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#244 子どもの「先生ずるい」の気持ちに親としてどう向き合うか

みなさん、こんにちは!
小2、年長、年少、2歳差ずつ3人の育児をしている
仙台りんです。

秋は、保活や就学時前健診の時期。
「小1の壁」のキーワードもよく目にするようになりました。


わたし、思うんですが、小1の壁って、
親目線の言葉じゃないですか?

肝心な、子どもの気持ちはどこ行った?


1週間ほどで有料放送になってしまいますが、
こちらでも話しています。



今日はこの音声の中で話したエピソードを
もう少し詳しく書き記します。



ここから先は「先生ずるい」と思った、10歳の私の経験談です。



私は子どもの時、とても合唱が盛んな小学校に通っていました。

毎年、本格的なホールを借りて学年ごとの発表会があり、
子どもたちの中から伴奏者をオーディションで選出していました。

私はこれに命を懸けていると言ってもいいくらい(笑)、
発表曲が決まったその日から、一生懸命練習していました。


ところが、4年生の時のオーディションでこんなことが。



伴奏者を決めるオーディションに参加したのは
完璧に弾ける状態の私と、
後半部分や難しい部分が未完成の女子3人の、合計4人。

音楽の先生と、学年の先生たち全員の前で、
私たちは1人ずつ順番にピアノを弾いていきました。

「よし、今年も私が選んでもらえそうだな」と勝利を確信した矢先、
なんとこの年の伴奏者に選ばれたのは、
曲調が変わってアップテンポになる部分が全く弾けていない子だったんです。



なぜ、唯一最後まで弾ききった私が選ばれなかったのか?
理由はこう。


「確かに一番うまかったのはあなただけれど、あなたは去年も弾いたよね。だから今年は別の人にしました。」



運動会の代表リレーはクラスで一番速い人が毎年選ばれるのに、
(そして私は6年間ずっと補欠だったのに)

ピアノは、弾けない人でも順番で選ばれるなんておかしい!
と、もう悔しく悔しくて。

家に帰って私の顔を見た母がひとこと。
「どうした?何かあった?」

これで我慢していたものがガラガラと崩れていき、
玄関でおいおい泣いたのを覚えています。



その後、母が先生と連絡をとってくれましたが、
あの時の母は、とても冷静でした。

・先生という立場上、できるだけ皆にチャンスを与えたい気持ちは大人としてわかる

・でも子どもはオーディションと言われて、一番になれば選ばれると信じて臨んでいる

・学校ではさらっと弾いたように見えたかもしれないが、親から見ても人並み以上の努力をしている

・それが蓋をあけてみれば、「オーディションとは名ばかりだった」では、さすがに子どもも納得できないのではないか

・とはいえ、世の中、努力が報われないこと、思い通りに進まないこともあるというのは、親として今後教えていく


こんなことを先生に伝えていました。



これで、結果が覆ることはありませんでしたが、
私も母も、それを望んでいたわけではありません。

先生が理解を示してくれたことがわかった私は、
伴奏者に選ばれなかったことより
「自分の頑張りをわかってくれた」と思えて
むしろ清々しい!とさえ感じていました。



この経験は、大人になった今思い出しても、実に良い学びだったと思っています。


何よりありがたかったのは、私が心の底から納得しきるまで母が話を聞いてくれたこと。
おかげで、先生や選ばれた友達を恨むようなこともありませんでした。



先生は敵じゃなかった。



「先生ずるい」の状態からこう思えたのは、
間違いなく母の取ったスタンスにあり、
自分が親となった今、見習いたいと強く思う部分です。



私の子どもたちには、まだ「先生ずるい」の気持ちを抱くような出来事に遭遇していません。


でもいつか、子どもたちが「先生ずるい」と言って
悔しがったり
怒ったり
悲しみに打ちひしがれたりすることがあれば

徹底的に子どもの気持ちに寄り添ってあげたい。


子どもの主張に肩入れすることなく、
かといって、無理に諭すこともせず。


ただひたすら、本人が本当の意味で納得し切るまで
寄り添ってあげたい。




私自身が、自分の働き方を模索する中で、
ふと「小1の壁って親都合の言葉だよな」と思ったことから
こんな昔の思い出が蘇ってきました。

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