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江戸時代のトイレは「お金」の山? : リサイクルで持続可能な社会の実現

本日は江戸時代のお話しです。近年日本語の「もったいない」という言葉は、ぴったりくる英訳が存在しないことやノーベル平和賞を受賞した環境保護活動家ワンガリ・マータイさんの発言から既に海を越えて「MOTAINAI」という単語として多くの人に広まりました。これは日本人自身に根付いた物を粗末にせず大切にする考え方が海外の方にも受けたからだと思います。では、私たちの遠い祖先である江戸時代の人々にも「もったいない」という考え方があったのか見ていきます。

●江戸は世界最先端の循環型社会だった

江戸時代は外国との関わりを断つ鎖国体制を敷いていました。一部の国、一部の地域を除いて外国との接触はなく、当然国外からの輸出入はありません。更に家内制手工業がメインの時代であるため現代のような大量生産大量消費が可能な世の中ではないです。このような社会では、当然ながら物資不足に陥ります。特に首都の江戸は人口100万人の当時としては世界最大の人口を誇る大都市でした。このような巨大な人口を支えるためには、限りある資源を有効に使う必要がありました。そのため、江戸時代に生きた人々は現代では「ゴミ」と考えられてしまうような物まで再利用して生活していたのです。

●灰までリサイクルしていた

江戸時代に実際に存在したリサイクル業者の例をいくつか紹介します。

- 瀬戸物焼き接ぎ : 割れた瀬戸物を焼き継ぎと言われる技術によって直す
蝋燭の流れ買い : 燃える蝋燭から溶け出した蝋を買い集めて、それを新しい蝋燭へとリサイクル
箒買い : 古くなった箒を下取りして縄やタワシにリサイクル

更に灰までリサイクルしていました。「灰買い屋」という職業があり、家庭のかまどから出た灰を買い取り、染色、土壌改良、濁り酒を清酒にする工程など様々な用途に使われました。この灰ですが、元を辿れば「着物」だったということもあります。新品の着物→古着屋が引取り販売→ボロが出てきたら古着屋で手直しして再度販売→さすがにボロボロになり過ぎたらオシメや雑巾に→最後は燃やして灰へ→酸性の土壌を中和させる改良剤として散布と最後の最後まで無駄なく使いきりました。

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●江戸のトイレは「お金」の山だった

下の浮世絵は葛飾北斎の「北斎漫画」よりトイレで用を足す武士を描いています。「うっ、く、くさい」という声が聞こえてきそうです。

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(『北斎漫画』より、葛飾北斎 画)

実はこの武士の排泄物、江戸時代にはとても高い金額で取引されていたのです。当時は「下肥買い」という職業があり、江戸の街から取れた下肥えを契約している長屋の大家さんから集め、それを農家に販売していました。当時の江戸は100万人を超える人口があり、その胃袋を支えるために生鮮野菜や米の需要増大が必要不可欠でした。それを育てるための肥料が農家から出る自家製の下肥えだけでは足りず、都市から出る下肥えも重要な資源でした。その中でも特に良い物を食べている高位の武士から出る下肥えはとてもとても良い肥料になりました。

●歩き古した草鞋はそのままリサイクル

江戸時代は260年間戦争のない平和な時代でした。このような背景もあり、庶民の間にも伊勢参りや富士講などの寺社詣を目的とした旅行が流行しました。そのような旅行の時に当時の人々が履いていたのは草鞋です。大体50km程歩くとすり減ったと言われています。そのため、旅行者は旅籠や茶屋で定期的に買い替えていました。このダメになった草鞋、踏まれたことで繊維が柔らかくなり、良質な肥料へ姿を変えました。草鞋は修繕されて再度販売もされていましたが、これ以上は使えないと判断されても肥料として最後の役目を果たしていました。

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●最後に

今回は江戸時代のリサイクル事例をいくつかピックアップしてご紹介しました。江戸時代に「環境問題」や「地球温暖化」等の単語は存在しません。そもそも環境意識のためにリサイクルしていたのではなく、あくまでも物資不足の中で生き抜くための知恵でした。しかし、エコな取り組みは結果的に新しい職業を生み出し、経済の循環にも一役買っていることは現代にも変わらないと思います。確かに「灰買い」や「下肥買い」が現在通用するとは思いません。それでも現代でも求められている「循環型社会」の実現に向けて新しいビジネスはどこかに眠っていると考えられます。そのビジネスで地球に優しく、安定して社員を雇用して、社会に貢献することは結果的に大きな「お金」の山を築くことになるのではないかと思います。

Written by Kei

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