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窓際のトットちゃん、ある先生との出会い、イエナプラン教育。学校が苦手だった私が、より良い世界を目指すために教育の道を選んだ理由

日本初のイエナプランスクール認定校として、2019年に長野県で開校した学校法人茂来学園大日向小学校。全国の教育関係者から注目を集める同校に設立準備段階から関わり、現在もグループリーダー(担任教員)として働くのが、原田友美さんだ。

かつて原田さんは、学校にポジティブな印象がなく、むしろあまり好きではなかったという。しかし海外への短期留学やある先生との出会い、そしてイエナプラン教育を知ったことで、彼女の教育に対する価値観が大きく変わっていったそうだ。

会社員、海外留学、27歳からの大学入学、公立小学校での5年間の教員経験など、多様な道を歩んできた原田さんのキャリアストーリーと、教育への思いを聞いた。

社会に対する「違和感」から教育の道へ

ーーまず初めに、原田さんの現在のお仕事について教えてください。

私は現在、長野県南佐久郡佐久穂町にある日本初のイエナプランスクール認定校、大日向小学校のグループリーダー(担任教員)として働いています。

イエナプランとは、ドイツで始まりオランダで広がった教育のあり方で、子どもたち一人ひとりを尊重し、子どもたち自身が自分の生きる世界をより良くしていくために自律と共生を学ぶものです。イエナプラン教育では、教員は子どもたちと共に学校という共同体を作り上げる一員であるとの考えの下、教員は“グループリーダー”と呼ばれているんです。

2学年が合同で学ぶ異年齢の学び合いを大切にする大日向小学校。
原田さんは今年度、中学年(3・4年生)のグループリーダーを務める

ーー現在に至るまでのキャリアも簡単にお聞かせいただけますか?

高校を卒業した後すぐ、芸能プロダクションの経理職として働き始めました。仕事自体は楽しかったのですが、この仕事が自分の使命だとは心から思えなくて。当時の私はこれといってやりたいこともなく、どこか息苦しさすら感じるこの社会に対して、違和感や疑問、怒りのような感情を抱いていました。そこで就職して5年が経ったタイミングで会社を辞め、以前から興味があったイギリスへの短期留学をしたんです。この短期留学が、一つの転機になりました。

イギリスでは本当に多くの国の人たちと出会い、彼らの価値観に触れることで、人は育ってきた環境でマインドやスタンスが形成されるのだと感じるようになりました。また、イギリスに2冊持っていった本の1冊が、黒柳徹子さんの『窓際のトットちゃん』だったのですが、この本を読んで人の育つ環境について本当に考えさせられましたし、人のあり方は環境によって作られると考えると、全ては教育が大事なのかもしれない、と思ったんです。

それまで教育には全く興味がなかった私でしたが、人はどんな環境の中でどうやって育ったら、その人らしく生きていけるのかという問いと、私のモヤモヤの根本もそこに紐づいているのではないか、という予感について突き詰めたくなり、帰国後は心理学が学べる大学に進学して4年間、心理学と教育の探究に没頭しました。私が27歳の頃のことです。

ーー教育分野に興味を持たれたのは、社会人になってからのことだったのですね。原田さんのモヤモヤの原因は、分かりましたか?

はい。小さい頃からの性格もありますが、「なんでこうなんだろう」「なんでこんな風にするんだろう」と、学校に対しても周囲の人々に対しても、とにかく疑問だらけでした。その状況を心理学の見地から捉えてみると、その理由が紐解けたような感覚があります。

シンプルに言うと、私には願いがあったのに、それが周囲から受け止められていないと感じていたから怒っていたんだな、と。そこに思い至ったときに、ようやくストンと腹落ちしましたね。

教育は、うっかりすると良いものにも悪いものにもなる。だったらより良い環境をつくりたい

ーー願いが受け止められていないから...なんだかずっしりくる理由です。なぜ学校に対してネガティブな感情があったのに、先生になろうと決めたのですか?

