さらに、「日本の」「近年(この20年くらい)の」舞台芸術システムのことはほとんど知らなかった。
舞台監督という名前くらいは知っていたけれど、演出部?(部ってなに?)とか、○○助手、みたいな役割が次々出てきて、何それ?!という感じだった。
また、フランスや海外の現代サーカスの仕組みと日本の舞台芸術システムは噛み合わない部分も多いため、余計に戸惑うことばかりだった。

ベストな形は、自分たちで考えて作る。

そんなに簡単なことではないのだけれど、「基本的に」、役職や役割は、それぞれの現場、それぞれの組織で「生み出せばいいのだと思う」。

まるきり同じ現場なんてないし、まるきり同じチームも、作品も、スタイルもない。
だから、マニュアル的な「こうあるべき」は、「基本的に」捨てるべきだ、と今も考えている。

ベストな形は、自分たちにしかわからない。

最後に、演出について。

自分が「演出」をしたいと思ったのはいつだろう?と思う。
思い返すと、北海道新聞社時代、2002年くらいだったと思うが、初めて、舞台作品的なもののコンセプトをつくり、多くの人の力で、それを実現してもらった。
昨年2021年にエ・コ・ラボシアター/環境共生型舞台という事業を行ったが、すでに20年前、新聞社事業局時代にそのコンセプトを作って実現していた。
子どもたちのサマー・アートキャンプのようなもので、大学の美術の先生や学生たちが、小学生たちとともに、夏にキャンプを行い、皆でアート作品を作って発表するものだった。
その頃はまだ一介の社員で、アートの表現を提案するなど、畏多く感じたけれど、大学の教授に、「これをやりたいんです!」と、プランを説明した。
環境をテーマに、竹ひごと和紙で巨大な行灯(直径2mくらい)をたくさん作り、それを最後にワイヤーで天井から吊り下げ、舞台上では、モーターが取り付けられた自転車を子どもたちが一斉にこぐ。
すると、体育館の天井にぶら下げられた直径2mの地球や惑星の絵を描かれた行灯が、子どもたちのつくる電力によって点灯する!
しかも、それらが、生き物のように、上下に、昇ったり降りたり。
今思い出しても、夢のような時間が過ぎ…。
ああ、あれが2021年の「エ・コ・ラボシアター」のプロトタイプだったのだな、と思う。

「アーティストじゃない人が演出してるので。」

かくして、自分はプロデューサーになった。もとい、自己紹介やプロフィールでは「現代サーカスプロデューサー」と書くようになった。つまり、現代サーカスのプロダクションのためにお金を集め、集客し、収支の責任をもつ人になった、ということだ。

プロデューサーの仕事は、まるきり、自分の得意分野ではない(もともと美術史を勉強していて学芸員になりたかった)。
1つの芸術文化を成立させるために、プロデューサーは絶対に必要なのだ。でも、誰もやりたくないし(誰が借金のリスクを背負いたいのか?!)
自信もないし。
ショービジネスのプロデューサーの才に長けた人はいるかもしれない。でも、自分の儲け度外視で、文化を成長させるためのプロデューサーなんて?誰がやりたいのか?でも必要なのだ。
必要で、他にやる人がいないから、その役割を「プロとして」やることにした。それだけのこと。
でも、やるからには、本物のプロにならなきゃ、と思ってる。

けど、本当にやりたかったのはそれではなくて、「作品をつくる」こと、「ここにしかない世界をつくること」で。
プロデューサーとしても、それは関われるけど、もっと直接的に「作品を創りたい」情熱は抑えられない。

プロデューサーという肩書が一度定着すると、クリエイターとしての仕事は「アーティストじゃない人がやってる」と言われた。
その度に、心が掻き乱される。

結果を出さなきゃ、しょうがない。

今から。

結果って何かな?と思うけど、
結果的に、笑われるかもしれないけど、裸の王様かもしれないけど。

今までも、これからも、自分もアーティストに言い続けてる。
「誰しも、最初から演出家だったわけじゃない。誰しも、最初の一歩がある」と。
それは、自分にとってもそうだと思っている。
プロデューサーという役割がそうだったように。

自由になりたい。肩書から自由になりたい。
ルールから、自由になりたい。
それは全ての責任を伴うし、それでいい。

その権利は、誰にでもあるから、
それができる場が、瀬戸内サーカスファクトリーなのだと思うから。

瀬戸内サーカスファクトリーは現代サーカスという文化を育て日本から発信するため、アーティストをサポートし、スタッフを育てています。まだまだ若いジャンルなので、多くの方に知っていただくことが必要です。もし自分のnote記事を気に入っていただけたら、ぜひサポートをお願い申し上げます!