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味方を作ろうとすることがイジメを作っている??



私にとっての味方という言葉の意味合い

心が苦しくて苦しくて、どうしようもない時、私のことなんて、誰も分かってくれない。

そんな投げやりな気持ちになってしまっている時、自分の味方が一人でもいてくれたなら…。

それだけで、傷付いたボロボロの心は癒される。

私は、今まで味方という言葉を
自分の心が凹んだ時に、
自分を慰め、自分の傷付いた心を癒すつもりで使っていたけれど…。

味方という言葉に対してプラス。ボジティブな意味合いしか私にはなかった。

自分の味方を作ろうとするから、イジメが起きる

息子が言っていた言葉。

今まで私の中には、味方という言葉をマイナス、ネガティブなものとして捉えることはなかった。
だから、私の中では、今まで使ったことのない領域に意識を向けることになる。
きっとそれが、私の偏ったものの捉え方を変えてくれるはず。

息子の言葉を自分なりに解釈してみようと思います。

私にとって味方を作ろうとする意味は?

そもそも、自分のまわりが、みんな全員味方だと思っているとしたら、敢えて味方を作ろうという考えすら浮かばない。
自分のまわりには敵がいる。という前提があるからこそ、味方という概念が生まれる?

心の底で、自分の意見に刃向かってくる相手がいるかも知れないと怯えている。
自分の思い、考えに自信がなくて、不安、恐れがあるから、自分の味方を作って、安心しようとしている。

味方を作るという考え方の問題点は?

自分の考えと同じ者同士で仲間、グループを作ろうとする。それ自体は別に何の問題もないし、普通のこと。

でも、その仲間意識が過剰になると問題が出てくる。

仲間同士だって、いつもみんな同じ意見になるはずがない。
だから、お互いの意見が食い違った時、そこで関係が悪くなってしまうと、自然に自分たちの考えと合わない人たちが排除されていく…。それがイジメに繋がっていくということ?

味方ってどういうことだろう?

何でも自分の意見を認めてくれる相手ってこと?

私たちって友達(仲間、味方)だよね?って言葉。その言葉を口にしても、たとえ口にしなかったとしても無言の圧力。

友達として、その仲間同士の中で、勝手に出来上がってしまったルール。

この友達同士、仲間同士の中ではこう言う考えをするのが普通。当たり前。そこからはみ出すと攻撃される。そこからはみ出さないように、

私たちって友達だよね?
あなたは私の味方でいてくれるんじゃなかったの?

そうやって呪いの言葉をかけて、自分の意見に逆らわず、素直に従うように無意識にコントロールしている。それに従わないと、罪悪感を感じてしまう。だから、その枠からはみ出た意見、行動が出来なくなってしまう。

自分と同じ考え、思いの人たちを自分の仲間として囲い込む。それ以外を認めない。その仲間同士の意見をあなたも同じ意見でしょ?と押し付けられて、自分の本音を言えなくなってしまう状態。

それが、味方を作るという考え方の私にとっての問題点になるのかな。

味方という考え方に囚われない

仲間だって、いつも同じ意見じゃなくてもいい。仲間だって、いつだって相手の味方になれなくたっていい。

仲間って自分の意見を素直に正直に言い合える集まり。そこではお互いの意見が尊重され、認められる。たとえ、意見が食い違ったとしても。

あぁ、これって私たちって家族でしょ?
この呪いの言葉と一緒だぁ…。

だから私は息子のこの言葉に妙に反応してしまったんだな。

家族同士だって、いつも同じ意見じゃなくてもいい。家族だって、いつだって家族の味方になれなくたっていい。

家族って自分の意見を素直に正直に言い合える集まり。そこではお互いの意見が尊重され、認められる。たとえ、意見が食い違ったとしても。

私が家族に対して感じること、考え方が、まわりを見る考え方にも影響を与えているってこと。

まだ私にとって家族に対しての考え方、見え方は偏っているのかも知れないけれど…
ここまで向き合えた自分。
よく頑張ったね。と、自分に言ってあげよう。

ここまで私の内観にお付き合い下さった方、どうもありがとうございます。



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