禅語の紹介 「施無畏(せむい)」 前編
施無畏庵(せむいあん)、庵主のほていです。
今日は禅語を取り上げます。
「施無畏」という言葉は別に禅だけのものではなく仏教全般で使われる言葉のはずではあるのですが、禅のことば(禅語)として理解されている方も多いようなので、ここでは禅語として取り上げたいと思います。一般的な解説はインターネット上に既に溢れているのでさっと説明しつつ、私の勝手な解釈も織り交ぜたいなと思っています。
施無畏は辞書的には次のような意味だそうです。(三省堂 大辞林 第三版)
① 仏・菩薩が衆生(しゆじよう)のおそれを除き、救うこと。三施の一。無畏施。
② 観世音菩薩の別称。施無畏者。
②については後ほど触れるとして、①はまあ、文字面からしてなんとなくわかるかと思います。畏れが無くなるように施す、という感じでしょうか。
辞書的な意味は一旦上記のとおりとするとして、仏教の経典としてはどんな意味合いでしょうか。
まず、仏教の世界では菩薩がおこなう修行方法として「六波羅蜜」という6つの修行がある。それは、①布施②持戒③忍耐④精進⑤禅定⑥智慧の6つとされます。
それぞれの説明はまた別の機会にゆずるとして、この①布施についてはさらに7つに分かれると言われます。
1:法施 → 知識や教えなどを与える
2:眼施・顔施 → 明るく優しい顔で接する
3:言施 → 温かい言葉をかける
4:無畏施 → 恐怖心を取り除き穏やかな心を与える
5:身施 → 何かをお手伝いする
6:心施 → 善い行いをほめる
7:座施・舍施 → 場所を提供する
ここで無畏施(施無畏)というのが出てくるわけです。(ちなみに先述の辞書のように三施の一つとしているところもあります。その場合は財施・法施・無畏施の3つですね)
あとたぶん施無畏がらみの単語で最も有名なのは「施無畏印」で、仏像が指先を天に、手のひらをこちら側に向けて「怖くないよ〜」と言っているサイン的なアレだと思います。
ここまでで一般的な説明をさせていただきました。色々と説明しているうちに長くなっちゃいましたので、続きはまた改めて記事にしたいと思います。
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