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出会いを愛するということ

取り繕わず
見返りなんて求めず
縛られることなく

ただ真っ直ぐに
その出会いを愛すること



そういう出会いをできることが
人生で最も素晴らしい出来事なの




私は旦那様のまーくんが死んだ時から
次の恋の話をしています


まーくん以上の人には出会えない
大好きだから結婚して
結婚して子供が産まれた後も
変わらずに大好きでした

失ったものが大きくて
それは埋められるようなものじゃなくて
彼の代わりなんていなくて
決して埋まることはないと今も思っています


ではなぜ
次の恋の話をするのか


次なんていない
死んだ彼だけを愛して生きる

それは素敵なことだと思います

そして
世の中に押し付けられる生き方でもある


私が次の話をすると
「とんでもない!」と
非難轟々の矢がいたる所から飛んできます

note_マガジン_2021_11_出会いを愛する_main2


愛する人が死んだ人は
その愛だけをずっと見つめていることが真の愛なのだと





人を愛することは素敵なこと




まーくんが突然に死んで
私に残ったものは

「やれば良かった」
「伝えれば良かった」
「すれば良かった」

と、見事に自分の想いでした

一つも「して欲しかったのに」なんて考えなかった



相手がどうであろうと
状況がどうであろうと
自分に対してどうであろうと

大切なのは
自分の想いでした

後悔したものは
自分が『しなかった』ものばかり



大切だと思ったものは大切にする
好きだと思ったものは好きだと言う


とてもシンプルで
とても大事なこと


人はやっぱり
自分ありきではなく相手ありきで考えてしまう

「どうして」
「してほしい」
「してほしくない」

あんなに求めていたのに
そんなもの微塵も残らなかった

相手に求めるのではなく
自分でしかなかった



それを知ることが出来たのは
まーくんが死んでしまったからだし
まーくんと出会えたから

まーくんとの出会いは
それを教えてくれる出会いだった


『愛すること』を教えてくれた
素敵な出会いだった




まーくんが死んでから
たくさんの人と出会うことになり

私はその出会いをどれも愛しています



相手がどうであれ
自分に何をしてくれるかでなく
ただ純粋に愛おしく思っています

同じ時を生き
たまたまという偶然の奇跡で
出会えたその人が好きです


その人が自分のことを大切にしてくれるのなら
尚更かけがえのない出会いです

性別問わず、関係性問わずですが
いつか、その出会いの中に
また愛する人が出来たのなら

それは非難されることでも
申し訳なくなることでもなく



とっても素晴らしいことじゃない



そういう出会いが
まーくんと出会えた人生の中で起こったら
こんなに嬉しいことはない


だから恋の話をするの


周りは
一つのものを貫き通すことだけが愛だというけども

私は
まーくんのことを心に置いて
その上で縛り付けることもなく、縮こまることもなく
いっぱいいっぱい愛していきたいんだ



まーくんのことを大切に想って
まーくんと出会えたことを大切に想ってる


だから
大好きな彼がいなくなったこの世界で
大好きな人を作るんだ

それが
まーくんとの出会いを愛した
私の真の愛なんだ


一緒に生きていきたかった人と
一緒に生きていくことはできなかった

でも
それでも
私はまーくんとの出会いを愛しているんだ

愛しているから
これからの出会いも愛していくんだよ

note_マガジン_2021_11_出会いを愛する_main3


お母さんは人を愛する気満々だ
いつか愛する人が出来た時に
少しでも応援してもらえるように
子供たちにも「お母さんはいつか恋をするからね」と話しています



これがまぁ、世間一般的には非難轟々
「とんでもねぇ親だ!」と
(最近よく取材を受けて、その記事につくWEBでのコメント欄とか…)

何がとんでもないんでしょうね
『人を愛すること、大切に思うこと』の何が問題なのでしょう


最初はポカーーンと聞いていた子供達
最近、長男けーくん(8歳)と2人で話す機会があったので

「お母さんに彼氏ができたらどう?」と聞いてみたら

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