「Zoomではなんか物足りないよね」の「なんか」とは?を何か考えてみた、話
おはようございます。せんとです。今日は、タイトルにあるように「Zoomなどのオンラインミーティングでは、なんか物足りないんだよね」という感覚の「なんか」について自分なりに考えたいと思います。(記事|5,6分程度)
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自己紹介|旅館という「密」が売りにされた商売柄....
私は三重県鳥羽市にある日本旅館「扇芳閣」の5代目の後継ぎで、2020年4月(コロナが猛威をふるい始めた頃)にオランダより帰国し事業を継承しました。初めての方は以下のnoteをご参照ください!
雇用調整助成金やGotoトラベルキャンペーンなど、国や地方自治体も様々な形で旅館やホテルなどツーリズム業界をサポートしてくださっていますが、まだまだ、例年と比べると厳しい経営状態が続いています。
「旅館」という商売柄、「お客様への"密"なサービス」が売りだったので、「密」を回避するという社会状況においては、最も風当たりが強い業態のビジネスとも考えられます。さて、以下は今日の本題です。
オンラインでもコミュニケーションは取れるけれど...
「なんか、物足りなんだよね」
「やっぱり対面で話すと違うよね」
Zoomでの打ち合わせや飲み会でも「全然大丈夫!」というケースが増えてきたかもしれませんが、上記のような「いやいや、やっぱ対面がいい...」という声なき声もあることも事実です。
僕自身、コロナの自粛期間に新しくできた友人で、オンラインでしかやりとりをしていないけれど、とても深い話ができる友人は何名もいます。
ただ、もっぱらオンライン会議での最後の別れの挨拶は、
「落ち着いたら一度会って、ゆっくり話したいよね」
「いやー、いっぱい飲みながら話したいね」
という、オフラインで会うことへの待ちきれない気持ちばかりです。笑
自分達の子ども世代になれば「初めから学校もオンラインで、友達とはオンラインゲームで知り合ってVR上で会話する」のが普通になるかもしれません。そんなオンラインネイティブ(生まれながらにオンライン環境)であれば、「なにか物足りない」という感覚に陥ることも少ないでしょう。
しかし、オンラインネイティブではない(対面で会うことの心地良さを知っている)我々世代にとっては、「オンラインでは事足りないよ...」いうのが正直な気持ちではないでしょうか。
「なにか物足りない」の"なにか"とは?
「なにか物足りない」の"なにか"とは、何なのか。ここについて少し考えて見ました。
以前は、オフィスやカフェ、居酒屋がコミュニケーションが発生するスペースでした。しかし、コロナ自粛期間のステイホームにより一気にコミュニケーションのフィールドは「オンライン」への移行していきました。
オンラインでの情報交換や、ある程度の信頼関係の構築はできる一方、多くの人はオフィスやカフェ、居酒屋でのコミュニケーションに回帰したい想いに駆られています。
リアルには「脱予定調和」=「不便」があふれている
そんな背景を踏まえ、突き詰めて考えると、多くの人が求めているのは「脱予定調和がある環境」だと僕は思います。
例えば、オンラインで「お茶する(会って話す)」場合、定時になり、一緒にZoomにログインすれば「予定通り」開始されます。
しかし、リアルな環境で「お茶する」場合は、そうは簡単にはいきません。
JR御茶ノ水駅のNewdaysの前で待ち合わせ、村田ビルのスタバに向かって歩き、フラペチーノを頼んで受け取り、2階に上がって席を探す。2名席が空いていないので、スタバを出て、明治大学のテラス席で話す。
沢山の出来事が「対面でお茶する」の裏側には隠れています。そして、この出来事が多ければ多いほど「予定した通りにはいかない」です。
新宿駅から中央線は遅れるし、御茶ノ水口と聖橋口を間違えるし。
スタバには長蛇の列ができているし、知らない人と相席だし。
そんな「予定外で不便なこと」が対面やリアルには溢れています。
不便に助けられていた....節あるよね?笑
でも、「不便なこと」は、必ずしも全てが「ダメなことではない」です。
待ち合わせの失敗は、友人とアイスブレイクするための話の種になったり
スタバの長蛇の列は「席とりお願いしていい?」の連携プレーになったり
隣の席に偶然友人が来て、その人も一緒にお茶することになったり、
「不便だけれど、意外と良いことも多い」という気がします。
オンライン会議は確かに効率的だと思います。スタバで列に並ぶこともなければ、隣の席に知り合いが座ることもありません。ただ、振り返ると、実は我々って、そういう「非効率的なことに助けられている」=を享受していた気がします。
「オンライン」と「オフライン」の決定的な違いはこの「脱予定調和」≒「不便さ」だと思っています。そして、我々は、この「不便さ」から沢山、恩恵を享受していた(不便益)のかもしれません。
オンライン会議にもある「不便益」
とはいえ、オンライン会議に「脱予定調和」≒「不便さ」が含まれていないわけではではありません。
例えば、オンライン会議中に、Wifiが繋がらなくなり、突然会議からキックアウトされてしまうケース、ありますよね。
あの時って何か、会議に戻った瞬間に「ああ、よかった、戻れた」という安心感とともに、画面上に映る他の参加者の「戻ってこれてよかったね!」という笑顔を見て「心理的距離が縮まった」と感じることありませんか?
