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僕の思う成長観


一般的によく言われる成長は錯覚だと思います。

感性が子どもと比べて衰えていくように、
できることは、ひとつ増える度にひとつ減っていく。
失ったことに気づきにくいだけで、
本当はできることが変わっているだけ
それを人は「レベルアップした」と錯覚しているんだと思います。

みんなに疎まれている人にも愛し合う人がいたりするし、
ホームレスの人に心動かされたりもするのです。

人間の良さって、まるでじゃんけんですよね。


じゃあ人間は成長しない生き物かというと、そうは思いません。
これは成長の捉え方の問題な気がします。

僕が思う成長のイメージは「レベルアップ」ではなく「ジョブチェンジ」です。

別の言い方をすると、僕が思う成長とは、「自分の憧れに近づいていくこと」です。

先ほどレベルアップが無理だと言ったのは、人によって価値基準が180度違うから。
「自分の憧れ」というベクトルに限った話なら、レベルアップは可能だと思います。


みなさんに憧れの人はいますか?
憧れの人はいなくとも、「こういう人になりたい/でありたい」といった自分の理想像はありませんか?

僕はないものねだりがめっちゃ強いのでたくさんあります。
「いい文章が書けるようになりたい」
「少しくらいシャイな方がいい」
「嘘はつきたくない」
「大衆受けってなんかださいな」
「言葉から零れ落ちるものに目を向けたい」
などなど。
というか、憧れの人をよく憑依させて生活したりしているから、人生の大半を理想を求めることに費やしてきました。


ただ、ここまで強いものじゃなくとも、誰しもあるんじゃないかと思います。
例えば仕事で怒られた時、
「もっと仕事ができるようになりたい」
誰かを傷つけて後悔した時、
「人の痛みが分かる人になりたい」

本当はそこで変わらずに我が道を行ってもいいのに、
それでも変わろうと思うことってありますよね。

その「こうありたい」を叶えていくことが成長なんじゃないかと。


何かを得たら、何かを失う。
何かを捨てたら、何かを得ている。
それが世の摂理だったとしても、
そういったプラマイゼロを繰り返す中で、
だんだんと自分が求める姿に近づいていくことを、
成長と呼ぶのではないでしょうか。

そこに絶対的な優劣はありませんが、
自分がいいならそれでいいのです。


現在、フリーター満喫中。
遠回りしながらも、理想に近づいている感覚があります。



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