見出し画像

19歳でうつ病になった。私が必死で2カ月した事①きっかけ

19歳の夏。私はうつ病になった。

19歳の私は焦った。身近のうつ病の姉には絶対なりたくないからだ。

私達はよく似ている。

『2カ月で治す。死んでも治す。』

寝返りも辛い体で私は誓った。

経歴

私は埼玉で教師の父と銀行員の母の間の三女として生まれた。

姉2人は変わっていた。

とくに長女は変わっていて、母が学校に呼び出されたり、近所から悪い噂をされるのを良く聞いた。

ただそこは私のマイペースなところで6歳上の姉の事を好きだったし、

年齢よりは出来ない事が多い姉だとしても

6歳下の私から言わせれば色々出来る事が沢山ある人なので純粋に尊敬していたし、

純粋に尊敬してくれる妹を姉も可愛がってくれた。


一方で小学生ともなると理解してしまう。

母の髪が丸く剥げてしまった原因は姉である事も

私程度の人間では母を円形脱毛症にするほど悩ませる事が出来ない事。

母は強い人だった。父も強い人だった。

きちんと周りを見て決めた自分の居場所

2番目の姉は優秀だった。

市内で有名な進学校に行き、国立大学にすんなりと入った。学校では生徒会をやった。

頭の良い枠は我が家には残っていない。

子供ながらそう思った。

ならば狙うならおどけ担当だ。

そんな思考から私はその場その場の環境判断がうまい人間になった。

と言っても根は真面目。

不良にも染まらず、オタク環境が一番キャラ付けしやすいからそこに収まった。

こだわりが強く『こだわれないならやりたく無い!』と完璧主義に支配されてしまう姉にはなりたくなくて

出来る事もひとつだけ手を抜いた。

結果狙い通り学生生活は中の下あたりにきちんとおさまって生きていられた。

何者かになりたくて選んだ専門学校

写真の専門学校に行った。

良い大学に行った次女

行かなくてアルバイトもイマイチ続かない姉

中間値?いや、全く別の道はどっちだと思った。

そして選んだのが写真の専門学校だった。

好きとこだわりの渦の中で

私はこだわる事が嫌いだ。

専門学校では、写真好きの人が年齢問わず同級生になった。

40代の男性が同級生というのは結構びっくりだった。

専門学校の人達は『他の何よりカメラマンになりたくて来ている』私にはこだわりに見えた。

だんだん学校に行きたくなくなった。

こだわりの無い自分では、芸術家ではないようで

かと言ってこだわる事が良い事とは思えなくて

かと言って学校をやめたら、姉と同じになってしまう

そしてある日脳がバグった。

学校をサボりがちになった。

寝れなくなったし、足元がおぼつかなくなった。

息を吐くと同時に鼻から予想以上の酸素が出て行ってしまうような、一呼吸一呼吸で酸欠になるような感覚になった。

これは身体が動かなくなるヤバイやつだ。

ここまででお察し頂いているだろうが、

私は天才なのだ。

最後の力を振り絞って心療内科に行った。

3時間の待ちと長いテストをどうにか耐えて

医者が『世界に嫌気がさしちゃったんだね。うつ病ですね。少し眠るお薬出しておきますね』

と薬を貰って、家に着いた。

翌日から私は起きなくなった。








アニメと漫画で学ぶけっこうガチな魔術マガジンを書いています。一流の魔術師かつ一流の腐女子の先行者と申すものです。サポートありがたくいただきます。ありがとう!!!