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最低限の「丁寧」を演出するための食器と玄米生活

社会人になって6年目。丁寧な生活、という言葉に憧れと同時にひけめを感じ続けてきた。

丁寧な生活をしている人は凛としていて美しい。

そんなイメージがあって、それに対するあこがれが強く試行錯誤を繰り返してきた。何かを買う時、それを使うことで得られる未来に胸を馳せる。そして、「継続できなさそうなちょっとハードル高め」な習慣をこれを機に身に着けようと奮起して、お財布を開いてきた。

しかし、丁寧さを心地よくこなせずに、途中で挫折。丁寧さを演出してくれるモノや調味料がたまっていく一方で生活スペースがどんどん狭くなっていく。

もうやめよう。仕事で忙しくなってくると猶更、私生活においても完璧を求める余裕はない。

悟りに近いものを開き、「使わない、丁寧を演出してくれるポテンシャルのあるモノたち」を思い切って破棄した。いわゆる断捨離だ。

するとどうだろう。都内独り暮らしOLのワンルームが以前に増して広くなり、すごく清々しくなって生活そのものがしやすくなった。「丁寧に生きなきゃ!」という執着から解放され、「手元にあるもので身の丈に合わせて生きたらいいじゃない」、という思考に変った。

ふと、捨てずに残した、厳選されたお気に入りのお皿に目が留まった。最近は面倒すぎてスーパーやコンビニの総菜のパッケージから出さずにそのまま食べていたなあってちょっと反省。冷凍庫に保存してあったカット野菜と玄米ご飯を炊いてあり合わせごはん。お気に入りのお皿に盛っていただいた。

するとどうだろう、できあいの総菜に頼りっきりだった時以上にお腹と心が満たされたのだ。腹持ちもいいし、しかも健康的。

丁寧かはわからないけれど、これなら私にもできるかもしれない。

時間とリソースは有限だ。ハードルの高い「丁寧」は時に「重荷」になる。でも、身の丈で生きると腹をくくったときから、等身大の「丁寧」の在り方が自然と見えてきた。喉から手が出るほど実現したかった習慣の本質は、余分なものをそぎ落とした時に初めて見えてくるのかもしれない。

これからもゆるーく継続していきたいね。

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