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恥ずかしさのあまりやめてしまったダンス、でもやっぱ踊れるっていいな

小学校6年の最初のほうだったと思う、わたしは浜崎あゆみにハマり、ライブ映像をみてはバックダンサーかっけぇとなっていた。母にヒップホップダンスやりたい!!と申し出て、一駅隣のダンススクールに通わせてもらえることになった。なんでもすぐスクールを探しちゃうところは今も昔も変わってないなと思う。スタジオは新しく、先生たちも20代の人が多い若々しい感じだった。小学生の部の練習に参加したのだが、みんな小3とかでちっちゃいのにみんなうまいなぁなんて思いながらぎこちないアップとダウンに勤しんだ。アンガールズ山根さんのようなひょろガリなりに見様見真似で踊るが、なんか迫力ないなぁと思ったことを覚えている。小学生の部で一番年長、学校ではマセていたこともあるのか、わりとすぐになんとも言えない恥ずかしさを感じるようになった。なんか恥ずいのである。それ以外に表現できずにもどかしい。小学生の部が終わると中学生の部がはじまる。なので、ちょうど着替えが被るのだ。中学生の部には二人中学生の女の子がいて、めちゃくちゃ大人っぽかった記憶がある。なんかキッズウォーに出て来そうな、なんかイケてる女子だった。これから中学生になるんだしなと意気込んだわたしは、その二人に話しかけた、身につけていた服かバッグの話とかだったと思うが、とにかくまぁ小学生の部にいますけど、まぁわたしはそっち側ですよ的なアピールをしたかったに違いない。

すごく華麗にスルーされた、たしか。

そのとき、今までたまってたなんか恥ずいと、今この瞬間自分めちゃくちゃイタいんちゃうの!?うわ、ダサい小学生いるよねとかこれから言われるのかな?!とかの妄想が爆発してスクールには行かなくなってしまった。ちょうどそのとき先天性の腸の病気があったことで手術と入院になり、タイミングよくうやむやにしてしまった。実にプライドの高い子供である。(でも20歳くらいまでは確実にそのプライド高いこじらせとともに生きてきてしまったのだが。)

さらに恥ずかしいのは、ダンスを習いはじめたタイミングと卒業文集を書く時期が重なり、モチベMAXのわたしは、「大人になってみんなに会う頃、わたしはAYUのバックダンサーになっているだろう」という一文で卒業文集を締めくくったのだ。そもそも、浜崎あゆみをAYUと書くのも恥ずいし、夢がダンサーではなくバックダンサー一本なのかよとツッコミたいが、それどころではない、なぜならこの卒業文集がみんなに配られる頃にはわたしはとっくにダンスをやめていたのだ。それから数年、ダンスってまだやってんの?笑、というイジリを同級生に与えることとなった。

そんな思春期を過ごしたわたしだが、やっぱり踊れたらいいなぁという気持ちはずっとある。最近工房でKpopがめっちゃかかるので、今更BTSのDynamiteにハマってしまった、彼らの曲に合わせていろんな人が踊っているのをみると、ダンスってほんといいなぁと思う。ものづくりにも通ずるものがあるのかもしれないが、自分の身体を自在に操りなにかを作り出すということはシンプルに楽しいし満足感の高い遊びだ。

踊れる椅子張り師くらいなら目指してみてもいいのかもしれない。


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