手元で魅せる「先端に宿る美しさ」


先端に宿る美しさがある。

着るものや外見などをどれほど表面的に取り繕っても、しっかり手入れしなければ美しくならない先端のパーツには差が現れるものだ。先端が美しいとそれだけで"全体の美しさ"が底上げされる。

今日もまた手元の話。先端に宿る美しさについて語りたいと思う。


ヌーディーカラーの色気


昨日のnoteで、最近は赤いネイルを重宝していると書いた。
けれど気分屋なところがあるので、いつでも赤い爪が良いわけではない。
マスク生活やノージュエリーにより、あくまで"赤いネイル率が上がった"という話だ。

基本的にはそのときの気分に合わせて色を選ぶけれど、たまに強い色を塗りたくない気分のときがある。そんなときは決まってナチュラルでヌーディーな色を選ぶ。肌色に馴染むベージュや淡く色付くピンク、クリアに程近いミルキーなホワイトなど。

中でも究極は、艶を出しただけのとことんヌーディーな爪。

普段はつい色に頼ってしまいがちだけれど、ヌーディーであればあるほどに大人にしか成し得ない色っぽさが現れると思っている。だから大好きだし、大人になってからその魅力を知った。

服装はシンプルで髪もメイクも控えめ、でも爪に艶があり綺麗にケアされている、そんな女性に出会うとハッとする。爪の輝きがあるだけで途端にセクシーな印象になるのだ。真の美しさとはこういうことかなとも思う。

そんなセクシーなヌーディーカラーにしたいときはいつも以上にケアが欠かせない。強い色みたいにごまかしが効かず、粗を隠すことはできないからだ。


素の爪おしゃれ


もっと言ってしまえば、素の爪がおしゃれにキマることは永遠の憧れである。

わたしはネイルカラーが好きだし、爪に色がある方がわたしのファッションには馴染むので"素の爪おしゃれ"はハードルが高い。だからそれがキマることが尚更素敵だと思うのかもしれない。

ネイル禁止の環境にいる場合や子供がいてネイルができないなど、素の爪を余儀なくされている人がたまに自分の素爪を恥ずかしがるけれど、隠す必要は一切ないと思う。

表面の凹凸や甘皮を無くし、爪の形を整え、ベースコートをさっと塗っておくだけで艶が生まれて女性らしさが増す。慣れてしまえば10分もあれば綺麗な爪に仕上がるし、手入れされた爪は色がなくとも美しいものだ。

そしてその手入れされた綺麗な手元で過ごすことで、爪を傷を付けまいと動作まで丁寧に美しくいられる気がするから不思議である。艶出しだけだとしても、手元の綺麗は気持ちの余裕にも影響してくるのだ。


自分目線の美の定義


美容は、手入れした分だけ自分に返ってくるところが良い。
艶のある爪にうっとりできる気分の高まりや、自身の印象をもがらりと変える見た目の完成度は、ちょっとした手間をかけた時間以上に価値がある。


おしゃれに着飾ることも、ありのままの姿も、どちらも美しいものだ。
美しさの定義は人それぞれだし誰にも強要はできない。だから誰かが決めたレールに沿って美を決めることはない。自分の思う美しさを追求し、なによりもまずは自分の心が潤うような美を選んでいけば良いと思うのだ。


自分自身が元気付けられるようなファッションや美容を取り入れて、これからも楽しく「美」に向き合っていたい。
そして、ありのままの自分を美しいと思える自分でいたい。

パーツ自体は小さくとも、先端に宿る美の影響力は絶大である。






twitter: https://twitter.com/senhare_artlife

トータルファッション情報WEBsite: https://senhare.com



この記事が参加している募集

ここまで読んでくださってありがとうございました♡スキもコメントも幸せです。そしてサポートしていただけたらとんでもなく励みになります。活動のインスピレーションを得るためやハッピーを集めるために大切に使わせていただきます!