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AIは「間」まで理解し表現し得るのか?というお話

モノづくりにおいて私はまだAIに振り回されているという事は無いのだけれど、日々の考え事でAIとの共存を深く考える事が多くなった。
そういう意味では私もAIという未知のものに対して振り回されている、と言えるのかも知れない。

chatGPTに以下の質問をしてみた。
Q. 「ああいったもの」「こういったもの」という抽象度が高い事をAIは言語化する事が出来ないと思うのですが、あなたはどうお考えですか?

A. chatGPTの答えが以下。

”私の意見では、AIは「ああいったもの」「こういったもの」という抽象度が高い事を言語化することができる可能性がありますが、現時点では完璧にはできないと考えています。

抽象度が高いとは、具体的な部分から全体を包括的に捉えることを指します。一方、抽象的な表現は、物事の表面だけを漠然と捉えている状態を指します。AIは機械学習や自然言語処理の技術を使用して、大量のデータを分析し、パターンや関連性を抽出することができますが、現時点では人間のように完全な抽象化思考を持っているわけではありません。

一方、AIは特定の抽象度の高い概念やパターンを認識することは可能です。例えば、画像認識の分野では、AIが抽象的な概念を理解し、画像内の特定の物体やシーンを識別することができるようになっています。また、自然言語処理の進歩により、AIは一定の抽象度の高い文章や文脈を理解し、要約や質問応答などのタスクをこなすことができます。

しかし、より高度な抽象化思考や人間のような意味の理解には、まだ限界があります。AIはデータ駆動型のアプローチを取るため、抽象化された概念や抽象度の高い事柄に対しては、人間のような洞察力や経験に基づく判断が難しい場合があります。

したがって、現時点ではAIが完全に抽象度の高い事を言語化することは難しいと考えられます。しかし、技術の進歩や研究の進展により、将来的にはより高度な抽象化思考や意味の理解が可能になるかもしれません。”

要は「今は限界があるし無理かもしれないが、将来的な技術革新で抽象化の言語化がより深く出来るようになるかもね!」
と、いうことらしい。

ならば、こういった質問はどうかと思いしてみた。
Q. 抽象度に対してより考察しますね。 人間には「間」というものが存在します。 例えば、人間同士が「話す」という行為一つにしても、「間」が存在しあえて「話さない」という行為も一つの会話となります。 AIがそういった「間」というデータ化しにくいものを理解出来るようになるとは思えないのですが、どうお考えですか?

A. chatくんの答えが以下です。

”「間」という概念は確かに抽象度の高い要素であり、人間のコミュニケーションや意味の理解に重要な役割を果たしています。このような「間」の存在は、非言語的な要素やコンテクストによって形成されるものであり、データ化しにくいとされることがあります。

現時点では、AIが完全に「間」を理解しデータ化することは難しいと考えられます。AIは主にデータ駆動型のアプローチを取りますので、数値やパターンに基づく処理に優れていますが、非言語的な要素やコンテクストを理解することは限定的です。

ただし、AIの研究は進化を続けており、非言語的な要素やコンテクストを扱う手法やモデルの開発も進んでいます。例えば、自然言語処理の分野では、感情分析や文脈理解に関する研究が進められており、非言語的な要素に対しても一定の理解を示すことができるようになってきています。

したがって、将来的にはより高度なAIシステムが開発され、非言語的な要素や「間」に関する理解が向上する可能性があります。しかし、人間のような洞察力や経験に基づく抽象化思考を完全に再現することは難しいと考えられます。

要するに、現時点ではAIが完全に「間」を理解しデータ化することは難しいですが、技術の進歩や研究の発展により、非言語的な要素や「間」に対する理解が向上する可能性があると言えます。”

おぉ~、なかなか引きませんね(笑)
いずれは「間」すらも理解出来るかもよ、的な風に言ってなくもないです。
ただ、「しかし、人間のような洞察力や経験に基づく抽象化思考を完全に再現することは難しいと考えられます。」
この言葉が今の限界を示してはいるのでしょう。
いずれにしても、日々加速していくAI技術はどうなるのか誰にも分からないというのが答えなのでしょうね。

「音楽」という表現とは何か?

「音楽」というものの表現において、私が質問した「間」というものは相当重要なものになってきます。
ある意味音楽とは「宇宙」のようなものですから、3D以上の立体感を表現し、「体感させる」ことが可能なはずです。
少し前に書いた記事での「情報を詰め込んだ中身のない音楽」(辛辣で申し訳ない)というものにも、ある種の「間」はあるんです。
私は音楽の本質は「音」と「音」の隙間、極端に言うと「音」が発せられて「次の音」に移る瞬間に感じる何かに本質があるのではないか?とずっと思っています。
そして、そう思いながら、それを意識して、何十年も音楽をやってきたようにも思えます。

最近ではとうとう、歌詞を入れたらアレンジ付きで曲にして人間?の男女どちらか(指定出来ます)が歌ってくれるというアプリも開発されました。
こういった物が今後どのように音楽として関わっていくのか?
はたまた自律はあるのか?
見ものではあります。
※参考 「song R」 https://www.songr.ai/

まぁ、決定的な理由で最終的な答えは私的には出ているのですが、
その話は長くなるのでまた近いうちにさせて頂きます。

最後にご報告。
私が以前やっていたTwitter(削除済み)で「手の手術をします」と書いていたのですが、
精密な検査の結果、手術をした場合「しびれ」最悪の場合「マヒ」が残る場合が5割以上の確率であるという事が判り中止しました。
(親指と人差指の腱の部分なのでかなり難しいらしいです)
しばらくは痛み止めや塗り薬等で様子を見るという事になりました。
ご心配をお掛けした方にご報告とさせて頂きます。

季節の変わり目です。
皆さま、お体ご自愛ください。

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