死の淵ってあるんだよね
そう思いませんか。仕事絡みで『あるっ!』って実感した事がありました。
看護小規模多機能施設での夜勤。末期癌で体調がすぐれない方が泊まっていました。癌が体組織を壊し、肌が陥没し、内部組織の一部が剥き出しになり、滲出液が止まらない。そんな状態。食事は食べられる時に少し。水分も同じ。点滴で体液を補充しているといった状態です。
でも、歩いて、座位も保てる。車で通う事も出来ていましたが、流石に疲労が濃く、連泊して週に1〜2日は泊まって過すサービスに切り替えようかと相談をしました。まずは、お試し宿泊。その日の夜勤の出来事です。
申し送りでは食事も出来たし調子は良いかなとのこと。トイレは無理には起こさないで様子を見て下さいって感じだったので、割と気楽に仕事に入りました。
着替えのお手伝いも普通に始めたのですが、起き上がると様子がおかしい。呼吸や目の動き。普通と違う。看護師は大丈夫と言うのだけれども、嫌な予感しかない。
他の方も泊まっているので、個々の対応をしながら、多めに訪室。大抵は眠っていましたが、眠りは深くないんです。時折り気付いて口を開く事がありました。ただ、その内容が不安を煽る言葉だったんですよね。
家に帰りたい。
半泣きの状態で言うんです。一番始めに帰りたいと言われた瞬間に確信しました。この人、三日保たない。下手すると家に帰れないかもしれない。
何とかして家に帰してあげたい。
これらの考えが駆け巡りました。で、結論。平常心で安心するような声掛けをして、本人に頑張ってもらうしかない。利用者さんの頭を撫でて手を握り、笑顔でさらりと口にしました。
「明日の夕方、必ず帰れるからね」
「帰れる?」
「帰れるから、安心してていいよ」
「ーー」
「ずっといるから、大丈夫」
そう話すと安心したのか目を閉じて、少しすると寝息が聞こえ始めました。
部屋を出ると同時に、頭を駆け巡ったのは「ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ……」という言葉だけです。
時間は確か日が替わったくらい。朝が来るまでは急変の可能性が高いかもしれない。でも、出来ることは、話を聞いたり、手を握ったり、痛む場所を擦ったりといったことだけ。
丑三つ時を過ぎた頃。
居室の戸を開けた時、強い違和感を感じました。消灯していて暗いのですが、その暗さが異様。寝ている利用者さんの周囲がやたらに暗い。
ねっとりとしたタールが沈むように、重い闇が利用者さんを呑み込もうとしている。
全身が近付くのを拒否して強張ります。
死の淵
そんな言葉がぴったりと嵌る。
自分は死の淵を見ている。
その中心に利用者さんがいる。
――生きてるのかどうか判らない。
瞬きすると、微かに利用者さんの姿が見え、闇が薄くなった気がします。腰が退けましたが、勇気を奮い起こして居室へ入りました。すると空気が通常に戻りました。息はーーありました。しかし、先程の感じ。本当にギリギリの時間しか残っていなんだというのが判る程の重さ。
祈るように手を触れて、自分の力が少しでも移るようにと目を閉じました。家に帰れるくらいの寿命。十数時間でも譲れるものなら譲りたい。利用者さんが望む家に帰れるように。最期の願いが叶うように。
利用者さんは穏やかな様子で眠っていました。
恐らく、あの闇を感じた時間が一番死に近い瞬間だったのだと思います。明け方に向かって行くに連れて不安感は薄れました。でも、思ったのです。明日には亡くなってしまうだろうと。
申し送りをして夜勤を終えたのですが、帰る前に日勤者に「長くて三日。下手すれば明日まで保たないと思う」と伝えました。
二日後「亡くなったよ」と報告がありました。私が帰った日の夕方、二人がかりで自宅へ送ったそうです。様子が悪く、送った職員も無事に帰れるようにと途中の神社に車中から神頼みして送ったとのこと。
日が変わる前は息があったそうですが、早朝、家族が様子を見に行ったら、既に息が無かったそうです。
ああ、良かった。
帰れたんだ。
頑張ったんだなぁ。
そう思いました。
後日、本人の希望通りで良かったねと話し、亡くなったのが月末ギリギリで、家族に介護での経済負担をさせなかったのも凄いと、その亡くなり方を称えたのは言うまでもありません。
実際に感じたあの真っ黒い淵は本当に死の淵だったのでしょう。亡くなった時間とほぼ同じ時だったので、もし、夜勤の日に自宅にいたら、その利用者さんはあの時間帯に亡くなっていたのでしょう。
家に帰る。その力強い意思で自宅に帰ったのだと思うと、死の淵にいた後は気力だけで生きていたのかもしれませんね。
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