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親と子の生活リテラシー<その8>「旅」について

 家族でオーストラリアのメルボルンへ1週間ほど行ってまいりました。何か特別な目的があっての旅ではありませんけど、子供たちにとっては初めての海外旅行です。大人にとっては子育てで封印していた海外旅行(ほぼ10年ぶり)の復活でもあります。

 目的がまったくないと言えば嘘になります。いやー、小学6年性の長女が今春に中学なので、その前に(今のところ、不登校向けの少人数クラスへ通う予定だが、どうなることやら?)一回はどこか外国を見せたいという思いはありました。正直、親は彼女の不登校生活をどうすることもできないわけで(どうにかしたいというのも消えたけど)、せめて、信州の地方都市が世界の一部でしかないことを体感してもらえたら、そんな感じ。
 もし、不登校アドバンテージがあるとしたら、きっとそれは、いつ長めの休みをとっても影響がほとんどないことです。もちろん、父はフリーランスで、下の子は学業なんか気にならない小学一年生ですから、フットワーク軽めの家族であることは間違いないです。
 まあ、そんなこんなで、子供達の海外体験デビューなのでした。テニスのオーストラリア・オープンと中国の春節の合間を狙って1週間の滞在となったのでした。メルボルンを選んだ理由? 南半球で夏、世界的な移住先人気の街、移動が楽なコンパクトシティ、時差がほとんどない、などなど、家族的な配慮でのチョイスです。

旅の余韻を記号接地にして、これを生活思創で語ってみようというのが第8回の生活リテラシーでございます。


父「初めての外国はいかがでしたか?」

娘「めちゃくちゃ面白かったよ。疲れたけど」

父「わかるよ。知らない街の度合いが凄いもんね。緊張するしな」

娘「あー、英語喋れたらって思うと、悔しくて。それも疲れになるのよ」

父「そこは同じかな。父のサバイバル・イングリッシュ(ギリ生きるための英語レベルです)じゃあ、微妙なニュアンスも伝わらないからなあ。もどかしいよ」

娘「あと、あんなにいろんな人種の人たちの中で過ごすのって初めてだから、毎日、おおーってなってた」

父「向こうから見れば、あなたもいろんな人種の1人だけど、誰も全然気にしてないのがいいね」

娘「日本人にもいろいろいるから。いちいち気にしちゃキリないよね」

父「ええ、知ってます。あなたのことでしょ?」


◼️「良い旅」を生活リテラシーで眺め直す

今回は家族旅行を起点に「旅って何かな?」を試考します。

 旅だけだと広すぎて扱いに困るので、まずは、旅が日常生活から非日常生活に変えるとはどういうことかを試考しましょう。

旅の基本動機は「日常からの脱出」です。「非日常への没入」とも言えます。日常はパターン化を前提に回っていきますから、どうしたってマンネリ感やら、普段の中では消しきれないストレスが溜まっていきます。

 すると、非日常でリフレッシュとしたくなるわけですな。で、旅はその選択肢の一つになります。といいながらも、非日常が何でもいいわけでもありません。「心地の良い非日常」が希望です。お金も時間も使うんだから、心地の良さのない日々をこれ以上増やしたくないですよ。

図表157

で、図表157のように日常から非日常に行く意識の向きを考えてみます。何かを旅に求めるわけですから、希求するベクトルってことで、希求線(ききゅうせん)って呼んでみます。旅の希求線は「心地の良い非日常」に向きを変えますよね。希求線は「良い旅を!」って定番フレーズを視覚化したものと言えます。


図表158

旅は非日常でも、旅の組み立ては日常で行われます。旅は計画化されるのです。するとです、「あれが心配だから、これを確認しておこう」、「これがしたいから、ここに行くための手配を済ましておこう」といった良かれと思った準備が始まりますよね。子連れの家族旅行なら尚更です。期待(心地の良さを増やすこと)や心配(心地の良さがない場面)は、旅を確実なものにしていきます。

オーバー・ツーリズム(Over tourism:集中する観光客のもたらす混雑や騒音、地価高騰等の地域へのダメージ)って最近よく使われる言葉があります。でも、人が集まるところに事前情報もあつまりますから、「心地の良くない非日常」を避けようして計画化すればするほど、オーバーツーリズムが起きてしまいます。もちろん、これは旅する側の気分を反映してますから、悪いことと断言できないのが悩ましいのです。


