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福祉の枠からはみ出しまくってる会社がかっこよすぎて、惚れすぎて、好きすぎて吐きそう


「ガイアの夜明け」ヘラルボニーの回を見ました。

マジでかっこよすぎる。最高すぎる。思いがあふれて止まらないので書きました。


「とんでもない会社になりたい」と代表の松田さん。いや、もうすでにとんでもない会社だよ。

まず「ヘラルボニー」という名前。

この名前は、松田さんの自閉症のお兄さんが、中学時代にノートに書いた言葉に由来しているそうです。

そのお兄さんの字が画面にうつったとき、ぼくはこれまで関わってきた子どもたちの字を思い出しました。

やはり彼らの書く字には、言葉では簡単に説明できないパワーがあります。

個性が爆発しています。

松田さんのお兄さんの字も、まさにそんな字でした。



ぼくの31年の人生のうち、放課後等デイサービスでの勤務が3年、特別支援学校での勤務が7年あります。つまり、障がいのある人たちとの関わりに人生の1/3を費やしてきたことになります。

自閉症や知的障害のある子どもが書く字が好きでした。

字は人を表すといいますが、まさにそれを感じるのです。

彼らの字を見ていると、きれいに書くとか、ていねいに書くとか、そういう評価を横において書いている気がするのです。

彼らに書き順や文字の大きさなどのルールを教えるのは、どこか間違ったことをしているんじゃないかと思えて、真っ白な紙を用意して思いのまま書いてもらうのが好きでした。

特別支援学校で働くようになってからは、字だけでなく、絵を描く授業でも、子どもたちにはとにかく思いのまま書いてもらいました。それこそが創作なんだと思っていました。

でも、そういうことをやると、当然枠からはみ出します。

なので、ぼくの教室の机や床は鉛筆や絵の具の跡でいつも汚れていて、それで先輩に「やりすぎ」と怒られたこともありました。

こんなふうに、枠をもうけないでやるっていうのは、学校の先生の中ではなかなか異端な存在でした。

彼らに何かを教えたいなんて気持ちがこれっぽちもなくて、先生失格みたいな先生だったと思います。



今年の春に特別支援学校を退職しました。

その理由の一つとして「どんどん枠にはまっていってしまっている」というのがありました。

学校で働けば働くほど、異端だったぼくも、どんどん丸くなっていきました。 多様性を尊重したい気持ちの反面、学校はこうあるべき、教育はこうあるべきという思考にどんどん変わっていってしまっていて、そんな自分が嫌でした。

いつしかぼくは、授業で使うプリントに「ここにこれくらいの大きさの字を書いてね」といわんばかりの四角い枠を何個も印刷していました。

それがエゴだと気づいていながら、学校だからしかたない、授業だからしかたないと諦めていました。 勤務年数が増えるほど、机も床も汚れることは減っていきました。

だから、本当の意味でひとりひとりの自由な発想を尊重しきれなかったくやしさがありました。

「もしあの中に、将来作家として作品を世に生み出す生徒がいたとしたら、一体どんな授業ができただろうか。」 番組を見ながらそんなことを考えていました。




ガイアの夜明けを見て、ヘラルボニーを知って「こんなにもはみ出しまくっている会社が日本にあるのか」と、これまで自分が見ていた世界の狭さを反省しました。

そして、障害や福祉という枠にとらわれず、世界中を巻き込んでどんどん成長していくヘラルボニーの姿を見て、応援したいという気持ち以上に、やっぱりぼくもこれまでやってきた仕事をもう一度やりたいという気持ちがあふれてきました。



この番組を見ていて思い出した言葉があります。


「この子らを世の光に」


これは「日本の社会福祉の父」と言われる糸賀一雄氏の言葉です。

ぼくはこの言葉が大好きです。

ヘラルボニーの取り組みは、まさにこの言葉を体現していると思いました。

かっこいい。とにかく、ヘラルボニーがかっこいい。

惚れまくって、好きになりすぎて、頭おかしくなりそうなくらい。



「はみ出したっていいんだ。」と、あの時の先輩に叱られていた自分を、今なら肯定できるような気がしました。

「あの子らの字や絵のように、とらわれずに生きていきたい」と、もう一度生まれ変わるような気持ちになりました。

「ヘラルボニーで働かせてください!」というのはちょっとおこがましいですが、これから先の人生のどこかで、わずかでもヘラルボニーと接点を持てたら。


これからの人生に、ひとつの目標ができました。


【参考】



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