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よく思われようとがんばってもいいけど、よく思われたかを気にする必要はない


ぼくは周りの目を気にしてる方だと自覚しています。

最近よく耳にするHSPのような、わりと繊細なタイプだと思ってます。

そんな性格なので、目上の人と話す時や、大人数の中だと言いたいことが言い出せず、言葉がのどにつまって苦しい時があります。

表情、声のトーン、ちょっとした間、ピリッとした空気。いろんな要素からどう思われているか気にしちゃう。

それでめっちゃ緊張するし、自分が発言するターンになったら「あ、あああ…」みたいな感じでおどおどしてしまう。

たぶん対面でのコミュニケーションだと、目の前の人から飛んでくる情報が多いんですよね。情報を処理しきれなくて軽くパニックだし、不安になる。

あと、よく思われようとして、自分の正直な気持ちを隠してしまうこともしばしば。

「嫌われないかな」とか「気を悪くしないかな」と思って、取り繕った態度や言動で人と接してしまう。そんなことが、けっこうあります。



ぼくと同じようなタイプの人に、この言葉を贈ります。


「よく思われようとがんばってもいいけど、よく思われたか気にする必要はないと思うよ」


これ、最近ぼくが先輩に言われてとても救われた言葉なんです。


「よく思われようと振る舞うこと」ってなんか悪いことのように思っていました。でも、それをがんばってもいいって言ってもらえるのは初めての経験でした。

ちょっとびっくりしたし、同時にめっちゃ救われた。


でも逆に「よく思われたかどうか気にしすぎる」のはまさに自分の良くないところだなと思って。

人と話している最中にそのマインドにおちいることがあるので、メンタルがどんどん良くない方向に行ってしまう。


最近はね、「人にどう思われるかをとことん考えてみよう」という気持ちでいるんです。

noteを書くときも、1対1で対話するときも、どんな言葉を使うのか本気で考えています。

だって、せっかく人の感情に敏感すぎる気質を持って生まれたんだから、それを活かさない手はないと思うんです。


ただ「言葉の重みは受け取る相手が決めること」ということも理解しています。

これだけ考えて言葉を選んでいても、やっぱり自分の思いに反して自分の言葉が人を傷つけてしまうことはあります。

でも、どう思われるかとことん突き詰めて考えた結果出てきた言葉なら、それはもう仕方ないと思えるようになってきました。

だから、よく思われたかを後から過度に心配する必要はないのです。

口から出てしまった言葉とは、そういうものなんです。



最近うれしかったことがあります。


ぼくの書く文章を、ていねいだと言ってもらえたことです。

この繊細な気質って、実は文章で活かせると思うのです。noteを書くときも、頭の中で「読まれるかな?」とか「読みやすいかな?」とかめちゃくちゃ考えてるわけです。


「読まれるかな…」みたいなことをひたすら考えて書くけど、目の前に人がいないから緊張せず、ゆっくり時間をかけて考えれる。

人と喋るときだと「あ、やばい、待たせてしまってる、どうしよう」みたいになるけど、noteで書くのは時間かけても誰の迷惑にもならない。


だから、人にどう思われるかをとことん考えられる。


noteを書くとき、めちゃくちゃ創造性を発揮できていると思うんです。


この繊細さがあってよかったな。

最近はそう思っています。



繊細なあなたにしか書けない文章がある。

だから書く時は、繊細な自分のまま、人のこと気にしまくって書いたらいい。読まれるかどうか気にしていい。とことん考え抜いていい。

でも、無責任な言い方になるけど、それがどう伝わるかなんてマジで誰にもわかんないから。

言葉なんて、そんなもんだ。





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