学校に対しては、もちろんポジティブな体験もしているはずです。ただ、私は負の感情に意識が向きがちなタイプで、誰かが虐げられていたり、誰かが困っていたりする状況を強く感じ取りやすいところがあって、そうした場面の印象が強く残りがちで...。

今でも鮮明に覚えていることの1つに、高校での書写の授業があります。結構頑張って、自分としては綺麗に書けたと思った作品を先生に持っていったところ、その先生が一言、「こんな字読めない」と言ったんです。ショックでしたし、もう頑張ってやるものか、という反骨精神が湧いてきちゃいましたね(笑)。

そんなこともあって、私にとって学校は、「先生の一言次第でやる気や自信を奪われてしまう場所」という印象でした。でも多分、そうじゃない。『窓際のトットちゃん』のような学校や先生への憧れもあったのだと思います。あんな風に接してくれていたら、きっと私も違う捉え方ができていたのではないかと思って。

教育というものは、社会を作っていく、私たちが生きていく上で本当に重要なものであるという認識はあるけれど、うっかりすると良いものにもなるし、悪いものにもなる。それなら、教員になって学校をより良い場所にしたい。それが自分にとっての最も価値ある願いだと思えたんです。

学校は、子どもたちが豊かに育つ土台を作る場所であってほしい。そんな自分の願いが、小学校の先生になろうというモチベーションにつながりました。

実はもう1人、私が先生になろうと決める上で、重要な出会いもありました。

ーーその重要な出会いについて、ぜひお聞かせください。

大貫耕一さんという小学校の先生です。今はもう定年でご退職されていますが、学会で聞いた大貫先生の考え方に私はとても魅せられて、大貫先生が働かれていた小学校に学生サポーターのような形で毎週通いました。

大貫先生は、「子どもに任せて、失敗してもそれを皆で話し合う」をモットーに、家族のように豊かに暮らす教室を作る方でした。学校に行けていなかった子が、大貫先生のクラスになったら学校に来るようになったけれど、学年が上がり別の先生が担任になると再び学校に来なくなった、というケースもあって。これはやはり、先生のあり方が大きく影響しているなと思いました。

小学校は、暮らしなんですよね。小学校という場所で、皆で一緒に生きている感じがする。そんな小学校がもっと楽しくて豊かな場所になったら、もしかしたら学校に行けなくなったとか、勉強が分からなくて辛いとか、そういった悩みがなくなるんじゃないか。そんなことを、大貫先生のあり方を間近で見させていただいて感じました。大貫先生から、教員という仕事は魅力的で本当に楽しい仕事なんだということを教えていただいたことも大きく影響しています。

学校は、小さな社会。自律と共生の中で生きる子どもたち

ーー大学を卒業後、まずは公立の小学校で働かれたのですね。

おもしろそうな私立校からのお誘いがいくつかあったのですが、多くの子どもは公立の小学校に通うので、そこを経験しないと教育の大事な部分が見えないと思い、一度公立校で働こうと考えました。そして、東京都の公立小学校に図工専科として採用され、5年間働きました。

ーー現在お勤めの大日向小学校とは、どのような経緯があって関わることになったのでしょうか?

公立校で働いていたときに、イエナプラン教育を日本に紹介されてきたリヒテルズ直子さんと出会いました。イエナプランでは、社会をどう作っていくかという話と、学校でどう過ごすかという話がつながっていて、その理念や仕組みに強く共感しました。

知れば知るほどおもしろくて、もっとイエナプランについて学びたくなり、リヒテルズ直子さんに相談してみると、オランダ現地で学ぶ3カ月の研修プログラムを作ってくださったんです。その研修に参加するために勤めていた公立小学校を退職し、渡航準備をしていたところに、大日向小学校設立のお話をいただいて。とてもありがたいお話で、オランダへの研修にも行きながら、2年間にわたる設立準備の仕事にも携わらせていただきました。

ーー日本初のイエナプラン教育を実践する大日向小学校は、開校当初から今も注目を集めていますね。やはり、お勤めになった公立学校と比べても違いは大きいですか?