それにキックアウトされている間、残されたミーティングのメンバーは「そういえば、XXXだよね」と余談を話しながら、実はそれがその後のMTGを進める上で大切な会話になったり、その後の打ち合わせの空気をなごやかにしたりする場合も多いです。
平時のオンライン会議であれば、アジェンダに沿って要件ベースで進んでいく会話も、そんなトラブルに見舞われることによって、少し余談を話すような心理的なスペースができる気がします。
オンラインにおけるコンテキスト(文脈)の拡張
オンライン環境大きな、違いの一つに「コンテキストの拡張」があるのではないのかと思っています。今までの仕事であれば、打ち合わせは会議室で行われ、全員が「ビジネス/仕事」という共有された文脈の上で会議が実施されていました。
しかし、オンラインでの会議の場合、色々なコンテキスト(文脈)を含んだ環境にいるにも関わらず、それが共有されないままにオンラインの打ち合わせなどが始まってしまうというケースもよくあり、「環境」と「会話内容」の間に心理的な解離があることも間々ある気がします。
一例をあげると、以前、BBCのインタビィーの際に赤ちゃんが入ってきて、それの方がむしろ大きなニュースになっていたこともありましたが、これは分かりやすい「コンテキストの拡張」だと思います。
BBCの場合は、彼は在宅からインタビューに参加していて、「韓国情勢の専門家」と「子どもと遊ぶお父さん」という、異なったコンテキスト(役割)が共存する環境だということがよく分かります。
(20秒経過あたりで、パートナーが慌てて入ってきて、子どもをキャッチするところがとてもチャーミングです。一見の価値ありです。笑)
オンライン会議は、会社以外からの参加が多いです。その場合「会社員」としてだけではなく「子守りをするお父さん」や「カフェの利用者」「運転中のドライバー」など様々なコンテキストを伴って会議に参加していることがあります。
対面打ち合わせに慣れている私たちは、参加者がどんなコンテキストを伴って、打ち合わせに参加しているのかについて気を配る意識が薄くなりがちです。オンライン会議は、「今まで限られていたコンテキストを拡張しており、それにより、様々な文脈の中での会議への参加を可能にしている」のです。(これは状況だけではなく、服装なども含めて、当てはまるかもしれません)。
環境と「ある」|環境を置き去りにしないこと**
こんなことを考えていたときに、以前からワークショップでご一緒した古瀬正也(マーボーさん:@maaabooo)さんとのTwitterでやりとりをしました。
一見(理論上)不要に見えことが、一番大切だったり、
その人自身を表していたりするから、それを感じたいんだよね、直接に。
(引用:マーボーさんのツイート[8/17 9:14]より)
環境に影響されて、存在しているのにね。環境とともに"ある"ことを
分かち合えないところの寂しさ、物足りなさは、あるな。
(引用:マーボーさんのツイート[8/17 9:17]より)
オンライン会議の場合、見えているのはスクリーン上の限られたスペースですが、実際のところ、参加者は周辺の環境とともに共存しながらその場(会議)に参加しています。
マーボーさんのツイートにもあるように、オンライン会議では(一見)不要に見えることが、排除されがちだったりします。しかし、参加者の無意識の振る舞いや、会議の前後のコミュニケーションなどがその人の本音やその人"らしさ"を表している場合もよくあり、日常のコミュニケーションでは。とても大事にされるポイントでもあります。
僕自身、対面の場合、すぐにハグでも握手でもするタイプです(笑)。会話の内容よりも、その人が振る舞いや意識の方向に注意が向きますし、その上で、如何にラポール(心が通じ合って、なんでも話せる関係)を形成するかにとても重点を当てています。こういうウエットなコミュニケーションのスタンスに慣れている人には、オンライン会議は新しいチャレンジかもしれないな、と感じます。
単純さと複雑さ|違うベクトルが交差するオンライン会議
「対面」という要件が省略されたが故に、会議を実施するハードルは、とても下がっています。
しかし、オンライン会議は、簡単に会議ができるが故に、「会議へ参加するスタイルを規制緩和した」と僕は感じています。それは服装などの形式的なものだけにとどまらす、様々なコンテキスト(文脈)を伴って会議に参加する人を増やしています。これは、会議を開くことが「単純化」される一方、参加する側のコンテキストが「複雑化」しているという二つの異なるベクトル共存を生み出していると思います。
もしも、今後も自粛期間が継続するようであれば「オンラインで繋がる
」という機会も増加すると思います。
その場合、参加者がどのようなコンテキストの中で「場」に参加しているのか、また、広義の意味でどのような環境にいるのかを含めて、チェックインでそれを共有しつつ、オンライン会議を進めていくのが大切になると思っています。
オフラインの環境でできてきた関係性の構築などを、オンラインでどのように紡いでいく(補完していく)のか。はたまた、「関係性」そのもの自体への捉え直しや、意味のイノベーションが起こるのか。
旅館という「密」を売りにするサービスを提供する事業者としても、人々の欲求がどのように変化していくのか、今後も注視し、新しい形を積極的に提案していきたいと思っています。
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伊勢湾を見下ろす高台にある旅館「扇芳閣」
「鳥羽」は古くから、伊勢神宮のお膝元として栄た観光地であり三島由紀夫が「潮騒」などを書いたように、多くの文豪から愛された文化の町です。
扇芳閣も昭和の文豪、山本周五郎の「扇野」の舞台となった場所に館を構えております。伊勢湾と自然の風景、そして豊富な海の幸、和の風情たっぷりの温泉、露天風呂をお楽しみいただけます。ご予約は公式Webサイト:旅館「扇芳閣」から。