◼️「判断を保留する非日常」こそが「良い旅」の心得かも知れない

さて、こういった旅にまつわる期待や心配は、旅のせいではありません。強いて言うなら「あなたのせいです」、でも、これだとキツイ言い方なので「私たちの宿業です」と言った方が受け入れやすいかも知れません。

話の解像度を上げるために、「心地よい日常」と「心地よくない日常」の間に「判断を保留する日常」を入れてみましょう。

図表159

私たちは、不快を避けて快に向かって選択をします。いつも求めている日常は「心地の良い日常」なので、日常生活はいつも快・不快でスキャンされちゃうのです。いつも判断する日常があって、「これって心地よいからOK」,これって「心地よくなさそうだからNG」って素早く区分けしようとします。図表159のような上向の希求線(黄色矢印)が常態化しているのです。

次に、旅の方にも判断保留する非日常があると考えてみましょう。

過剰な計画化は問題が多そうですが、計画することの意味もあるので、一旦、生成AIに旅の計画された体験と計画外の体験について叩き台になるような視点を提供してもらいました。

旅行における体験は大きく「期待され、計画の中での旅ならではの体験」と「期待していなかった、計画外だが旅ならではの体験」の2つに分けることができ、それぞれが人生に与える影響も異なります。

期待され、計画の中での「旅ならではの体験」
事例: イタリアのトスカーナ地方でのワインツアーに参加することを長期間にわたって計画し、予約を行い、ワイン製造の過程や地元のワイナリーを訪問することを楽しみにしていたとします。この旅行では、専門家からワインの試飲方法や地域のワインの歴史について学びます。

人生への影響: このような計画された体験は、自分の趣味や興味に深く没入する機会を提供し、専門知識や新たな趣味を発見することができます。また、計画を立て、それを実行する過程で得られる達成感は、人生の他の領域でも目標を設定し、それに向かって努力する意欲を高めることに繋がります。


期待していなかった、計画外だが「旅ならではの体験」
事例: ベトナムを訪れていた際に突然の豪雨に見舞われ、予定していたアクティビティがキャンセルになったとします。しかし、そのおかげで地元の人々との交流の機会が生まれ、彼らの家に招かれ、伝統的なベトナム料理を一緒に作ることになりました。

人生への影響: 予期せぬ出来事や計画外の体験は、柔軟性や適応能力を養うとともに、予測不可能な状況においてもポジティブな側面を見出す能力を育みます。また、計画通りに進まない状況でも価値ある経験をすることができるという実感は、人生の不確実性に対する耐性を強化し、未知の状況に対する恐れを減少させます。

生成AI

旅の目的が明確であればあるほど、旅の計画化は必要です。AI提示の事例「ワインの勉強」なら、学びの準備から逆算した旅の計画化(複数箇所での学びや、より特別な講座への事前リクエストをしておく、など)です。でも、もう一つ。判断が保留されている部分も意味を持ちます。ワインに関する現地での意外な学び(判断を保留するが故に学べる、そこでの次のワイナリーの紹介、キャンセル空きからの別メニューへの参画、など)の機会をタイミングよくてに入れる可能性があるからです。
 また、AI提示の事例「ベトナム旅行」なら、旅の計画がフレキシブルになっているが故に宿がなくなっても、精神的に動揺しないで、次元の違う旅のオプション(することがないから現地の人の日常についていって、そこに混ぜてもらう)を選択できる可能性があります。

どうも、無計画化は旅への精神的な構え、「何が来ても、とりあえず受け付けちゃうよー」てな期待と心配を棚上げするメンタルを身につける作業とも言えるな。

図表160

 ここまでは旅の中身についての話でした。生活リテラシーでは、最終ゴールは日常生活の変容です。生活を思創するということは、自分の今までの信念を変え、より「見通しの良い」人生を送ることを目指しているからです。

図表161

望ましい旅からの日常生活へのフィードバックを図解したのが図表161です。

旅の希求線だった「何が来ても、とりあえず受け付けちゃうよー」てな期待と心配を棚上げするメンタルを普段の生活に常備する、ここが「良い旅」の意義になります。

 生活思創の根底になる態度、ネガティブ・ケイパビリティは強い自分の生活信念で即断即決する生き方に抗います。しかし、普段の生活の延長線上では、自分の日常での判断パターン自体に気がつけません。「まてよ、この日常生活が非日常生活なら、いつもの良し悪しは決めつけすぎてないか?」にまで影響を及ぼすことこそ、「良い旅」の意味性ではないでしょうか。

