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「もう先生じゃなくていい」と言われ、心がふわりと軽くなった


「もう先生じゃなくていいんだよ」

今年の6月からコーチングをお願いしているゆいとしまささんのこの言葉が、長いあいだ自分を縛り付けていた鎖を一気にほどいてくれたような気がしました。


新卒で教員になり、ずっと「べき」という言葉に縛られて生きてきたんです。


「先生としてこうあるべき」

「公務員としてこうあるべき」

「教育とはこうあるべき」


大学を卒業したばかりの、社会のことなんか一ミリも知らない自分。

年長の先生たちに引け目を感じながらも、なんとか良き教師であらねばと、自分自身に対して厳しい枠を押し付け続けていました。

今思えば無理をしていた部分が、たくさんありました。


4月に教員を退職。

7年間の教員人生でした。

今はパーソナル編集者として個人の情報発信の伴走をする仕事をしながら、週3回だけ個別の塾の先生もやっています。

まだ一応先生として働いてはいるけれど、もう学校の先生ではない。

でも、どこか自分自身に厳しい目を向ける癖が残っています。



「もっと軽やかに生きれたら」

ゆいさんと話し合う中で、そんな心の叫びに気づきました。


しかし、過去を振り返ると、そんな自分が子どもたちには「もっと自由に生きてほしい」「やりたいことをやっていい」とアドバイスしていたんです。

周りには自由を奨励し、自分自身には厳しい「べき」を押し付ける。座右の銘に「人にやさしく、自分に厳しく」と書いたこともありました。


あのころの自分に言ってやりたい。

「自分にも、もっとやさしくしてあげてもいい」と。



「先生」と呼ばれること。

実は、この肩書きに居心地の悪さを感じていました。名前のうしろに続く「先生」が自分を窮屈にさせ、人とのかかわり方を一方的なものにしてしまっているような気がしていました。

本当は、もっとフラットに、もっと自然体で人と関わりたかった。


教員を退職して4ヶ月。

ようやく「先生」である自分、そして自分を縛る「べき」から解放されてきた実感があります。

少しずつですが、自分自身がどう生きたいのかを考える余裕が生まれてきました。

周りの期待に応えることばかりを考えるのではなく、自分が心から望む生き方を選ぶこと。それが、今のぼくにとって何よりも大切なことだと感じています。


「もう先生じゃなくていいんだよ」

おじいちゃん、おばあちゃんの家のような、ほっと安心する言葉です。

また自分に対して厳しくなりそうなときは、この言葉に帰ってこようと思う。


いつも応援してくださり、ありがとうございます😗