見出し画像

迷子を見かけたらどうする?母親とのトラブル回避でスルーが常識?

けんすけです。

迷子らしき女の子が泣いているのを、
見かけたらどうしますか。

声を掛けて交番へ連れていく?

一緒に母親を探す?

それとも素通り、
見てみぬふりでしょうか?

とある迷子の記事を読んだのですが、
最近の世相でしょうか、
大半の人は見てみぬ振り。

そんな女の子のピンチを救ったのは、
なんと小学5年生だったそうです。

1.迷子は見ぬ振りが常識?

その子の談話で、

「大人が誰も助けようとしないので、
自分がやらなければいけないと思った」

とありました。

とても優しくていい子のようです。

記事では、弁護士がこの件に対し、
面倒事に関わりたくないという、
大人の事なかれ主義を嘆いていました。


ところがその記事のコメント欄には、
その弁護士に対する批判が殺到。

コメントでは、
泣いている子に声を掛けたら、
母親が飛んできて怒鳴られたとか、
タックルされたとか、

そんな自身の体験を元に、
「弁護士は現実を知らない」
とするものが大半でした。

その方々が声をかけた子は、
迷子ではなく、
実は母親が遠くで見ていたんでしょう。

しかし、他人からすれば、
誰が母親が分かりませんから、
泣いている子がいれば声をかけたくなるのが人情というもの。

結果、嫌な思いをしたので、
以来素通りするようになったというのです。

弁護士を養護するコメントは見当たらなかったので、
これが現代の常識なのかもしれません。


画像1

2.他人を見たら泥棒と思え

寂しい現実ではありますが、
親切を解さない母親を無作法とは言い切れません。

万が一の危険から我が子を守るという、
親心は理解できます。

とは言え、
他人を見たら泥棒と思え
を常識とすると、
周り中泥棒だらけになってしまいます。


知らない子に声を掛ける=犯罪者
という考えは、
「親切」の存在そのものを否定していますね。


他人を疑い、親切をするのもされるのもダメ
となると、
人と人との交流が遮断されてしまいます。


誰かに親切にしたいと思うのは、
自然な感情です。

人間が幸福を感じるのは、
誰かに喜ばれた時ですね。

家族の笑顔が見たいくて懸命に働くお父さん。

多くの人を喜ばせたるため頑張る社長さん。

みな、人を喜ばせることで、
自身も幸福を味わっています。

他人に親切でありたい、と思うのも、
それと地続きで、
ただ誰かに喜んで欲しだけなのです。


3.人を見たらコロナと思え

最近のコロナ騒ぎも、
人と人との交流を遮断するという流れを作っていますね。

感染者がどこにいるか分からない、
という恐怖が、
人を見たらコロナと思え、
という風潮を生み出しているようです。


先日、私が体験した話ですが、
近くにいた女性が落とし物をしたので、
声をかけたのですが、
聞いてないようでした。

そこで、拾って手渡したところ、
思い切り迷惑そうな顔で睨まれてしまいました。

何か、とても悪いことをしたような気になったものです。

まあ、こんなご時世ですから、
他人に自分の物を触られたくない気持ちは、
理解できます。


「まず疑う」という点では、
迷子の事例と共通していますね。

いずれも、自身や子供を守るためなので、
やむを得ないということでしょうか。


画像2

4.「疑う」よりまず感謝

他人との交流に、
一定の危険が付きまとうのは確かです。

どういう人か分かりませんので、
疑うのはしかたがないのかも。

しかし、他人を疑ってばかりでは、
「ありがとう」という言葉は出ません。


感謝の言葉は、相手も自分も元気にします


みなが、感謝を忘れ、
身を守ろうと、狭い空間にとじ込もってしまえば、
社会全体から活力が奪われます。

無条件に他人を信じることはできませんが、
それでも、割合では、
悪意のある人より、善意の人の方がずっと多いと思います。

誰かに親切にされたら、
無条件に悪意があると決めつけず、
まず感謝を口にしてみてはどうでしょう。

各人の少しずつの積み重ねが、
閉塞した社会を明るくする、
切っ掛けになるかもしれません。


誰かに親切にする、
親切にされたら感謝する

これは社会を営む人間として、
ごく自然な感情ですね。

親切は余計なこと、
親切には悪意が潜んでいる、
感謝よりもまず身を守れ!

これが常識では、
子供に誇れる健全な社会にはならない、
と、そんな風に思います。


↓けんすけのプロフィールです↓ 「スキ」など頂ければ励みになります。





この記事が参加している募集

#スキしてみて

527,899件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?