※ネガティブ・ケイパビリティ:「事実や理由を性急に求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいられる能力」


◼️「良い旅」の構造の可視化

すると、「良い旅」には語れそうなことがまだまだあって、もう少し可視化できそうです。ただし、あくまでも一つの試考ですから、ご留意くださいな。

図表162

 旅には計画化した部分も、計画外の出来事もコミコミで「それなりの良さ」があります。でも、究極は、自分の日常を照らして、物事を判断する信念に気づくことなのです。

すると、旅には3段階の意味があり・・・

1)「思っていたものを体験する」ことで、今までの記憶が旅の体験で広がっていく部分。「あそこの夏を体感した」、「有名なあれの現物見た」、「この料理は現地で食べた」みたいな。表層的な旅の目的群

2)「思ってみなかったものを体験する」ことで、旅の体験コンテンツが充実する部分。「道に迷って、そこでたまたま見つけたアートギャラリーに入ったら、地元の展示作家の講演会をやってた。よくわからないけど席に座って聴講してみたら、そのあと、作家と仲良くなってしまった」みたいな。中層的な旅の目的群

3)「体験への意味の再設定」は、この旅が自分に語ってる何かを感じて、「こういう生活の仕方が普段な世界がある」、「ここにも解決できてない社会的な課題があって、こういう形で折り合いをつけてみんな生活している」みたいな。自分の普段についての良し悪し以前に、それが普段であるかどうかも怪しいのが世界標準かも知れない、そんな疑いを持つことで日々の生活の「心地よい、心地よくない」といった判断に対して、ますます保留できるようになる。これが深層的な旅の目的(もう群ではなく、到達点)

「良い旅」は親にも子にも人生信念にゆらぎをもたらすものです。そこには、ある程度の意識的な旅の組み立てと、意識的な無計画さが必要で、それによって、「判断を保留する非日常」が体感レベルにまで落ちてくるわけですな。手筋として、表層的も中層的も通過していくことが前提ってことかな。

 そして、最終目的=深層部分になります。旅から日常に戻ってからも、自分のパターン化した快・不快判断から距離を置いた生活が続く。パターン化とはフォーマット済みの生き方とも言えます。つまり、自分で作ったわけじゃなくて、周囲の環境に合わせているうちに、自分のパターンだと信じ込んでしまった生き方です。環境と私の間に隙間を作るのが「良い旅」という見立てになります。

 人生での新しい選択肢の見つけ方(世界観がいつもより広いから)、新しい選択の仕方(価値観がいつもより大胆だから)が変わるなら、こりゃ、自ずから人生自体が変わります。もちろん、人生にゆらぎを与えてくれるのは旅だけではありません。「思いがけない本との出会い」、「思いがけない人との出会い」などもあります。この流れに並列して語るなら、「良い旅」とは「思いがけない非日常との出会い」ですかね。

なーんてところが、可視化から読み取れるわけです。


娘「旅行も読書もいいね。知らない世界に連れてってくれるからね」

父「そうか、まあ、それはそれでいいけど。トーチャンはむしろ、知ってる世界を疑わせてくれるところが、旅と本の良さだと思うな」

娘「子供はさ、知らないことの方が多いから、珍しいものはみんな面白く見えるんだよ」

父「大人はなあ、もう、どれもこれも見たり聞いたりしたことだと思っちゃうからなあ。だからきっと、旅もおっくうになってきて、本も似たようなのばかり選んじゃうようになるのです」

娘「知ってる世界だけって怖いねw」

父「それなのに物忘れが増えてくるって、なんなんだろうね」



<おまけ>エスノグラフィーを生活に試用する

生活文脈の理解みたいな話になると、異文化の理解で適用されるエスノグラフィーの視点がヒントをくれるかも知れません。マーケティング・リサーチでも生活文脈の発見に現場で援用してたりします。なので、ちょっと、押し込んでみます。

