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小澤メモ|NOSTALGIBLUE|思い出は青色くくり。

35 まってろイチロー2016年。

2016年春。オヤジたちのアメリカ珍道中。
仕事で一緒に渡米したことは何度かあっても、プライベートでは一度もない。そんなオッサンたちのメージャーリーグ観戦、行き先はロサンゼルス。その昔、プロスケーターで人気ブランドHUFを立ち上げることになるキース・ハフナゲルとしゃぶしゃぶを食べたリトルトーキョー。人気チーム・チョコレートのスタースケーター、マイク・ヨークのフロントノーズを撮影したハリウッドブルーバード。ビッグネームなスケーター、マイク・バレリーやチャド・マスカにインタビューしたロングビーチ。大好きな映画『KIDS』に出演していた、今は亡きジャスティン・ピアースに会いに行ったメルローズ。今ではスケーターズ・カンパニーのボスキャラにまでなったエリック・エリントンとジム・グレコと撮影して遊んだハンティントンなどなど。この旅では記憶に残るスポットを回りながら、懐かしい思い出に浸ったりもした。

ドジャースタジアムへ。
途中、友だちイチオシのロスで一番美味しいパンケーキを食べさせてくれるというダイナーに寄ったら、偶然にもオマー・サザラーに声をかけられた。「ハイ、ガイズ! 今日、撮影に行かないか?」。昨日のホームルームでバイバイしたばっかりかよっていうぐらいの気さくさだけれど、彼とは10年ぶり以上の再会だった。以前、トーキョーでスケートの撮影をして回ったオッサンを覚えていたらしい。そして、せっかく会ったのだから今からロスでシューティングしようと。ありがたい誘いに、こちらも興奮した。しかし、この後すぐに、ドジャースタジアムへと行かなくてはならなかった。この旅の一番の目的は、思い出巡りではなく、4夜連続のマリーンズ対ドジャースのボールゲームの観戦だった。仕事や家庭といったいろいろなものが、良い意味でもまとわりついている年齢になったオッサンたち。そんなメンツが、この旅のあいだだけ野球小僧に立ち戻って、その生けるシンボルであるマリーンズのイチローを見届けようではないか!というのだ。雄姿の記録者のひとりになるというのだ。だから、オマーとは次の再会を誓うハグをして、別れたのだった。

イチローの雄姿を焼きつけろ。
それで、4夜連続のマリーンズ対ドジャースのボールゲーム観戦の心得というか、オッサンたちのたしなみがあったので書いておこう。一、ドジャースを応援するロスっ子たちを凌駕する勢いでアウェイのマリーンズを応援をする。一、応援スタイルはマリーンズのホーム、マイアミを舞台にした往年の刑事ドラマ“マイアミバイス”のTシャツを全員で着る。一、恥ずかしがったり臆することなくマイアミバイスと野球小僧になりきって声を張り上げる。一、イチローをはじめマリーンズの選手に猛烈にアピールする。そして、白球の行方に全力で一喜一憂し続ける。以上だ。で、結果はというと、マリーンズの4連勝で、イチローも“らしい”ヒットを放った。マイアミバイスTシャツを着た東洋のオッサンたちは、ドジャースタジアムの職員たちにも顔を覚えられ、たわいもない冗談を言い合ったりしたのだけれど、第1戦よりも第2戦、第2戦よりも第3戦というように、ドジャースの黒星が続いていくほどに、その職員たちの目はつり上がっていった。そして、ロスっ子たちの視線がたまに突き刺さってくるようになった。最後の第4戦なんかは、まさに四面楚歌。それでもオッサンは、マリーンズの攻撃時には「チャージ!」と叫んだのだった。なぜならば、本当に野球小僧になりきって、心から応援していたから。そして、目の前のすべてを記憶しようとしていたから。

ホセ・フェルナンデスよ、永遠に。
そんな旅から戻ってきて数ヶ月。夏も終わり、季節は秋を迎えようとしていた。少し肌寒くなってきた9月の早朝。信じたくないニュースが飛び込んできた。マイアミ・マリーンズのエース、ホセ・フェルナンデスの訃報。ロサンゼルスでの4夜連続のマリーンズ対ドジャースのボールゲーム観戦。出落ち感満載なマイアミバイスTシャツを着た間抜けなオッサンたちに気づいた彼は、マイアミと描かれた自身のユニフォームの胸を指して微笑み返ししてくれた。4連戦の最後のゲームは彼が先発した。ブルペンで投げ込みをしているときも、マイアミバイスTシャツをアピールしながら声をかけた。また微笑んでくれた。そしてマウンドに向かうとき、握っていた白球をオッサンに投げてプレゼントしてくれた。ホセ・フェルナンデスは、少年期に家族と命がけで海を渡ってアメリカにやってきた。祖国キューバの海の向こうにあった、近いようで遠かったマイアミの地。そこで夢を掴み取り、カリブの野球小僧はメジャーリーガーとなった。東洋の野球小僧だったオッサンたちは、そんな彼を大好きになった。160kmを超える速球とコントーロール抜群のカーブで三振の山を築く。ベンチにいるときは味方のタイムリーに歓喜をあげてガッツポーズする。ピッチャーなのに打席ではいつもフルスイングする。ファンにも気さくに声をかけて、野球ができることを心の底から楽しんでいる。そんな彼がこの世を去った。享年24。あまりにも早すぎるその死はたまらないが、生前の彼の言葉が魂を奮わせる。「僕はいつも100%で生きてきたから、今の自分に満足しているし、自信も持っているんだ」。
なんとなくではなくて、鮮烈に全力で。おい、オッサンども、未来よ待っていろ。35
(写真はそのときのドジャースタジアム/2016年4月、マリーンズがドジャース相手に4連勝した)

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