記憶の中の恋し食べもの
ポンコツでも元気で、健康・・と思える自分が嬉しいこの頃。
休日とは休む日。
休むとは、完全に日常や仕事から離れること・・と、
何かで目にしたことがある。
なので、せめて音楽に関係のない本を休日に。
森下典子著の「こいしたべもの」
森下さんの本を読んでいると、湖畔の別荘にいるかのように、
静かに落ち着いてくる。静かな休日が、さらに静かになる。
世代が同じくらいなので、載っている食べ物は、
知っているものばかり。
書かれたイラストを見て、味も鮮明に覚えていることに驚く。
味も匂いも、記憶の中で、ちゃんと生きている。
様々な食べ物とのエピソード、
家族との思い出や森下さんの心模様が伺え
読みながら懐かしく、私の思い出も蘇ってきた。
思い出の食べ物、食べ物にまつわる思い出・・
私の「恋し食べもの」も記録しておこう・・(ほんの一部)
・・・たい焼き・・・
高校生のころ、
土曜日は子供の頃からお世話になっていた先生のレッスン、
日曜日は3件のレッスンを掛け持ち、
午前中10時から大学の先生のピアノレッスン、
午後はソルフェージュ、夕方は声楽、
あっちにこっちに、先生のお宅へ移動していた。
通うことが苦になったことはなく、楽しかった。
というのも電車に乗ること1時間 〜2時間の距離は、
週に一度の小旅行のような気分で、
移動が気晴らしになっていたからだ。
友達と遊ぶことはないに等しい高校生活。
ひたすら黙々と練習とレッスン。
レッスンバッグには、ベートーヴェンソナタとバッハ平均律
そしてショパンのエチュード、楽典と宿題プリントの束、
コールユーブンゲンとコンコーネ、そしてイタリア歌曲集。
王道の受験スタイルとも言える数々の楽譜は、
肩に食い込むくらい重かったはずなのに、
その重さも苦ではなかった。(挫折はあったけれど・・)
高校の休みの日は、ほとんどがレッスン日。
そんな中の小さな楽しみが、
レッスンの帰りに、たい焼き屋さんに立ち寄ることだった。
たい焼き専門店だったそのお店には、チーズやカスタードなど
種類も豊富で、当時では珍しかった。
たい焼きを一つ買って、お店の前のベンチで食べる。
たい焼きを食べているほんの数分が、束の間の休息時間だった。
私はその静かな時間がとても好きだった。
一人っていいよね、何より心が自由・・と、その頃思っていた。
たい焼きを見るたび、食べるたびに
通った道、レッスンや、先生の声や言葉、様々なことが走馬灯のように蘇る。
「たい焼き」は私の青春の思い出の一つだ。
・・・バニラアイスクリーム・・・
実家には、父専用の小さなキッチンと冷蔵庫があった。
冷蔵庫には、いつもアイスクリームが入っていて、
練習のあと私も貰って食べていた。
在庫が減ってくると、いつの間にか増えていて・・
(アイスクリームを買う父の姿が目に浮かぶ)
ある日 父が「ブランデーかけると美味いぞ」と
アイスクリームの上にブランデーをかけてくれた。
それにハマった私は、惜しげもなく、
ブランデーがけのアイスクリームを食べてしまって・・
またある日のこと・・「このブランデーは高いんだぞ」っと父。
値段など知らない私は「ふ〜ん・・・」というくらいで、
父の言葉は気に留めず、ブランデーのボトルがカラになるまで
ブランデーがけのアイスクリームを食べ続けていた。
本当に高いものだった・・と知ったのは、
ずっとあとになってからだった。
今更だけど・・
「お父さんの大事なブランデー、
一人で食べて(飲んで)しまって、ごめんね」
父の小さなキッチンも冷蔵庫もなくなってしまったけど
アイスクリームにブランデーをかけていると
「またかけてる」・・と、父の声が聞こえてきそうだ。
・・・名古屋の味噌煮込みうどんとおでん・・・
父とは、本当によく外食をした。
特に結婚してからは、週に一度はランチを共に。
あるとき・・
「今日はどこに行くの?」と聞くと
「名古屋の味噌煮込みうどん食べたいんだよなあ・・」と父。
父は、あっと言う間に新幹線の切符を買い・・名古屋へ。
味噌煮込みうどんを食べ、名古屋城へ行き、
帰りに「真っ黒のおでん」を食べ、最終の新幹線で東京へ帰った。
父と母が出会った名古屋。
思い出の地を巡り、思い出の味噌煮込みうどんとおでんを食べた父は、終始上機嫌だった。
そして1年半後・・父はあっという間に亡くなった。
たった一度だったけれど、
味噌煮込みうどんとおでんの味は覚えている。
もちろん父の笑顔も・・