イエナプランは、社会をより良い場所にするための仕組みや、課題に対するアプローチに魅力があると思っています。大日向小学校においても、ここにいる皆でどうやって学校を作っていくかというスタンスが根底にあります。

例えば、クラスには座っているのが苦手な子がいたり、おしゃべりを止めるのが苦手な子などがいたりします。こうした場合、私の小学生時代であれば、その子を叱って、皆と同じようにさせるためにはどうしたらいいか、という話になっていたような気がしますが、イエナプラン教育は「皆が当事者なんだよ」という考え方をします。

円になって対話を行う「サークル対話」の時間にはよく、「何かうまくいかないことがあったときに、その状況を良くできるのも、悪くできるのもあなたたち。あなたたちがどういう関わりをするかによって、この教室の中の社会はどんな形にもなるんだよ」という話をするんです。

そうすると、うるさくしてしまった子が「一緒にちゃんとやりたいんだけど、僕は気づいたらなんか動いちゃうんだよ」と話し出したこともありました。すると他の子も自分ごとにして、「それはちゃんと分かっているよ。じゃあここに席を置いてみたらもっと落ち着くんじゃないかな」などと、いいアイデアをいっぱい出してくれる。次第に子どもたちは、「あいつがいるからちゃんとできない」といった、誰かを排除する言葉ではなく、「どうしたら皆にとって良くなるか」というスタンスになっていきます。私はそういったプロセスがとても好きなんです。

大切なのは、社会の仕組みに興味を持ち、自分の経験とつなげること

ーー大日向小学校に勤務されてから6年が経ちますね。先生になってよかったと感じていらっしゃいますか?

そうですね。私はおそらくもう、教職以外はやっていけない、これ以上自分にとって重要だと思える仕事には出会えないだろうなと思うくらい、天職に出会えたと思っています。でもそれは、大日向小学校に来たからではなくて、公立の小学校で働いていた頃からそういう気持ちはありました。

やっぱり、子どもが成長する姿を見るのが好きなんですよね。そうした姿を見ていると、自分自身も生きている感じがするんです。生かされている、と言う方が近いかな。

会社員の頃は、何度も時計を見ては定時まであとどれくらい…みたいな感じだったのに、学校にいると「もうこんな時間か!」と、時間の感覚が全然違うんです。もちろん、時には思い通りにいかなくて「もう辞めたい!」と思うこともありますが、そうは思っても違う仕事は考えられない。もう魂を注ぎ過ぎてしまっていますね(笑)。

ーーお話を聞いていて、きっと原田さんには目指す教育の姿が明確におありなのだろうなと感じます。これからどんなことに挑戦してみたい、あるいは目指したいですか?

子どもたち一人ひとりが、それぞれのあり方で存在しながら、他者とも共生している、豊かな森のような教室であったらいいなと思っています。そんな教室を作れる人になりたいです。

子どもたちが学校を卒業してそれぞれの道を歩いていくことを考えると、学校が「自分で自分の人生を豊かにする力」をきちんとつけていけるような場所になるといいですよね。本当にちょっとしたことでクラスのバランスって変わるので、子どもたちが生き生きと成長できる豊かなコミュニティを作る力を、教員として身につけたいと思います。

——最後に、「先生にも民間企業の経験があった方がいい」と言われることがありますが、原田さんはどう思われますか?

私自身は民間企業を経験してよかったと思っていますが、「先生は企業で働いた経験があった方が絶対いい」という声には違和感があります。大切なのは、教員以外の仕事の経験があるかどうかではなく、「社会を見ているかどうか」ではないでしょうか。民間企業で働いたことがなくても社会を見ている先生はたくさんいるし、その逆も然りです。

イエナプラン教育はシティズンシップ教育そのものであると言われており、教員は子どもたちが当事者意識を持って経験的に学べるよう、自ら学び、考え、自らの行動で子どもたちに民主主義を伝えていきます。大人がそれを理解できていなければ、子どもたちの民主性は育めません。

民間企業の経験の有無よりも、社会の仕組みや成り立ちなどに興味を持つこと。そして、より外側に視点を持っていき、自分の経験が社会とどうつながっていて、どんな意味を持っていて、自分が何を目指しているのか、といったことを考えられること。そちらの方が重要だと思います。

まずは心が動く方に、いろいろな人に会ったり話を聞いたりして人とつながり、世界がどうなっているのかを知っていくところから始めてみるのが良いのではないでしょうか。

取材・文: 山本響子| 写真:「先生の学校」編集部