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専業主夫の49歳が精神科病院に入院したときの話(2)休めるか!な夜

専業主夫の薄衣です。
前回からの続きです。
精神科病院に初めて行ったその日に、
医療保護入院になりました。

前回の記事はこちら。


病棟へ

病棟から迎えに来てくれた看護師とともに、家族3人エレベーターで2階に上がります。
2階に着くなり、
「ご家族はこちらでお待ちください」
と、妻と息子は部屋に通されますが、
「薄衣さんはこちらです」
と私はそのまま奥へ。

家族とのしばしの別れの挨拶、
そんな時間はありませんでした。

ひとつ、またひとつと扉をくぐり、
3つめの扉をくぐると、そこはベッド以外なにも無い部屋。

「今着替えをお持ちします」

看護師が出て行きます。
その時初めて振り返ると、部屋にはステンレス製か、シルバーの便座がひとつ。
壁からはトイレットペーパーが出ています。ホントにペーパーだけがだらんと垂れ下がっており、ホルダーは部屋の外でした。

「なんだここは・・・」と絶句していたのも束の間、看護師が戻ってきて「こちらに着替えてください」と病衣を渡されます。

着替え終わると、
「靴も脱いでください。
ここは靴ひも1本から全てダメなので。

要は【この場での自殺につながるあらゆるリスクを排除する】ため、靴から服から脱いだのだと気がついたのは、翌日でした。

看護師は
「ゆっくり休んでください」
と言って、出て行きました。


この部屋の扉はかなり分厚い鉄製で、なぜか皆勢いよく閉めている気がして、その時の音がとても大きく感じます。

このあと何度もその
“バタン”
という音を聞くのですが、今思い出してもイヤ~な気持ちになります。

その後、
しばらくの間呆然としていたと思います。
自分の身に起きていることが、ほとんど理解出来ていなかったからです。

医師から【医療保護入院】になる旨を告げられましたが、それがなんなのか、そしてどのような治療を、どのくらいの期間行う予定なのか、など具体的な話は一切ありませんでした。医師からも、看護師からも。

隔離病室にて

部屋を見回します。
壁は一面こげ茶色の木質。いろんなところが傷だらけです。ひと目見て、ここにこれまで入ってきた諸先輩達の行為と思われました。

もちろん外側から鍵をかけられ、室内にそれはありません。自由に出入り出来ないということです。

それどころか、私がいるこの一角だけ、他の病室のあるエリアから、さらに鍵つきのドアをくぐったところにありました。

見上げれば高い天井とカメラ。もちろんトイレ風景から全部、絶賛撮影中。
ただトシのせいか、気持ちがゴチャゴチャだったせいか、私の場合、カメラはそれほど気になりませんでした。

それでも、ここを一言で言えば刑務所の独房。入ったことはありませんが、そんな思いが浮かびました。

ふと我にかえると、
「家族と話せなかった・・・」
落ち込みました。

病衣に、紙パンツをはかされ、サンダルもおよそ新品とは思えない香ばしいもの。
不快でした。

しかしこんな時でもトイレには行きたくなるもの。
用を足しますが、その時気がつきます、
水道がない」と。

手が洗えません。
そういえば、
「困ったことがあったら、天井のスピーカーに大きな声をかけてください。それがナースコールになります。」
と言われたのを思い出しますが…
大きな声」は出せませんでした。

なぜなら、隣室の男性が、四六時中
「出せ~っ」
「うぉ~っ」
「ぐぁ~っ」など
大きな声のお手本を示していたのですが、私はそれを聞き、かえって出来なくなってしまったのでした。

このとき考えていたこと

まず「休んで」と言われても「休めるか!」と思っていました。
そして「なんでこんなところにいるんだろう」と考えると、「自殺に失敗したから」、という答えに辿り着きます。

激しく後悔しました。
なんで死ねなかったんだろう」と。

この独房のようなところに放置された不安、不満。全ては自業自得なのに、当然それを受け入れることが出来ず、不安と不満が募っていました。

なので、この時はどうせ数日で出られると思っていましたから、次はこうしてああして、こうやれば絶対逝ける、みたいな感じで、頭の中で次なる機会に向けたシミュレーションを繰り返していたと思います。情けなさ、悔しさと苦しさを抱えながら。

最初の夜

病室の窓は縦に細長いものが2つ。
磨りガラスで外の景色は見えませんが、夜であることは分かります。

入り口の扉の小窓を除くと、廊下に時計が見えます。そして周囲を見ると、この1角には私の部屋を含め4部屋。隣室には男性がいて、この時も元気に発声中でした。

すると突然電気が消えたので、
時間を見ると21時。
消灯時間を知ります。

「休んで」と言われ、考えること以外何もすることも出来ることもない病室の中で、悶々とした時間を過ごしていたと思います。病室に入ってから、恐らく2時間ほどは経過していたでしょうか。特に何事も無く、言わば放置です。

その間、よからぬ事ばかりを考え、堂々巡りをしていたので、もちろん眠気などさっぱりありません。さらに、隣室からの絶叫が断続的に続いており、不安と不満は増すばかりでした。

素直に就寝

あるとき、ガチャっと私の部屋の鍵が開きます。
(なぜかこの時から、こうした音にビクッと反応するようになりました。退院した後、今も続いています。)

2人の看護師が入ってきます。
看「眠れませんか」
薄「はい」
看「不安ですよね。
        いきなりここに入ったら」
薄「はい」
看「大丈夫ですよ。まだ2時ですから。
  お薬を飲んで、ゆっくり寝ましょう。
  飲み水も置いていきますから。
  足りないときはいつでも呼んでください。」
薄「ありがとうございます。」
看「おやすみなさい」

この後、私は翌朝6時過ぎに看護師から起こされるまで、ぐっすり寝ることができたのです。


振り返ると

なぜにぐっすり眠れたのか。
第一に、もちろん眠剤を服用したからなのですが、それよりも促されるままに素直にベッドに入ったという点について、後になって思ったことですが、

「大丈夫、まだ2時」と言ってもらえたから。

この一言で安心出来た気がしています。
これが「なにやってんの!もう2時だよ!」とかだったら、 全く違った結果になっていたかもしれません。

「もう」か「まだ」。
たったそれだけの違いかもしれませんが、
私には大きかったのです。

お水をたくさん貰えたから

水道が無いので、もちろん自由に飲むことが出来ません。
頂ける紙コップはホントに小さくて、入室したときに頂いた1つは既に無くなっていました。この時は、紙コップ3つ分のお水を置いてもらえました。

これがとても嬉く、安心出来たのだと思います。こうした些細な事に対する喜び。この後入院中、たびたび噛みしめていくことになります。


ここまで、ようやく病院での一夜が終わりました。
初めての朝を迎えてからは、次に続きます。

今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

サポートに心から感謝です。主夫、これからも書き続けます。