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家族なんだから、と言う呪いの言葉


障害を持った姉の家族として生まれて


私の生まれ育った家族は、障害を持った姉を中心にまわっていた。

私は、年齢的には妹という立場でありながら、障害を持った姉の世話を焼くという、姉という立場も担っていた。

私たちは、年子だ。二人姉妹だったため、洋服や身の回りの物を親が買ってくれる時は、いつも姉のものは決まってピンク。私は、ブルーやグリーンだった。私に色の選択の自由はなかった。私だって、女の子らしいピンクのものが欲しかった。

それは、妹にとって自分の思い通りにはならない、という姉妹の家庭では妹がよく持つ不満なのかも知れない。

でも、私には姉の世話を焼くという姉妹逆転の立場でありながら、よくある年上の子としての特権も得ることが出来なかった。

一番目の子は、初めての子供ということで両親から可愛がられる。自分の好きな習い事をさせてもらえる。

生まれた時には既に姉がいたので、両親から私だけを愛してもらうという特別な時間を私は味わったことがない。

そして、習い事も姉が習っていたビアノはやらせてもらえなかった。私が姉と一緒にピアノを習って、もし私が姉よりも上達してしまったら、姉の心が傷付くからという理由だそうだ。

一体、どれだれ私は、我慢ばかりしなければ、家族の一員として認めてもらえないのだろう?

きょうだい児という言葉に出会って


子供の頃は、他の家族のことはあまりよくわかっていなかったし、何か他の家族とは違うと思いながらも、家族ってこんなもんなんだとそこまで気にもしていなかった。

でも、大人になるにつれ、自分と向き合うようになり、自分の生き辛さは、子供の頃に育った環境にあることに気付いた。

きょうだい児(きょうだいに障害を持った子がいる)…。

そんな言葉を、知ったのは数年前のことだ。
その言葉を知って、今までの自分をやっと認めてもらえたような、私のことをやっと理解してくれる人が現れたようでホッとした。

私が子供の頃にその言葉と出会っていたならば、もう少し楽に生きて来れたかも知れない。

私のホントのホントの気持ち

姉の世話を焼いている私の姿を見て、まわりの人たちは、偉いとか、優しいとか、しっかりしているとか、褒めてくれた。

初めは、そんな言葉がとても嬉しかった。両親、姉からは、褒められたり、感謝されたりなんてことはなかったから。でも、私は、家族からかけてもらえなかった言葉を、まわりの人たちからもらいたいが為に頑張り過ぎていた。そうやって頑張り続けていれば、家族に認めてもらえると思いながら。

ホントは、まわりの人ではなく、家族からかけてもらいたかった言葉。私は、少しでも家族として認めてもらえているという安心感が欲しかった。でも、ホントのホントの私の気持ちは、私が姉の面倒を見たとしても、見なかったとしても、私は私のままで認めて欲しい。母の思い通りの理想の子供じゃなかったとしても、私を受け入れて欲しい。

私は、母の理想の子供として、母に嫌われないよう、見捨てられないように無理して生きてきた。

母の心配性、過干渉


家族なんだから、手伝ってあげて当たり前?敢えて、言葉にして感謝することでもないと思っている?母も姉も感謝の言葉を口にすることに慣れていない人なのかも知れない。

私が子供を産み育て、子供たちに感謝しているということを母に話をした時、母は私の言葉を聞いて驚いていた。私はそんなことを思ったことがないって…。

私は家族として当たり前のことをしていると思ってきたから、家族から優しい言葉をかけてもらえなくても、そのことに対して不満を感じることさえなかった。

でも、私が家を出て、結婚して、家から離れてから、私はもの凄く家族に縛られて生きてきたことに気付いた。

家を出たのに、いちいち今の状況を詮索してくる母。あなたが心配だからと余計な一言を投げかけてくる。そんな心配性で、過干渉の母の感情に飲み込まれてしまう父。そう言うことが面倒で一切連絡をしなかったら、職場に電話をしてきたり、職場に直接来たり、旦那に電話をかけたり、来ないでって言ってるのに、家や子供たちが通っている幼稚園に直接来たり…。

母は、私のことが心配というより、母自身が自分の心配と言う感情に耐えられない。だから、母の行動は、自分の心が安心したいがためにとっている行動。

私も二人の子供を産み育て、母親が子供を心配する気持ちは痛いほどよくわかる。

でも、心配が過ぎると子供は自信を持てなくなる。心配をするということは、子供のことを信頼し切れていない証でもあるから。

あなたなら大丈夫って親に見守ってもらえることで、子供は失敗ばかりの自分でもきっと大丈夫って自信が持てる。

家族なんだからと言う呪いの言葉


家族なんだから、心配して当たり前。家族なんだから、困っていたら、助けるのが当たり前。

そうかも知れない。でも、私は今まで自分の気持ちなんて置き去りにして、家族のためと思って色々やってきた。感謝の言葉なんて求めていたわけじゃないけれど、(心の底では求めてきたけど…)私が今の家族、自分自身の気持ちを大切にしようとしたら、母、姉から言われた言葉。

あなたは冷たい。家族なのに無責任という言葉。私が今までやってきたことは何だったんだろう?今までのことは、感謝もされず、家族としてやって当たり前のこと?

当たり前を強要されてきた私。今までそれが当たり前過ぎて、私自身もそれに対して、おかしいとも何とも思っていなかったけれど。

家族だから、分かり合える?家族なんだから、自分の気持ちよりも自分が少しぐらい無理してでも、相手のことを優先するのが当たり前?

家族なんだからという私にとっては呪いの言葉。そうやって、私がやらないという選択をした時に罪悪感を植え付けてくる呪いの言葉。私が一番に大切にしなくちゃいけないのは、何だ?私自身の気持ちだ。私自身の心が満たされてないのに、家族のことをホントに心から大切に出来るはずがない。家族のことを大切に出来るのは、とってもステキなことだけれど、自己犠牲はしちゃいけない。結局誰も幸せになれない。

家族に感謝の言葉をかけてもらえなくても、私の存在をただ認めて欲しい。家族のことよりも、自分自身を大切にしようとしている私のことも受け入れて欲しい。

きっと、その願いは、家族に求め続けていたとしても、叶うことはないし、私はずっと幸せにはなれない。家族に認められない、感謝されない自分、そんな現実を受け止める。私にとっての理想の家族像を追い求めない。そして、自分を責めない。たとえ、家族に認められなくても、感謝なんてされなくても、そんな私自身を私だけでも、認め、今まで良く頑張ってきたね。ありがとう。と言ってあげようと思う。

家族のことで悩んでいる方たちの心が少しでも楽になりますように…。

読んで下さった方、ありがとうございます。


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