これって、海外留学や転職によるキャリアアップでも同じような部分があります。つまり、対称性を感じるんですよ。

※エスノグラフィー:ある民族の特徴を調査するためにその民族の生活に入り込み、長期間にわたって彼らの生活スタイルを観察し、対話して、文化や行動様式の詳細を記録していくアプローチです。

文化人類学までいくと大事ですから、あくまでも生活で扱える範囲でエスノグラフィーを試考してみます。生成AIに「3ヶ月での初めての海外滞在時(短期留学、ロングステイのイメージ)に、エスノグラフィー視点で異文化理解を積極的に行う手順」を問うてみました。叩き台にしてみます。
 ちなみに、3ヶ月という設定は「90日で成果を出す」なんてビジネス本にもある期間です。新任(転職を含む)のマネージャーが新しい職場(異文化)に慣れながら、自分の独自性を発揮するのに90日が最適であるとしているもの。境遇は似ていますね。

古典的なエスノグラフィーのアプローチを3ヶ月の海外旅行に適用する場合、現地の生活文脈を深く理解するためには、計画的で段階的な方法が必要です。以下に、初日から最終日までの大まかなアプローチ案を示します。

初日から1週目:準備と初期の探索
到着とアジャストメント: 到着初日は、宿泊施設の確保、通貨の両替、基本的な生活用品の購入など、基本的な生活の設定に費やします。
初期の観察: 最初の数日間は、周囲の環境に慣れるために費やします。地元の市場、公園、レストランなどを訪れ、観察を行います。
日常ルーティンの確立: 地元の交通機関の利用方法を学び、最寄りのスーパーマーケットやランドリーを見つけるなど、日常生活のルーティンを確立します。


2週目から4週目:深い探索と参与
言語とコミュニケーション: 現地の言語を学ぶためのクラスに参加するか、言語交換パートナーを見つけます。日常会話ができる程度の言語スキルを身につけることが重要です。
地域コミュニティへの参加: 地元のイベントや集会に積極的に参加します。例えば、祭り、市民集会、地元のクラブや団体の活動などに顔を出します。
日記の記録: 毎日の観察や体験を詳細に記録する日記をつけ始めます。これには、人々の振る舞い、会話、自分の感情や反応などを含めます。


5週目から8週目:深い関与とデータ収集
参与観察の強化: 特定のコミュニティやグループに深く関わるようになります。可能であれば、ボランティア活動や地元のプロジェクトに参加して、現地の人々との信頼関係を築きます。
インフォーマルインタビュー: 日常の対話の中で、地元の人々の生活観、価値観、信念についての話を聞きます。フォーマルなインタビューよりも自然な会話を通じて情報を収集します。
文化的イベントの体験: 現地の祭りや伝統的な儀式、結婚式などの特別なイベントに参加し、その文化的意味を理解しようとします。


9週目から12週目:分析とまとめ
データの整理と分析: 収集したデータ(日記の記録、写真、インタビューのメモなど)を整理し、パターンやテーマを分析します。
コミュニティとのフィードバック: 現地の人々と自分の発見や理解を共有し、彼らのフィードバックを求めます。これにより、

生成AI

これを図表にしたのが図表163です。生成AIのものを、やや一般化しました。「私」を主人公に異文化集団との理解と、生活文脈の取り込みまでを描いています。

図表163

・前段階:私は既存環境の中の1人

・ステップ1:私は新しい環境の観察者

・ステップ2:私は私の対話の窓口を見つけて、対話を始めていく

・ステップ3:私が参加する集団を見つけて、参加する

・ステップ4:私と環境比較から、違和感や共鳴できる部分に意味づけをしていく

・後段階:私が二つの環境比較の間にいる状態

大まかには、こんな流れです。まずは自分が身体的に環境になれ、対話できる先を設定して、集団の中の小さな集団に積極的に参加する。これって海外留学の時の「どうやって溶け込めばいいの?」に対する心得えとも言えます。また、転職した先でマネージャーとして働くケースなら、「周囲からのお手並み拝見」場面でも効きます。

特に、後段階の「私」が、前段階にいた「私」とは同じ立ち位置ではないところがポイントかと試考します。

 エスノグラフィー的視点がロングステイ、留学、キャリア・アップなどで想定される「今までの環境から新しい環境へ飛び込む時の期待と心配」に、「見通しの良さ」を与えてくれるかもしれない、そんなお話。押し込み終了です。

Go with the flow.

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